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#046 青い空、青い春、青いときに

今日は、フェアのものさしの話。

昨夜の我が家でのディスカッションは、何がフェアであるか、の話。お父さんは、徒競走で例えるところから始めました。

各々、走力に違いのあるクラスメイトたち、徒競走を行う上で、同じスタートラインからスタートすることがフェアであるか、それとも走力に合わせて、スタートラインの位置を前後に移動させることがフェアであるか、まずはこの問いから始めました。走力に自身のある長男、次男ともに誰もがスタートラインは同じであるべきだと言います。彼らの想定は年一回の運動会です、ハレの舞台で、自分の能力を証明できないかもしれないルールを彼らはフェアだと思わないようです。

では、お父さんが毎日、365日、徒競走をするということでは、どうだろうか?という問いを持ちかけました。足の遅い子は、毎日、同じスタートラインから、走って、毎回、足の速い子の後ろを追いかける、毎日、毎日。それをどう思うのか、ということに対しては、ハンデを上げても良い、という答えが二人ともから出ました。さっきと意見が違うのは、なぜでしょうか?彼らなりに理由を持っています、毎日、辛い思いをするのは可哀そうだから、などと。しかし、一方で、彼らはどんなハンデをつけようと、彼ら自身が一番になる気でいます。それであれば、このハンデには何の意味があるのでしょうか?

彼らは、どんなハンデがあろうと、自分が一番になる、というメンタリティを持っています。とても素晴らしい心の持ち方だと思います。それでは、ずっと一番にならない人々がいたときに、彼らはどのような気持ちをもち、どのような行動をおこなうのでしょうか。どうすべきなのか、これから大人になるまでに答えを用意しておきなさい、ということを伝えて、別の話に切り替えました。

彼らは走力は日々の積み重ねで、誰でもある一定レベルまで速くなることを知っています。彼らも最初から足が速かったわけではなく、自らが積み上げていったから。しかし、彼らが心のどこかで、努力をしないことが悪い、という自己責任論にならないように、釘を刺さないといけません。努力でどうにかなることをしないヤツが悪い、のではなく、努力したヤツが素晴らしい、という賞賛を受けるということだけで良いはずです。

この話のきっかけはニュースをみていて、日本の政治家の発言でした。彼らや我々の中に、フェアに対するしっかりとした信念があるのか、小学生たちも訝しがっています。新しい時代のリーダーとなる彼らにはしっかりとしたフェアの信念を積み上げさせる必要をひしひしと感じます。

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