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政治講座ⅴ995「ロシア連隊の末路とウクライナの反撃、過去のロシアとウクライナの顛末、米国との関係」

 西側からの戦車などの兵器が続々到着し、これから壮絶な反撃が開始される。プーチン氏の言葉に騙されてウクライナに侵攻した兵士には大変気の毒であるがロシアには戦争の大義名分がないのである。明らかな侵略行為そのものである。侵略に手を貸して非難される兵士も可哀そうな犠牲者である。お悔やみを申し上げるが、侵略されて犠牲になったウクライナ人も迷惑な話てある。すべてロシアの指導者の責任であろう。なお、巻末のプーチン氏の挨拶の発言については米国のCIAの民主化運動の裏工作が2014年の侵略に繋がったと言いたかったのであろう(ユーロマイダン革命)。それについては以前のブログで掲載した。今回はウクライナ侵攻までの報道記事と顛末を紹介する。

     皇紀2683年4月8日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

ロシア連隊の犠牲からみる「ウクライナ侵攻のコスト」 BBC追跡調査

BBC News によるストーリー • 1 時間前

マーク・アーバン、「ニューズナイト」外交・防衛編集長

ロシア連隊の犠牲からみる「ウクライナ侵攻のコスト」 BBC追跡調査© BBCニュース 提供

ウクライナ侵攻がロシアに与える影響を探る時、西部コストロマは悪くない場所だ。この街の名前を冠した名誉ある連隊は、ロシア政府がウクライナに仕掛けている作戦で、全ての大きな戦闘の最前線にいるからだ。

BBCの報道番組「ニューズナイト」は、昨年2月の侵攻開始直後から第331親衛空挺連隊、通称「コストロマ空挺連隊」を調査してきた。調査によって、この連隊や地元コミュニティーが払ってきた犠牲が明らかになった。BBCは、昨年4月の時点で39人、7月の時点で62人が亡くなっていることを確認している。現在では犠牲者は94人に上っている。

死亡者リストを作成する作業の大半は、ロシア版フェイスブックの「フコンタクテ」と、地元メディアの報道を総合することだ。さらに、このリストを人工衛星やグーグル・ストリートビューの画像と相互参照している。

フコンタクテに投稿されていたある動画には、コストロマ北東部にある軍の墓地が映っている。動画内の墓標に書かれた名前は、BBCが照合した多くの兵士の名前と一致している。

コストロマ空挺連隊の死者数は、実際にはもっと多いと思われる。一部の兵士はコストロマ出身ではないため、情報を追跡するのはさらに難しい。行方不明と報じられている兵士もいるが、一部は死者数に入っているかもしれない。

さらに重傷者や戦争捕虜のことを考えれば、同連隊はこの戦争で数百人の兵士を失っていると推測できる。

モスクワの北東300キロにある人口25万人ほどのコストロマでは、死者について多くの意見が出ている。ある地元のウェブサイトは昨春、9年続いたアフガニスタン戦争でのこの街の犠牲者は56人だったと記していた。ウクライナで多数の犠牲が出ていることが、地元当局による政治的な管理を難しいものにしている。

ロシア政府から任命されたコストロマ州のセルゲイ・シトニコフ知事は、この街の兵士が適切な支援を受けていると、市民に納得させようとしている。シトニコフ氏は病院や兵舎、さらには前線を訪ね、その様子を地元テレビ局に報じさせた。

昨年12月に前線を訪れた知事は視聴者に対し、「この兵士たちがまともな環境にいられるよう、手助けする必要がある」と語り掛けた。シトニコフ氏はクラウドファンディングによる差し入れと、商用ドローンを提供した。

シトニコフ氏はウラジーミル・プーチン大統領配下の役人であり、不都合な真実を語るような反体制的な、あるいは恐れ知らずの人物ではない。しかし前線を積極的に訪ね、間接的ではあるが不備を認めていることが、プーチン氏との興味深い対比になっている。

6カ月前に地元テレビ局が、第331連隊の動員兵を取材した際、シトニコフ知事はある意味率直な言葉を投げかけていた。

「皆さんの健康と成功、全ての作戦の完遂(中略)そして生きて故郷に戻ってくることを願っている」

幅広い動員の一環として空挺部隊員が召集されたことは、ウクライナでの作戦でロシア正規軍がどれほど疲弊しているかを物語っている。第331連隊がまさにその好例だ。昨年11月の軍事パレードには、前線に送られる直前の徴集兵150人が参加した。

