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日本の教育はコスパ最強!?その②~「教師は五者たれ」を考える~

 先日、日本の教育はコスパ最強!?という記事を、教員の業務や教育費等を元に作成しました。

 関連してですが…

「教師は五者たれ」という格言?のようなものを時折聞きます。

 今回は、日本の教育界に根付く「教師は五者たれ」について少し考えてみます。

※自分は「教師」より「教員」の方がしっくりくるのですが、今回は言い回しの関係上、基本「教師」に統一します。


1 「教師は五者たれ」とは?


自分もかつて上司や先輩に言われたことがある「教師は五者たれ」

割と日本の教育界で引用されているようです。

「五者」とは、一般的には「学者」「医者」「役者」「易者」「芸者」の五つを指しています。

「学者」…学者のように学べ
「医者」…医者のように生徒を診よ
「役者」…役者のように生徒を魅了せよ
「易者」…易者のように生徒の未来を見よ
「芸者」…芸者のように生徒に寄り添え ※この場合は「芸達者な人」という意味

と、教師に求められる役割を、五つの「者」にたとえた言葉だそうです。「五者論」「五者の精神」と言われることもあるそうです。

実は、その引用元ははっきりしていないものの、説諭に使われることの多い例えです。


2 なぜ、教師が五者であってほしい?


 次に、なぜ「教師が五者」であってほしいかを考えてみます。

 「学者のように学べ」…学問の基礎を子どもが学ぶ上で、教師が学んでない、ということは有り得ないので「学者」であることは必然でしょう。

 「易者のように生徒の未来を見よ」…子どもが学びは未来につながるものであるべきなので、これも納得しやすいかと思います。
(教科内容でガチガチになっている点は否めませんが、各方面で尽力されている方々はいらっしゃるので許容)


「役者のように生徒を魅了せよ」…学びの世界に浸らせよ、とのことでしょうか。教材や学びの魅力なら分かりますが、教師の魅力で魅了するとなると…

 「医者のように生徒を診よ」…観察眼という点ではありかもしれませんが、体調面も含んでいるとなれば…

「芸者のように生徒に寄り添え」…子ども理解、ということでしょうか。


 確かに、教師が五者たるならば、理想的ではあります。
 児童生徒に対し、未来につながる学びの場を設定するためには、「学者」「易者」の要素は必要でしょう。
 
 1学級30人以上の児童生徒がいることも想定すると、「役者」である必要性が増すのかもしれません。
 

 担任1人で30人以上の様子をカバーしようとするなら、「医者」であることを求められるでしょう。

 その中で、育ちは一人一人異なることから、一人一人の子どもに寄り添う「芸者」であることが求められる、ということのようです。

 つまり、それだけ教師という職に求められるものが多いが故に、「五者」であってほしい、ということが伺えます。



3 教師が五者たるならば…
 

 現状の学校システムにおいて、教師が五者たれば、子どもは安心して学校に通い、楽しく学ぶことにつながるでしょう。

 保護者の方であれば、お子さんの担任が「五者」たれば、こんな安心なことはないでしょう。

 ただ、「そんなスーパーマンいますか?」というのが本音です笑

 いや、五者たることを目指して、そのように努力している方々がいらっしゃるのも知っていますし、実際に近い方々がいらっしゃるのも分かります。

 ただ、小中学校だけで、全国60~70万人という教師(自分も含まれますね)が五者たるなんて、そんな状況考えられるでしょうか。


 そうじゃなくて、五者を「目指す」ということだよ、という声も聞こえてきそうですが、掲げてしまった点で同義に近づいてしまうように感じます。

 

 自分は、最低条件は「学者」要素だと思っています。「学校」の「教師」なので。
 
 ただ、そうは言っても、人を育てるという職業上、他の要素も必要となってくるでしょう。

 しかしながら、5つ並列してしまうと、教師のミッションがぼやけてしまうようにも感じます。


 教師が五者たれば、特に恩恵を受けそうなのは(というか現状受けているのは)教育行政ではないでしょうか。
 教師が「五者」たれば、雇用する側にとってこんな素敵な話はありません。
 だって、1人で五者分の役割を果たしてくれるのですから。コスパ最強ですよね笑

 教師が五者たるならば、当然給料5倍!?などと冗談めかしたことを考えてしまいます。
 
 教師が五者たることを暗黙的に要求してきた結果、いわゆるブラックな印象が定着し、志望者が減っている?という可能性も否定できないように思います。


4 今後も、教師は五者たるべき?

 

 ここまで、「教師は五者たれ」について考えてきました。今後、どのように受け止めていくべきでしょうか。

大きく2つの考え方があるように思います。

A:五者である必要はない
⇒「医者」「芸者」等の要素をカバーできるよう学校現場に人を増員
 
 欧米系に多いシステムです。教師は授業のみを行い(こうなると「教員」ですね)、生徒指導はカウンセラー、細かい指導はティーチングアシスタント、というように、役割(○者)毎に人を配置する考え方です。

 ⇒もしくは、「学者」「易者」以外の要素を学校に求めない
 このような考え方もあるでしょう。ただ、そうなると他のシステムでカバーする必要性が出てきます。


B:五者となれるような環境整備を進める

 現状、教師が五者たるべく研鑽する余裕はあまりないようです。働き方自体は、バリバリのブルーカラー(いわゆる肉体労働者)にも見受けられるくらいですから。

 ただ、これまで同様に、学問的な内容だけでなく、子どもの人格形成に関わるものを複合的・総合的に担っていくことが学校の役割だとするならば、そしてそれらの中心になるのが教師というならば、
教師が五者たるべく、研鑽を積むことのできる環境整備を、目に見える形でしていくことが必要でしょう。

 疲弊でドロップアウトすることのないようなシステム構築であったり、五者に近い人材を採用できるような条件の改善であったり…といった取組が挙げられます。

 それは、今実施されているような現状にちょっと改善を加える程度の施策ではなく、勤務時間内に教材研究や授業準備ができる、就職活動でいわゆるメジャーな企業等を希望するような人材が就職先の候補に入れる、くらいの抜本的な環境の改善が必要だと、自分は考えています。


 いずれにせよ、「教師は五者たれ」と
説諭される場合は、その内容について十分な検討を、
説諭された場合は、その受け取りについて咀嚼を、
する必要があるように思います。





まとまらない文章でスミマセン^^;
最後までお読みいただきありがとうございました☆


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