2022.02.05~02.06で参加したはぐくむコーチングStep upクラスの合宿。
11月に始まったクラスの応用的な学びに加え、ラストに行った合宿は、自分はどんな特徴をもつ人間か?をこれ以上なく理解させてもらえるきっかけになりました。
ほぼ5ヶ月前のことなのですが、分析しながらゆっくり言語化してきたもの、ここに残しておきます。
▪️ 学び
まずは、学びのメモを。。
完全に自分よがりパートなので、すっ飛ばし◎です!
▪️ 今、素直に感じていること
合宿、めちゃくちゃに最高だったなぁ。
楽しくもあり、苦しくもあり、イヤイヤなときもあり、ウキウキなときもあり。
なんだか、ずーっと制御したり、蓋をしてきた自分はじめ、全て出していくことを許可しようとしてる感じ。
出すのか、出さないか。その選択も自由に委ねられていて、そしてとっても美しくて暖かい心をもった、どんだけ器広いねん、なんでこんなに優しいねんって仲間がいて、安心感と共に自分と向き合えた。
嫌な自分にも嫌がりながら、軽やかに向かっていけた。そんな一瞬一瞬が幸せだった。
全てを受容できたわけではないし、は~スッキリした!みたいな感覚ではないけれど、これからどんどん自分が生きやすくなっていく予感があって、根拠はないんだけど、根拠がないから前向きになれるような気持ちが湧き上がってきていて。
色んな感性が湧いてきすぎて繊細な自分に面倒くささとか、少しイヤだなと思っている自分もいるのが正直な今だけど、
でも、やっぱりそんな自分を愛してあげたい。
こんな繊細な一面もった自分最高だな、可能性に満ち溢れてるなを膨らませつつも、
普通でいたい、イチイチ心のざわめきと闘っていてしんどい、もうそんなに感じる世界に浸りたくないと思う時がある。
だって、何か人と距離が離れている気がするし、あんまり踏み込めないし、繊細に扱われる。ただただ、普通に接してもらって、普通に受け入れてもらいたいだけ。
これまでとはまた違う「自分と向き合う」をした感覚がある。LDSはじめ、これまでは取り巻く環境によって向き合わざるを得ないか、、みたいな感じだった。
結果的に変容の方向性へ選択したのは自分だけれど、なんだか変わってやろうって立ち向かうエネルギーと共に、人に委ねる感じがあった。
自分だけでは向き合いきれないと感じたら、人に頼ったり、ムリ~と足掻いたり。そんな時間が長かった。
でも、今回のStep upの合宿は、逆に自分と向き合うか向き合わないか自由だった。
みんなと一緒に変わっていく方向性でいこうよ!ってよりは、1人1人が自分のコアな内側に焦点を当てている感じだった。もちろん、お互いに関わり合っているんだけど、でも、向き合うのか向き合わないのかは自主的だった。
そんなスタンスの合宿だったからこそ、すごく自ら選択し、あえて立ち向かっていく!みたいな。
厳しくもあり、楽しさも共にいた。
進んでいこうとする軽やかなベクトル。
(合宿後すぐの感想)
.....