第331連隊には1500~1700人ほどの兵士が所属しているとみられている。昨年2月に最初にウクライナに侵攻した際、同連隊は2大隊、合わせて1000~1200人を送り込んだ。首都キーウへの侵攻が失敗し、多大な犠牲が出た後に同連隊は撤退。昨夏は守備隊の駐屯地となっている南部ベルゴロドで立て直しを図った。

その後、同連隊はすべての主要戦場を次々移動している。初夏にはイジュームに、その後は南部ヘルソンに、そして現在は東部ドンバスに戻ってきた。

コストロマのソーシャルメディアに投稿される訃報の日付をモニタリングすれば、この連隊が先陣として使われている時期(さらにたいていの場合は場所)と、前線から退いて傷をいやしている期間を割り出すことが可能だ。たとえば、2月のまとまった死亡報告は、第331連隊がクレミンナでの戦闘に関わったことを示している。

昨年11月にテレビが報じたような、犠牲者分の人員補充が行われるたびに、既存の中核的な兵士は少なくなり隊全体の規模も縮小する。現在前線にいるのは300~400人以下の可能性がある。

兵士の犠牲、そして重傷者の帰還は、コストロマの地元にも影響している。戦争開始から数週間後、フコンタクテのあるユーザーは「毎日のようにコストロマの青年たちの写真が公開される。背筋が凍るようだ。何が起きている? これはいつ終わる?」との嘆きを投稿した。

地元メディアは、亡くなったコストロマの兵士たちの追悼特集を組んでいる。昨年12月には、ウクライナで殺された第331連隊の空挺部隊員エドゥアルド・レウノフ氏を追悼するプレートの除幕式が、テレビで放送された。追悼の方法や番組の語り口は、ソ連が1941~1945年にナチスと戦った「大祖国戦争」を思わせるもので、現在の兵士たちが同じように重要な目的のために戦っているとほのめかそうとしていた

しかしソーシャルメディアでは、より現代的な追悼の念や、復讐(ふくしゅう)の念を抱く人々も見受けられた。兵士たちは、レウノフ氏の元同級生や、恐らく家族からのメッセージが書き込まれた砲弾を手にしていた。

ロシア国内のいくつかの駐屯都市では、家を離れた兵士の妻や母親が、その軍服をまとった写真を撮ることがトレンドになっている。ある死亡した第331連隊所属の兵士の母親は、涙ながらに大祖国戦争について語り、「私たちの兵士たちの物語が書かれることを望んでいる」と話した。

戦争による犠牲に疑問を持つ人たちは、軽くあしらわれる傾向にある。フコンタクテのコストロマのページに、ある人物が「ウクライナは私の母国ではない。青年たちが無意味に死んでいる」と書き込んだ。するとすぐに、「ばかげた意見だ。そういうことをここに書く意味はない」というコメントが寄せられた。

シトニコフ氏のメディア露出からも明らかなように、当局は死傷者について不安を持つ人々をなだめようとしている。この戦争がロシア全土でどれほどの支持を集めているのかは明らかではないが、BBCが確認した動画からは、コストロマの兵士の家族の間には、大きな連帯があることがうかがえる。

第331連隊は、人員だけでなく装備面でも縮小している。特に、空挺戦闘車(BMD)が、度重なる戦闘で枯渇している。

同連隊が首都キーウへ向かう空挺部隊任務の一員だった当初、戦闘の映像からその車両を特定することは難しかった。

この任務に関わるあらゆる部隊が識別のために「V」の印を使っていた。逆三角形の内側に「3」が書かれた印も、第331連隊とは別の連隊が使用していた。

戦闘が進むにつれ、第331部隊の兵士らは、車体側面の「V」に臨時の印を追加した。「V」の横に「!」を描いたのだ。これは、指揮官が自分たちの装甲車を他の連隊のものと区別できるようにするためなのかもしれない。

