僕の死生観。僕は人が死ぬことを知っている。
お盆休みも終わり、だるい暑さが残る中、日常の生活が戻ってきた。
お盆の過ごし方は地域や家族によって全然違うだろう。旅行に行く人もいれば、実家に帰省する人もいる。僕のお盆は、毎年だいたい決まって、家でのんびり過ごしている。岡田家は、僕と妻両方の実家の近くに住んでいることもあって、帰省という概念は存在しない。元々人混みは好きではないし、どこに行っても激込みしているお盆に、わざわざ出かける気にもなれない。
だから岡田家のお盆は静かだ。妻がナスときゅうりで馬と牛を作り、13日の夕暮れ時には、玄関先で迎え火を焚いて、ご先祖様を家まで案内する。15日の17時頃には、送り火を焚き、ご先祖様をお見送りをする。だいたいこんな感じだ。
ディズニー映画のリメンバーミーの世界では1年に1日だけ、現世の家族の元に戻ってこられると言う設定になっている。しかし、日本のお盆は3日間もある。生きている時の日本人は欧米人より休むのが下手くそだが、死んだ後は意外にも休むのが上手なようだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、お盆も終わったことだし、これを機会に、少しだけ自分なりの死生観というか、死に対する経験やそれによる価値観の変化を書いてみたいと思う。
人が死ぬことを知っている。
まずははじめに、僕は人が死ぬこと知っている。
そんなのはみんな知っているよ!と思うかもしれないが、実際に身近な人間が死ぬという経験をしている人は、案外多くないのではないだろうか?
もちろん読んでいただいている方の年齢にもよると思うが、40歳前後で、すこし距離ある知人や友人、親戚などが亡くなることはあっても、本当に身近な人が亡くなること経験している人は、割合で言ったら少ないように感じる。
一方僕は、死の経験が豊富だ。笑
(全然自慢にならないし、まったく求めていない経験値だけど。)
経験1
まず、父親が7歳の時に交通事故で亡くなった。朝起きたら父親が突然いなくなっていた。思春期になるより先に、人はなんの前触れもなく、いきなり死ぬのだと知った。
これは、大人になってから気づいたことだけど、葬式などのことは記憶にあるが、その後数年間の小学生時代の記憶がほとんどなくなっている。そのくらいショックが大きかったのだと思う。
結局、父親とはどういう存在なのか、どう接してくれるのか。どう怒り、どう励ましてくれるのか、それらを知ることが出来なかった。せいぜい出来ることはTVドラマを見て、理想の父親ってこんな感じだよねーと想像を膨らませることくらいだった。
経験2
そして、僕も大人になり最愛のパートナーを見つけ、自分の家庭を築く決心をした。と同時に、ようやく僕にも(義理ではあるけれど)父親が出来るんだ!という喜びが溢れてきた。父親と一緒にお酒を飲み、『最近どうだ?』なんて言われながら、人生相談をする。何度妄想したことか。
彼女(現妻)にプロポーズをした後に、ご両親にご挨拶に伺い、結婚を喜んで認めてもらい、祝福して頂いた。
しかしその1ヶ月後、妻の父親が急死した。
死因は心筋梗塞による突然死だった。またいきなり人が死んでしまった。また父親がいなくなってしまった。実際に妻の父親に会ったことがあるのは数回程度ではあったけれど、これから家族なり、様々な楽しみを共有したかった人がいなくなってしまうは辛く、悲しく、虚しかった。
経験3
その後、妻とは結婚をし、一人目の子供を授かったタイミングで、それまで住んでいた東京を離れ、お互いの実家のある浜松に移住することなった。
そのきっかけになったのは、幼少時代からの親友とその家族の存在が大きかった。
東京から帰省した時には、一緒にソーセージを作ってBBQをしたり、釣りに出かけたり、常にその親友家族と遊び過ごしていた。親友とも何を話すわけではないし、仕事の話なんてほとんどしない。ただただのんびり一緒に過ごすだけだった。お互いの趣味のアウトドアの話をしたり、自家製ベーコンの作り方や毛鉤の作り方の話を聞いたりしていた。
その親友家族と過ごした時間がすごく心地良かったからこそ、自分達が浜松に帰った時の豊かな暮らしを想像できたのだと思う。そして、お互いの家族でBBQしたり、キャンプに行ったり、色々なライフイベントを共有出来たら楽しいだろうなと思っていた。