中々noteまとめきらなくて、合宿から3週間ほど経とうとしてる今、追記。
以前書いた感想見てびっくりするくらい、気持ちはマイナス気味。そんなリアルを隠して残すのはイヤだと思ったので書き足してます。
合宿からしばらく経ち、モンスター部分を自覚したことで自分のことが前よりも好きでなくなってきてる感覚がある。これは良くいえばモンスターと対峙してる証拠と言えるが、以前の自己受容してた状態からは遠のいた感じ。
Step up初回のクラスのときは異常なほど軽かったのを覚えてる。すごくオープンだったし、軽くてノリノリな自分を選択するのが容易だった。
ある意味、このStep up最初から最後比較したとき、状態グラフは下降している。
それくらい、合宿で扱ったものは非常にセンシティブで自分にとって重い内容だったのだと振り返っています。
あぁ、マジで核心突きだしたんだ、マジのマジに自分の嫌な部分に向き合う領域まで来たんだ、、という感じ。この1年意識せずとも自分と向き合うようになっていて、だんだん自分のことを捉えてきた。特に春~夏に参加したLIFE DESIGN SCHOOLによって、見ないようにしていた弱い部分に気づき、その部分を変えていくんだと思って日々を送り、その変容の成果が秋口の軽さに表れてた。
あ、自分変わったやん、良いBeingになってきたやん、みたいな感覚でいたことに誇らしさまで勝手に覚えてたけど、本質の本質、コアな所にまで行き着いていなかった。というより、やはり無意識に見ないようにしていた。
実は、「自分を愛する」ことができていなかったんだ。
受け入れられる側面も増えたし、好きだなと思う部分もたくさん感じられるようになった。
でも、まるっと愛することはできてなかった。
それが合宿前にnoteにも綴った「許可できない自分」の部分だった。
それを知ってしまった。早く楽になりたい、自分らしい状態でいたいと思い、自分愛してます!みたいにして誤魔化していたところだった。そんな所に気付かされたのが合宿で。
別に向き合わないといけない訳でもない。今すぐ焦らなくてもいい。そう分かっていても、気づいてしまったことで生まれる心のしこり。
これがあると、自分は向き合わないしんどさの方が強くなるから、向き合う・浸る感覚で日々を過ごす方向性になる。こうなると自分らしさを制限するようになるし、ネガティブになるし、良い面よりも欠陥欠損面に目を向けるようになる。ネガティブ期間。
合宿終わってからはそんな日を過ごすことが多かった。
なんだかエネルギーも湧かせられない一方、納得感もどこかにあって、こうやって生きるのも嫌いじゃないなという気持ちもあって、複雑。
そんな中で過ごしてて、ちょっと時間に余裕が生まれた隙にありのままの今の状態を綴っています。
序盤から気持ちの面を書きすぎで本題に移っていかないのヤベェ、、と思いながら書いてます。はい。
そんな感じで長くなりましたが、中身に入っていこうと思います。
▪️ OS, モンスターの存在
OS
そもそもOSとは何か。『Operating System』の略だそう。はぐくむ界隈だけが使っているのか、意外とコーチング等において共通言語なのかは知らない。「こういう状態の時はこうしよう」と無意識的に埋め込まれているもの。OSがプログラミングされていることは日常生活では気づかない。潜んでいるOSは人によって様々。その人がどんな経験学習サイクルを回してきたか、いわば過去からどんな経験学習をしてきたかによってまるで変わってくる。
OSによっていつもどう結論付けされているのかに自覚的になることで、価値観の変容のスタートになる。
「自分のOSだけが事実」と思い込んでいる状態では望んでいる未来を実現していくにあたって限界がある。
これまでの延長線上にない未来にいくためのは、OSの転換・アップデートしていく必要があり、言い換えれば、自分が作成したOSにパラダイムシフトが起こると、想定したものに変化が起こってくる。
モンスター
心に潜むモンスターのこと。モンスター君たちは色んな声を発している。それは黒く澱んでいるものだったりして、無意識のうちに無いものにしたり、拒絶・無視したりする。でも、そのものも受け入れていかないと自分のことは愛せない。うまく自分の全てとお付き合いしていけない。
だから、モンスター君たちが何を言っているのか耳を傾けなければいけない。そして、受けとめてあげられなければイヤな自分に反射的に否定してしまう。
だからこそ、モンスター君たちと仲良くなることがより良い自分になっていく鍵になる。自分だけでは受容できなかったり、見たくない・触れたくない反応が出るからこそ、勇気を出して外に開示してみることで、まず人に受容してもらうことができる。
そんなモンスター君たちは、「悪者」にされやすい。
しかし、これまでモンスター君たちがいたからこそ乗り越えられてきた場面もある。ずっと寄り添ってくれていた存在でもある。
だからこそ、モンスターは倒したいものではなく愛すべきもの。愛すべきかわいらしいモンスター君たちとどう付き合っていくか、どう一緒に仲間になっていくかが自分と生きる上で大切なのだ。
モンスター君たちは見つけてほしいと思っている。時々、意識的に声を発している。モンスター君にスポットライトを当てていくと、「愛すべきもの」と気づく瞬間が生まれ、仲良くなると親友になれる可能性がある。親友になると、見える世界が変わってくる。
だから、モンスター君に許可出ししていい。なんなら、モンスターは人と人が繋がる1つの切り口にもなる。
それぞれに色んなモンスターがいるのだから、人を理解し、受容したければモンスターと仲良くなっていこう。
モンスター君たちの心の反応は、願いをあきらめる方向にとってもエネルギーを使っている。本来持っていたのに諦めてきた願いをカタチにする方向に進んでみることで、実現したいことを叶える方向に一歩近づく。
つまり、OSやモンスターというのは「変えられるもの」であり「書き換えられるもの」である。それは、
可能性であり、願いであり、光であり、希望である。
▪️ 7体のモンスターたち
はぐくむ湖畔で働くあさひさんが僕のモンスターについて傾聴し、イメージを描いてくれました!
