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美容師になる夢をあきらめて美容ディーラーになるまでの話 vol.1(中学〜大学編)

美容ディーラー・ミツイコーポレーション デジタルブランディングの金丸(35)です。
名古屋で生まれ育ち、新卒で2011年にミツイに入社。
5年間営業、6年間ユニットリーダーを務め、2021年に上司も部下もいない新設部署「デジタルブランディング」を静岡本社で立ち上げました。
2023年からは東京支社に身を移し、企画・戦略・社内外のDX推進を行なっております。

・・・という挨拶ができるのも残りわずかとなりました。

と言うのも、新卒から13年間勤めたミツイコーポレーションを4月30日付けで退職することになったからです。
既に3月26日から有給休暇に入っており、5月1日から始まる新たな環境での挑戦に向けた準備をしております。

これからはこのnoteで、

  • ミツイコーポレーションで過ごした13年間の振り返り

  • 転職しようと思った理由

  • 転職活動奮闘記

  • 転職先の会社のこと

など、自分のこれまでとこれからのキャリアについて発信していきます。

まずはキャリアの振り返りから。
今回は「美容ディーラーになるまでの話」について書かせていただきます。

長くなるので「中学生〜大学生編」と「就職活動編」の2回に分けてお送りします。


【中学生】美容師になる夢

僕が美容業界に入ることになった一番最初のきっかけは、「美容師になる」と言う夢を持った小学校6年生の頃。

まだ美容室にも行ったことがない時に、木村拓哉さん主演「Beautiful Life」と言う美容師が主役のドラマを見て「美容師ってかっこいい!」と思い、「美容師になりたい」と言う夢ができました。

中学生になって初めて美容室に行った時に、いつもと違う髪型になった自分に心が躍り、気持ちが明るくなりました。

「人を綺麗に、カッコ良くして、喜んでもらってお金を頂ける。」
そんな素敵な職業って中々ないんじゃないかと、子供ながらに思ったことを覚えています。

当時の僕は「将来の夢は?」と聞かれたら、真っ直ぐな瞳で「美容師になること」と答えていました。

高校は自宅から一番近い学校に進学。
その理由は「遅刻・欠席なしの皆勤賞を取れば、美容学校に推薦で進学できる」と考えたからです。(根拠のない勝手な思い込み)

高校生になってからも美容師になる夢を胸に、部活と遊びに明け暮れ、将来に対する不安は一切感じておりませんでした。
その時は、これまでに抱き続けた純粋な夢が間も無く崩れ落ちることになるとは知らずに。

【高校生】美容師なんて辞めておけ!

美容師になる夢が崩れ落ちたのは高校3年生の時。
進路面談で担任の先生に「金丸はどこの学校に行きたいんだ?」と聞かれ、間髪入れずに「美容学校です!」と答えるとまさかの答えが返ってきました。

「金丸、美容師は辞めておけ。」

まさかの先生の声に耳を傾けると、その先生のお子さんは美容師さん。
「労働時間が長い、給料が安い、上下関係が厳しい」と言う美容師の労働環境の過酷さに疲弊しており、とても自分の生徒には勧められない。
こんな思いをするのは自分の子供だけにしたい、と言う美容師の子を持つ親御さんならではの愛のある言葉でした。

呆然としながら家に帰り両親にその話をすると

「私たちも同じ風に思ってる。美容師じゃなくて、大学に進学して欲しい。」と言うこれまたまさかの言葉が返ってきました。

両親としては自分の子供をそんな過酷な職に就かせたくない。
そして自分達は大学に行けなくて社会に出てから大変な思いもしたので大学に進学して欲しい、と言う親心から出た言葉でした。

どちらも自分に対して愛情を持って言ってくれた言葉です。
担任の先生も両親も大好きで尊敬していたので、その想いを裏切りたくないと思い「美容師になる」夢を諦めました。

夢を諦めた瞬間に希望がなくなり、一気に未来が真っ暗になりました。
そして、「これからどうすればいいんだろう」と言う不安が押し寄せてきました。

また、「人を綺麗に、かっこよくして、喜んでもらってお金を頂ける。こんな素晴らしい職業がなぜ社会的には認められていないんだろう。」と言う疑問と、憤りを抱いていました。

【大学受験】大学に行くことを目的とした受験

美容師の夢を諦めたのは、高校三年生の初夏。
これまで美容学校に進学することを信じて疑わなかった僕は、予備校にも通わず一切受験勉強をしていませんでした。

ここから大学に進学する為の受験勉強をしても間に合わないと思い、”指定校推薦"に的を絞ります。
色んな友人に聞き回って、推薦枠の競合が少なそうな大学を探して申し込みをしました。

すると、指定校推薦枠を決める先生が「美容師は辞めておけ」と言った担任の先生だったこともあってか指定校推薦を獲得。

学校には一度も足を運んだことなく、どんな学校なのか、どこにあるかも知らないまま、両親と先生の期待に応える為、大学に進学することを目的とした受験活動は呆気なく終了。
残された高校生活は、再び遊びに明け暮れました。