しかし、僕たちが浜松に移住した数年後、親友が急死した。
死因はわからない。朝起きたら眠ったままだった。また大切な人が突然いなくなってしまった。人の死がどんどん辛くなっていく。もしかしたら一緒に過ごした時間が長くなるからだろうか。
そして、親友の死だけでも受け入れらない状態だったにも関わらず、追い討ちをかけるように、親友の死の連絡を受けた2日後に電話がなった。今度は大学の友人が癌で亡くなったと、友人の妻から聞かされた。
1年ほど闘病していたらしい。職場以外には内緒で戦っていたらしい。それまでは1年に2回くらいのペースで飲みにいっていたけど、確かにこの1年くらいは忙しくて行けてなかった。まさかそんなことが起きていたなんて、、
本当にどうかしている。もう心が崩壊しそうだった。いやたぶん崩壊していた。自分ではまったく自覚はなかったが、後から妻に聞いたら、親友が亡くなった後の僕はしばらく様子がおかしかったらしい。いきなり泣き出すし、変なことを口走ったりしていたようだ。
人の死ほど辛いものはない。しかし、人が死ぬのにもパターンがある。病気などで徐々に弱り、死を迎えるパターンと、ある日突然亡くなるパターンだ。僕の場合は全て後者だった。前者のパターンなら、心の準備ができる部分もあると思うが、ある日突然やってくる大切な人の死は、相当きつい。もちろん前者の場合も相当辛いが、衝撃度の違いがある。
父親が死んで以降、僕はまだ小学生なのに、こんなに辛い経験をしたのだから、もうあとは幸せなことしか起こらないだろう。じゃなきゃフェアじゃない。そう前向きに思うようにしていた。(強がっていた部分も大いにある。)
実際に30歳手前くらいまでは運にも人にも恵まれていた。しかし父の死から得られた幸運の効能は、一生続くわけではなかった。
ようやく父親ができると喜んでいる矢先に義父が亡くなり、東京から浜松に移住してきた矢先に親友がなくなった。そしてこれからも生きていく以上、人は死んでいく。
価値観の変化
では、これの死の経験から得られたこと、変わったことはなんだったのだろうか?
人はいきなり死ぬということ。を知ったということ。かもしれない。
つまり、死を知ることで、人の死にすごく敏感になったし、怯えるようにもなった。
あの人もいつか死ぬ。明日死ぬかもしれないと、定期的に妄想を繰り返してしまうようになった。妻は僕の脳内で何度死んだことか。笑
縁起でもないことのように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。その結果どうなったかというと、死にさえしなければ、なんでもいいや!と思えるようになってきた。さまざまなことに寛容になれる。
妻に対しても、生きていてくれるだけでOK。一緒にいてくれるだけで感謝しか生まれない。今一緒にいられるこの瞬間を大切にして、楽しもう。楽しみを後回しにしない。自分の想いもその時にきちんと伝えるようにしよう。だから、ありがとう、ごめんね、愛しているよ。を言葉にする。明日には伝えられないかもしれないから。そんな風に思えるようになった。
子供たちに対してもそうだ。いろんなことにチャレンジしなさい。失敗してもいい。多少の怪我くらいは問題なし。ただし、死ぬのだけはNG。それが岡田家の(僕の中での)家訓だ。
自分自身に対してもそうだ。死にさえしなれば、なんでもOK!と思えば、いろんなことにチャレンジできる。人の目なんか気になしてくてもいい。人は生きているだけでいいし、価値があるが。失敗しようが成功しようが、それはおまけみたいなものなのかもしれない。
そう思えると少し気が楽になる。
人の死というのは、辛すぎる。だからこそ、死を経験すればするほど人は強くなり、そしてやさしくなれるのかもしれない。死という一見ネガティブな経験でさえも、心の持ちようや捉え方で、後ろ向きにも、前向きにも歩いていける。そんなことを教えてもらったのかもしれない。
もし、同じような境遇で辛い思いをしている人がいたら、こんな風に考えてみるのはいかがだろうか?
では、よい週末を。
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