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思い出したら、立ち止まってしまうから

2022.05.21


母『お父さんにハイボール🍺を
  ありがとう😌 今 届きました😆』

母『わーい!と思ってるに違いない』

『うんうん』私

『至るところにハイボール飾ってくださいな』私

母『はい!!』


* * *



父が亡くなった翌年のある日、私は母から突然こう尋ねられた。

「ツカサは、今もお父さんのこと思い出すことあるの?」

その問いに対し、私はすぐに返事をせず、一旦間を置いて「ない」とだけ答えた。それに続くように母は「どうして?」と問い返す。

一見、簡単のように聞こえて実は難しい質問に、またしても私はその場で返答できず、さらに深く考え込んでしまった。

別段、無関心になっているわけではない。父を思うとなればこそ、即座に答えるのは不躾ぶしつけみたく思えてしまい、確かな答えを出すまで少々時間を要した。

そうして編み出した結果、私は一つの言葉を口にしたのだった。

「思い出したら、立ち止まってしまうから」



父が亡くなってから2ヶ月経った父の誕生日に、私は父の名前で宛てたプレゼントを送っていた。

その日、母からLINEで父に代わって、感謝を述べるメッセージが送られてきていた。ただその裏で母は、私の見えないところで泣いていたのではないかと、一瞬頭をよぎったのだ。

もしかしたら、プレゼントを受け取った母は父のことを思い出して、立ち止まってしまったのではなかろうか。なんとか悲しみから乾き切らせようとしている最中で、私の手によって再び心を湿らせてしまったのでは…と。

あの時、一周するように捻り出しては母の前で発した言葉が、いつしか呪縛となって自分の元に返る。自分で投げたブーメランが余計なものをのせて戻ってくるような感触を、無意識に覚えてしまったのである。


そもそも本来、誕生日プレゼントを直接受け取る側である父は、もうこの世にいない。

どれだけ父の好きだったお酒を送ろうと、それを毎年送り続けてたとしても、父は、あの日あの場所に戻ってくることは決してないのだ。

思い出して立ち止まっているのは、果たして誰なのか。そして、前を向いて歩こうとしている誰か一人でも立ち止まらせているのは誰なのか。


そして気づいたのだ。本当の意味で誰よりも思い出して立ち止まっているのは、紛れもなく自分自身であると。

誰にも悟られないように、自ら平気を装っているつもりでいた。けれど、本当の自分は大丈夫でもないのに、そうすることで自分抱えているありとあらゆる不安を取り除いているにしか過ぎなかった。

その事実に苛まれ、私は翌年以降、父宛に誕生日プレゼントを送ることをやめた。そして今年もこの日が訪れたが、手紙はおろかプレゼントも送っていない。

形だけが全てではない。思い出が熱を失っても、記憶の片隅に残り続けると改めて知った今。それぞれ前に進んでいくためには、これ以上送る理由や必要などない。



いつかまた父の姿を思い出しても、立ち止まって歩けなくなってしまうことのないように。今はまだつまづきながらも、心無くさず元気にやっていると。生まれ育ったところより遠く離れた場所で、形にも言葉にもならないメッセージを送る。

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