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うなぎの味を知るには早すぎた頃から

子供の頃、家族でうなぎ料理を食べによく行っていたことがある。


私の認識では、うなぎ料理は昔から高級料理として振る舞われているのが、世の常だと勝手に解釈している。

にも関わらず私の家族は、私自身が中学生になるまでの間、行きつけのうなぎ料理店に、一年に必ず一回以上は訪れていたのである。

今振り返れば、当時は家族揃って相当な贅沢をしていたものだと思う。しかしその頃の私は、うなぎの蒲焼きをはじめとした料理が、かなり苦手であったのだ。


まず蒲焼きは、口に含んだ瞬間に広がる細かい小骨と、特有の香りが中でいっぱいに満たされるという、まさに「ザ・大人の味」に思わず抵抗を覚えてしまっていた。

そのためにうな重がきた際は、ほぼほぼ蒲焼きだけを父に渡し、重箱に取り残されたうなぎのタレが満遍なくかかったご飯をかき込んでいたと思う。

次に骨せんべいについて、まだ乳歯だらけで永久歯がろくに生えていない頃の自分には、普段からよく見かける煎餅よりも堅すぎた印象がある。

骨であるがゆえ堅すぎて痛みを感じる上に、噛み砕こうとしたら思わず歯がグラついてしまいそうで、音や感触を楽しむ余裕などなかったものであった。

うな肝においては、その見た目からにして多分受け付けられなかったと思う。一度だけ口に含んだことがあったかもしれないが、一周回ってどんな味だったか鮮明に思い出せない。


というようにおそらく同年代の人間と比べたら、私は早々にうなぎデビューを果たしていたと思われる。だが、父や母に倣ってうなぎ料理を味わって楽しむには、あまりにも早すぎたといっても過言ではない。

やがて年齢を重ねていくうちに、味を中心に心ゆくままに堪能できるようになっていったが、やはりうなぎ料理は云うまでもなく敷居が高いものだ。

ただでさえ、一般庶民では贅沢なものと称されているだけでなく、昨今の原材料高騰の煽りも受けて、さらに手の届かないところへと上がってしまっている。

それでも一昔前と比べたら、スーパーはもちろんのこと某牛丼チェーン店などで、うなぎを手軽に食せるようになってきている。とはいえ、私はそうまでして食そうとは思えないのである。


たしかに私は子供の頃に、うなぎについて諸々の苦手意識があった。けれど大人になった今は克服しただけでなく、うなぎをいただくことに対して、一つの意識を持つようになった。

あの時に家族で連れて行ってもらっていたうなぎ料理店の、伝統と歴史を重んじる風格のある店構えから、煙たくも香ばしいうなぎを仕上げている中の雰囲気まで記憶に残っている。

家でもなければファミレスでもなく、本来お出しする特別な場所でうなぎ料理をいただくことに意味があり、かつ真価があると思う。だからこそ、今後もそうした機会ををもうける際には、その心構えを忘れないでおきたい。



ちなみに今回の旅で私はうなぎ料理店を訪れ、うな重をはじめ骨せんべいと肝焼きを合わせて頂いた。自分のほとんど知らない土地で、かつ単独で料亭に入るのは初めてであったが、かつて過去に経験したことを再確認したのであった。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!