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たぶんオリジナルシーンのせい

中学生の一時期に日テレ系で放送されていたドラマ「野ブタ。をプロデュース」が、通っていた学校のみならず世間でも一躍話題になっていた。

私もリアルタイムで見ていたが、たびたびエンディングのクレジットで原作小説の箇所を目にする毎に、なんとなくその存在が無性に気になりだしていた。

それから近くの書店まで足を運んでは「ドラマ化決定!」と大きな見出しが中央に入った両脇に、亀梨和也山下智久の写真が映っている帯のついた一冊を購入したのだった。

それが、課題図書や夏休みの読書感想文として書くため以外の目的で手にした人生初の小説である。

当時中学の朝自習では、月に一冊のペースで渡された読書必須のものである文庫本を読まなくてはならない。

だが月内に読み終わったら次の文庫本が渡されるまでの間、また繰り返し読むかもしくは家から持ってきた本を読んでも良いという、ご褒美なるものが許されていた。
もちろん漫画本を持参してくるのはもってのほかである。

文庫本を読み終わった後で、私は原作小説を持っていっては読み進めていた。時々、同じクラスメイトがそれに少しだけ興味を示していたものの、自ら薦めることはなく結局人に貸すことはなかった。

当然といえば当然の反応だった。なぜならクラスの皆はドラマ自体は勿論のこと、そこから派生されたユニットである「修二と彰」に熱中していたからである。

ドラマもドラマで面白かったと記憶しているが、自分としては原作小説もそれと負けず劣らずのものだった。しかし一通り読み終わるとそんな感想だけでなく、何か違うと疑問点がいくつか思いついたのだった。

その頃の私の頭は、原作にはなくドラマだけ出てくるオリジナルキャラやストーリーがあるという概念がなく、小説をそのままそっくり再現しているものだと思い込んでいたのである。
無論これまで放送されてきたドラマのなかには、原則通り忠実に演出している作品も探せばきっとあるはずだろう。

ただ私にとっては、ドラマを見てから原作小説に手を出したのは「野ブタ。をプロデュース」が初めてのことだった。
それらを見比べてみて多少は原作通りに進行しているにしても、所々あまりに展開が異なっていることに衝撃を受けていたのである。

さすがにこの内容では同級生に薦めるのは少々気が進まないと、無意識にそう思っていたのかもしれない。

中でも一番印象に焼きついたのは終盤で、それこそドラマの最終回で見たエンディングみたいに大団円で終わるようなものではなかった、ということだ。

他人のプロデュースに熱中するあまり、自分の存在を親友をはじめとしたクラスメイトから見放され、その後も良い方向に展開することもなく曖昧な形で終幕を迎えてしまった。

そのシーンだけは、中学生にして思うように感想を述べることがままならない自分でも、どこか余韻が冷めない感覚に浸っていた。

ただ何回も読み直していくうちに、こんなふうにして終わりを迎えてしまったとしても、それはそれでいいのかもしれないと思うのであった。

全てが自分の思い通りにうまくいかなかったとしても、空を見上げていれば一つの物語のシーンとして事が進んでいくのだろう。
そんなふうにして、ちょっぴり前向きになれる気がしていた。


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