結果として、BBCは第331連隊のBMDを個別に特定できるようになった。

同連隊のBMDは2022年3月、ウクライナからの撤退に伴って列車に載せられていた。その後、昨夏のドンバスでの戦闘で再確認できる。

オープンソースのアナリストらは、ウクライナ軍のSNSアカウントを総合し、破壊されたBMDの少なくとも25台に同様の印が付いていることを突き止めた。しかし、ウクライナ部隊から見えない場所で失われたコストロマ空挺連隊のBMDも多くあるだろう。犠牲となった兵士と同様、目に見える損害は全体を表さない。

ロシアのテレビ局NTVは今年2月、ルハンスクで作戦に従事する第331連隊の「装甲グループ」について報じた。しかしこの報道は、同連隊が特定の任務の先頭に立つことができる小さな分隊として存続しているという、他の資料から得た印象を再確認するだけものだった。カメラに映ったコールサインから、この部隊はわずか3台のBMDで構成されていることがわかった。

第331連隊の長い戦争は続いている。戦争がウクライナの人々に与えた広範な影響について、ロシアメディアはほとんど報じることがなく戦争犯罪の疑惑についても率直な報道はない。

第331連隊は、2014年の戦闘数百人のウクライナ兵を殺害したと批判されている。多くのウクライナ人にとって、昨今のロシアの敗退は、同連隊の自業自得としか思えないかもしれない。

一方で、コストロマの墓地には、ロシアの侵攻の失敗による犠牲の証拠が数多くある。そこには第331連隊の「最高峰」という評価と、たやすい勝利という夢も埋められている。

追加調査:マリア・ジェフスタジェヴァ、ルイ・ハリス=ホワイト

ウクライナ、4万人の志願兵部隊新設…反転攻勢「クリミア到達すればロシアと協議の用意」

読売新聞 によるストーリー • 昨日 20:37

 【ベルリン=中西賢司】ロイター通信は5日、ロシアの侵略を受けるウクライナが大規模な反転攻勢に向け、4万人規模の志願兵部隊を新設し、訓練を積んでいると報じた。

(写真:読売新聞)© 読売新聞

 志願兵部隊は露軍からの領土解放を目的に2月に内務省が募集を開始し、5000人規模の急襲旅団8個を編成した。正規軍の反攻を補完する役割が期待されており、昨年春の南東部マリウポリを巡る露軍との攻防に参加した戦闘経験者も含まれている。ウクライナの内務相はロイター通信に「経験者や治安要員の場合、訓練期間は未経験者の半分、約2か月で済む」と説明した。

 一方、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領は5日、ウクライナに旧ソ連製戦闘機「ミグ29」を追加供与する方針を表明した。到着済みの4機とは別に10機を支援し、供与数は計14機になる見通しだ。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の訪問に合わせて公表した。

 ウクライナの大統領府副長官は5日の英紙フィナンシャル・タイムズで、ウクライナ軍が、ロシアが2014年に一方的に併合した南部クリミアへの到達に成功すれば、「ロシアと協議の用意がある」と述べたウクライナ軍が一気にクリミア奪還に走ればロシアによる挑発を招きかねないとの米欧側の懸念を抑える狙いとみられる。

 プーチン露大統領は5日、昨年秋に一方的に併合したウクライナ東・南部4州の「暫定トップ」をモスクワに招き安全保障会議に出席させ、不法占拠の既成事実化を図った

 タス通信によると、モスクワ中心部の露国防省で5日夜、ぼやが発生した。プーチン政権はウクライナによる攻撃や反政権派による破壊工作への警戒感を強めており、一時騒然となった。