エントリーNo.1『優等生ベキ村くん』
エントリーNo.2『MC. Prideman』
エントリーNo.3『クソヤローチャン』
エントリーNo.4『お気づかいさん』
エントリーNo.5『ソコソコ』
エントリーNo.6『カンノペキ僧』
エントリーNo.7『よわよわよわ太郎』
▪️ モンスターに隠されていた〝願い〟の正体
全体のモンスターたちを俯瞰して見てみたとき、僕はちゃんと評価軸が根底に根付いている日本の教育の影響を受けているなと思います。自分にバッテンされたり、否定されたりすることを極度に嫌がります。
「自分は自分でいたい。」
あなたは何者か?と問われたとき、色んなモンスターたちの声が共存し、どの自分がいいのか見失います。
複雑に絡み合うときは、非常に歪みます。
でも、理性が働くから基本的には良い子を保とうとします。そうなった時に、出したいもの全てを出せなくなる。行き場がなくなり、精神的にしんどい状態となります。
つい周りの人がチラチラしてブレてしまうのですが、
他の何者でもない、オリジナルな自分でいたいんです。
ただ、これは僕にとって難しいことでもある。
性格上、つい周りの人に合わせるし、自分より人を優先したくなる精神が働くときがある。
周りのことが視界に入らないくらい飛び抜けてオリジナルでいたいわけでもない。
この共存が難しいんですね。
でも、そんな自分も含めて自分と他者のカチッとハマるバランサーのようなもの、しっくりくる折り合いが分かりさえすれば、きっとみるみる「自分らしさ」の境地に辿り着く。そう信じています。
自分がどうありたいか?
~モンスターの「願い」から見える理想のBeing~
▪️ シフトしてきた or シフト中のOS
▪️ はぐくむへありがとう
最後にお世話になったはぐくむへの感謝を。
コーチングStep upクラスがはぐくむにガッツリ関わるラストの機会?だったかなと思います。
人間らしさがあって、素直に感じているものを否定されず受容する、深みのある対話が好き。
自分のことを好きになれなかったり、嫌いな部分に目を背け続けていた僕に、「自分を愛する」感覚を教えてくれた。
そして、自分の感受性豊かな部分をうまく活かしていける方向へ進めてくれました。
コロナが無かったら関わらなかったのかなと思うけど、コロナ禍でも自分をぶつけて鍛え上げていくことを望んでいた自分にとって、すごく救いであり、サポートしてくれた環境。
これで終わりじゃないし、これからもずっと関わっていくと思うけれど、ひとまずありがとうございました。
最初はコーチングスクールBasicからの関わりだった。
当時は人を怖がりすぎていた。
自分から場に出ることもしなかったし、話を振られても、思ったことを素直に出すことに対してバリアを張り、当たり障りないことを作り笑顔で話してた。
それくらい自分を見失っていたときから始まり、
LDSでは自分のやりたいことにプッシュしてくれた。
言い訳したり、他責にして我が道を行くことからいつまでも逃げようとしていた僕に、弱い所を突きつけてくれた。アクションすることに批判的で、自分の価値観に頑固に固執し、腰の重かった僕に軽やかになっていくきっかけを与えてくれた。
過去の体験によって蓋をしていた自分に気づかせてくれて、たくさん蓋を外すきっかけをくれた。
今は、どんどんナチュラルな自分に近づいていっている実感がある。
受動的な質の高い学びを自ら得にいくことは得意だったけど、自分から掴みにいく・1歩踏み出すことに不安で。でも、信じたいものを信じていくことの大切さに気づかせてくれた。
