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己の原点を探る旅へ

幼い頃、家族で仙台に行ったことがあるらしい。


父の従姉妹にあたる人が、仙台で挙式を上げるため、新幹線に乗って現地へと目指していたそうだ。

しかし私に、そのような記憶はほとんどない。おそらく降り立ったであろう仙台駅周辺を含め、景色はどんなふうに映っていたか、まるで憶えがない。

仙台での出来事について母と話をするたびに、母は決まってこういうのだ。「あの時のツカサは、水ぼうそうにかかっていて大変だったんだから」と。

ちなみに私には、その水ぼうそうがどんなにしんどいものであったか、という記憶もない。

当然といえば当然のことだ。あの時の私は、まだ生まれて間もない頃なのだから。1歳、2歳も経っていないのに、物心がついているはずもなかろう。

それでどうやって今日まで、憶えていられるのだろうか。それでも母は、当時のことを憶えていないの?と、疑問に浮かべるようにして話を進めている。


私が今まで旅行に出かけた事のある場所は、家族や学校、それに会社で集まっての旅行を含めても、ほんのわずかでしかない。

元々、私の家族は頻繁に旅行に行く機会を設けていなかった。精々、地元の隣にある県に行くぐらいでしかないため、他の人と比べてレジャーに行く回数は、かなり少ない方だと思う。

ましてや私自身、生まれてから今まで沖縄北海道に出かけたことはない。ついでに云うならば、海外へ渡航した経験すら一度もないのだ。

最も離れたところに行ったとするなら、東の方面では…いやこの場合は北と云うべきなのか、前述の通り物心がついていない時期に行った仙台までである。一方で西の方面については、高校生の時に修学旅行に行った福岡や長崎までだ。

故に上京して一人暮らしを始めて以降は、今いる場所よりも遠く離れたところへと旅行に出かける機会など、まったく云って良いくらい無い。

出かけたとしても、車で近場を回るぐらいしかない。箱根や鎌倉、それに横須賀といった神奈川方面が主であった。しかしここ最近では、それらも随分とご無沙汰になってしまっている。


ところで、何の話だったか。


私はこれから、自分の原点を探るべく仙台の地へと旅立つ、という話である。

我ながらどういう風の吹き回しなのだろうか、と思わないことはない。今までろくに旅行してこなかった人間が、なぜこのタイミングで行く気になったのか。

云ってしまえば、今の自分に繋ぎ止めるものは、何もないからだ。自分は自由の身である。自由の身だからこそ、本能の赴くままに出かける意思がある。

自分を遠くへ動かすなら、この時間しかない。それも、自分に心が宿る前に一度訪れていた場所があったとしたら、もう一度向かう意味はあると思う。

だいぶ時間はかかってしまったが、ようやく地に足を付けて向かうことができる。


さぁ自分よ、出かけようじゃないか。



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タダノツカサ
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