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泣きそうで泣こうとしなかった空

この日の東京の空は、突然の雨に見舞われてもおかしくないほどに、青空一つも見えず灰色グレー一色の曇天であった。

都内の外れた場所へと野暮用があるため、JR山手線を使って移動していた私は、雨が降るか否かと待ちわびながら、ほぼ満員電車の群れに紛れ込んではドア越しに空を眺めていた。

群れを成しているかのようなビルが、あちらこちら乱立している東京の空は、まるで切り絵みたいな光景を作り出している。その先には、一帯を埋め尽くす分厚い雲がくっきりと見えることであろう。

当たり前だが、この空模様では、光の一筋すら差し込んでくるはずもない。しかし大雨が降るどころか、小雨がぱらつく気配すら感じない。ゆえに、雨特有のニオイが何一つ漂ってこないのだ。

だとするなら今、この場で私たちが見ている空は、今にも泣きそうなのに我慢して泣こうとせず、こらえようとしているのだろうか。そんなふうにして、人に置き換えるようにして考えてみた。


変わりやすい天気=お天道様は気まぐれ。


なんていう構図をあらたまって言わず聞かずとも、昔から何かしらの形で教わってきていた。

傘を持ち長靴を履いて、雨が降るを待ち侘びるようにして準備を整えても、空から一滴すら落ちてこない時がある。その逆もしかり、一日中晴れるかと思えば、通り雨や夕立みたいに、急な土砂降りに見舞われたりすることだってある。

そのたびに誰か一人ぐらいは、愚痴をこぼしてしまうのだ。無意識に他人のせいにするようにして。

仮に、お天道様が一つでも耳にしていたらどうだろう。地上から聞こえてくる心無い声々に傾けては、思わず心を痛めてしまってはいないだろうか。


時折、この世界に生きていく上で、知らなくてもいい事実はいくらでもある。しかし同様に、私たちには知らなければいけない真実が数多く残されている。

中には、後世に語り継ぐべきだった事情さえ、再現するどころか知るという手段すら取れないまま、目に見えない事実として風となって消え去ってしまったものもあるだろう。

今更になってどうこうしたところで、全てを取り戻せるはずもない。残されたものだけで、寿命が尽きるまでの間をうまく繋いでいくしかないのだ。

ただそうしたものには、やはり痛みを伴わなければならないこともある。ただ、全部を全部受け入れなければいけない、ということではない。

それこそ、あらゆる物事を溜め込んでいたら、いずれ決壊を起こすことになりかねない。ダムにしろ、人の感情にしろ…。

一つ一つ深掘りしていたらキリがないのは確かだ。何がどうであれ、心が悲しみで濡れて壊れてしまわないように、程よく溜めつつも吐き出していくことで、穏やかな心構えで生き続けていけるのだろう。


ともかく明日は都心のみならず日本各地で、おそらく雨予報になることだろう。今日までの空はほとんど泣くことなく堪えきったと思う。

だが、夜が明けた頃かもしくは皆が寝静まっている時に、泣き叫ぶほどの大粒の涙となって街中を濡らすことになるかもしれない。



今日一日の空模様を振り返っていたら、コブクロの「蒼く 優しく」のMVにところどころ映った空みたいな色をしていたと、唐突に思い出した。

もしも再び心の行き止まりに着いてしまったら、少しだけ休んでもいいかいと、話をするように誰かに尋ねたらいいと。

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