愛情というものに生まれて初めて気づけた。自分が大切にしたい愛というものが何か、自らの体験をフラッシュバックさせながら気づかせてくれて、なんで大切にしたいのかを納得させてくれるきっかけをくれた。
自らの人生を歩む感覚。これは論理で分かるものじゃなく、身体で覚えること。
難しいことだけれど、生き方の表現をさせてくれた。
最初はこんなに関わると思っていなかったけど、自分の持っている世界観とマッチしていて、どんな状態のときも共に進んでいるパートナーでいてくれた。
幸せをたくさん感じさせてくれました。
ありがとうございます。
はぐくむに関わり1年半くらい。
僕は変化への恐れから逃げやすく。かつ、どちらかというと多感なタイプ。変化する過程で巻き起こる複雑な自分の心境をとらえることがまず必要。それから、頑ななマイルールを崩しにかかる必要がある。
強引に外側から介入してもらわないと中々変わらないわがままさ・頑固さを兼ね備えた自分。
そんな自分の面倒くささは自分が感覚的に一番良くわかっていたし、向き合いたくなかった。それでもこうして時間をかけ、自分の変化のためにたっぷり時間とエネルギーを注いでくれました。
本当に、僕みたいな、理想はもっているけど変化することに頑固な人間ははぐくむがおすすめです(笑)
どういうマインド・思考であればより良く生きられるのか?は、普通に過ごしていては中々教えてくれないし、学べない。一つの解みたいなものは求めていたし、自分ではどうしたらいいかよくわかんない、考えられるほど頭がキレない。そういった中で一つ指針というか、こうやったら生きやすくなるよ」「こういうときはこうしよう」みたいなのは、すごく救いになりました。みんながみんなこのフェーズを必要としないと思うけど、僕は一つ信頼できる人からの体験に基づいた人生論のようなものを欲していたし、何か良くハッキリしないけど変えたい!という気持ちがありました。
そして、色んな人格を持っていることに苦しみ、外に出したくない・嫌いな自分が内在していることで、自信や誇りが持てなかった。自分を愛することができず、偽った自分でいてしまうことに違和感を抱きながらも、どうしようもなくただ人と関わっているだけで、心の負担・ストレスになっていた。
頑なな部分を変えようとしてみたり、イヤな自分を強引に選択して人前でさらけ出す過程を踏んだことで、自分の存在に自信をもてるようになりました。
より自分らしく、自分が望む在り方・生き方を体現していくために、今はイキイキと自分のありたい状態を選択できるようになってきました。当然いつもいつも良いなんてことはないけれど、少しだけ、前より自分の生を輝かせることが上手になった気がします。
社会の風潮としても、コロナになり社会も閉ざされがちで、内向的でより内側のものに目を向けるようになった。開放的な世の中だったら出会うものも体験するものも違ったと思うけど、コロナ禍で一人で過ごしていくことが思いやられるシーンにおいて、自分にとって最高なコミュニティに関われたと思います。
これからは、コロナも明け、ようやくそれぞれがやりたいこと・進んでいきたい道にエネルギーを注いでいくのだと思います。
その中でコーチングという関わりで、周りの人を支えていける存在でいたいと思います。
ここまで丁寧に自己内省や、自己理解を深めるnoteはしばらく書かないのかな。寂しさもありつつ、また次にstep upしていけるよう頑張ります🔥
最後まで読んでくださった皆さん、
本当にありがとうございました🌱