英語の成績が他の教科より良いという理由だけで、推薦で進学した外国語大学。
この後、地獄を見ることになるとはその時は思ってもいませんでした。

【大学】TOEIC280点!留年が目の前に迫る

大学に入ることだけを目的として入った外国語学部の大学。
入学式からいきなり洗礼を浴びます。
入学式の後に何名か担任の先生に集められると

「あなたたちは事前テストで周りよりも点数がとても低かった。このままだと授業についていけなくなるから周りよりも勉強を頑張ってね。」と言われました。

この時は先生の言葉の意味を理解できておらず、まだ始まってもないのに何を言ってるんだと気にも留めていませんでした。

次に洗礼を浴びたのは学部全員が受験するTOEIC。
TOEICと言うものが何なのかも分からずテストを受け、後日返ってきた点数は「280点」

「どうだった?」とクラスメイトに点数を聞かれた僕は、何点満点かも知らずに「280点!まぁまぁできたわ」と返すとそのクラスメイトの顔が一気に引きつりました。

「金丸、TOEICは990点満点だよ・・・。」

その言葉に一気に血の気が引きました。
周りのクラスメイトに点数を聞くと、平均して600点台、高い人は800点台。
僕の点数はダントツでクラス最下位、もしかすると学年最下位だったかもしれません。

そして、初回の授業で更に洗礼を浴びます。
外国人の先生が現れ、全て英語で書かれた教科書を使って、英語のみで授業が始まります。

内容が理解できないのではなく、言葉が聞き取れない、言葉の意味が分からない。
当てられても、何を聞かれてるか分からない。
自分が伝えたいことがあっても、どう伝えればいいか単語も文法も頭に浮かばない。
日本語で質問すると「Don't speak Japanese!」と怒られ、みんなに笑われる始末。
どこが宿題だったかも分からない。
授業が終わってから隣の席のクラスメイトに「今日の内容ってどんな内容だった?」「宿題ってどこだった?」と聞いて、面倒臭そうに呆れられる。

大学に進学することを目的に何も考えずに入った大学は、「英語を学ぶ場所」ではなく「英語”で”学ぶ場所」だったのです。
クラスメイトには帰国子女も多く、英語が話せる・理解できることは前提で授業が進んでいきます。

何を言ってるか分からない、自分が言いたいことを伝えられない状況は想像以上に辛く、大学に通うこと自体が毎日憂鬱でした。

授業は出席していたものの、後期の取得単位は「11」
入学式の時に言われた先生の言葉が現実になり、単位が足りずに留年するかもしれない現実が目の前に訪れました。

周りにも笑われ、落ちこぼれの大学生として一年を終えました。

【大学2〜3年】美容室専売品?美容業界という新たな希望

常に劣等感を抱き、憂鬱な日々を過ごしていた僕の唯一の拠り所はサークル。
100人以上が所属する大学最大規模のテニスサークルに入り、一気に友人・先輩が増えました。

そのサークルで、3年生になると髪の毛を暗くして、会社に「就職」するために「就職活動」をする先輩たちを見てきました。
始めて身近に感じた「社会に出て働く」ということ。
僕達の世代を一番面倒見てくれた先輩が内定をもらったのが、美容業界No.1メーカーの「ミルボン」

その先輩に就職活動の話や会社の話を聞いて「美容室専売のシャンプーやカラー剤を作って販売する、美容メーカー」と言う仕事があることを初めて知りました。

その話を聞いた時に、一度は諦めた夢が蘇ってきました。

「美容師になる夢は断念したけど、違った形で美容師さん・美容業界に携わることができるんだ。
よし!僕は美容メーカーに就職しよう!

僕には「美容メーカーに就職する」という新たな夢が生まれました。

それからはまた一気に未来が明るくなり、心の底から意欲が湧いてきました。

しかし、「美容メーカーに就職する」と言う夢を叶えるためにはまず大前提として大学を卒業しなければいけません。
外国語大学に入ってしまった以上、クラス最下位レベルの英語力からも逃げることはできません。

気持ちを入れ直し、単位を取得して卒業する為に取った行動は、ひたすら授業を入れること。
バイトを削り、毎日1限から7限まで授業を受講して、とにかく量でカバーする作戦でした。

通学中には英語のラジオを聞き、授業で分からないことがあれば電子辞書を片手に恥を偲んで先生に聞きに行く。
授業が終われば中学生向けの英語ドリルから勉強をし直し、家に帰ったら洋画を英語字幕で見る。

とにかく夢を叶えるために英語漬けの日々を送ったことにより、大学2年生の1年間で一気に単位を取得。
留年の心配がないどころか、就職活動に集中できるぐらいの余裕を持つことができるようになりました。

そして3年生に進級し、いよいよ新たな夢を叶えるための「就職活動」が始まります。

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