砲弾不足に陥るロシア軍、大砲はいつ使えなくなるのか

David Hambling によるストーリー • 1 時間前

旧ソ連の最高指導者スターリンが、大砲を「戦争の神」と呼んだのは有名だ。第二次世界大戦中、赤軍は破壊的な集中砲火を行うために戦線の局所に多くの大砲を集中させるという戦術に磨きをかけた。大砲は現在行われているウクライナでの戦争でも同様に重要で、死傷者の約80%は大砲によるものだ。だが、英国防省をはじめ、多くのアナリストはロシア軍が今、危機的な砲弾不足に直面していると指摘している。これは希望的観測なのだろうか。それともロシアの大砲は静まり始めるのだろうか。
いずれの評価も、ロシアがウクライナ侵攻時にどれくらいの砲弾を保有していたのか、砲弾の消費速度がどれくらいなのかに基づく。そのため、さまざまな数字が飛び交うのを目にしてきた。
米テレビCNNは1月に、ロシア軍が発射していた砲弾数が1日平均2万発から5000発に減少したという米当局者の指摘を報じた。これに対し、ウクライナ軍は1日あたり推定6万発から2万発に減少したという。
スペイン紙エル・パイスは3月に、欧州連合(EU)の内部情報筋の話としてロシア軍は1日あたり4万〜5万発を発射していると報じた。ウクライナへの砲弾の主要供給国であるラトビア政府の、ロシア軍が1日あたり推定2万〜6万発を発射しているという見方も伝えた。
また、同月にはウクライナのオレクシー・レズニコフ国防相が、弾薬の提供を求めるEUへの書簡の中で、ロシア軍は1日平均約1万5000発を発射していると述べている。
ウクライナの前線から戻ったポーランドの軍事情報企業Rochan Consulting(ロチャン・コンサルティング)の防衛アナリスト、コンラッド・ムジカは同月、ロシア軍が1日あたり推定約1万発の砲弾を消費しているとの見方を示した。
ロシア軍の砲弾の消費が1日6万発から2万発に減ったの、2万発から5000発になったのかはわからないが、発射回数が減っているのは多くの解説者が認めるところだ。
開戦当初、ウクライナのアナリストはロシア軍が約52万5000発を国内に備蓄していると推定していた。英テレビBBCのジャーナリスト、マーク・アーバンロシア軍の保有する砲弾の総数は1600万発に達するかもしれないと述べているが、ロシア軍自体も正確な数を把握しておらず40年以上前の砲弾のどれくらいの数が今でも使えるかもわかっていない可能性が高い。
発射回数の大幅減は備蓄が著しく枯渇していることを示唆している。ロシアは古い砲弾を備蓄から引き出していると報じられているが、その50%もの砲弾が明らかに錆びており保存状態はひどく、また製造から年数も経っているため良好な状態ではないようだ。部隊にはこれまで使用には適さないとされていた砲弾が支給されているという。
北大西洋条約機構(NATO)との本格的な戦争におそらく十分とされていた弾薬の備蓄を、ロシアはウクライナでの戦争目的を達成することなくどのように使ってきたのだろうか。ウクライナ軍は資源を最大限に活用するために精密な間接照準射撃を次第に発展させてきたドローンを使って狙いを調整し、的を絞った少数の砲弾でロシアの戦車を攻撃する。その一方で、ロシア軍はますます多くの火力に頼ってきた
ロシア軍の最初の進撃が失敗に終わった後の昨年8月、欧州評議会の外交に関する文書には以下のようにある。

ロシア軍はこれらの失敗を受けて集中砲火に頼る戦術に回帰した。ウクライナ軍の陣地に大規模な砲撃を数時間にわたって行い、歩兵や装甲車による攻勢のための道を切り開いた。ロシア軍は主にウクライナ東部でこの戦術を用い、結果として他の方法よりも多くの領土を獲得した」



米雑誌フォーリン・ポリシーの「ロシア軍が大量砲撃策を取り続ける理由」という見出しの記事で、執筆したルシアン・スタイアノ=ダニエルズは、米国が正確な砲撃の必要性を重視する一方で、ロシアは軍隊の不備を補うために大量の砲撃を用いることを好み、この戦術はナポレオン戦争以前に遡ると指摘している。 「兵力に資金を注げない、あるいは注ぎたくない軍隊は何か別のもので補わなければならない」と書いている。
これは特に市街戦において顕著で、ロシア軍はチェチェンで磨いた戦術を繰り返してきた。歩兵が建物ごとに戦うのではなく、抵抗に遭うと大量に発射された砲弾が区画全体を破壊する。その結果、占領した町や都市は完全に破壊され大量の弾薬が費やされることになる。
ウクライナ軍との戦いでもロシア軍の大砲は特定の目標ではなく敵がいる方向に砲弾を発射するのが目立ち、これは第一次世界大戦の戦場を思わせる。
この戦い方はロシア軍の砲兵司令官にとって規則に従っているまでのことだ。ロシア軍の射撃表には、あらゆる目標に対して集中砲火を行うのに必要な弾数が書かれており、これによると装甲車1台を破壊するのにさえ数百発が必要だ。

 このような弾薬の非効率的な使用に加えて、ロシア軍はもう1つ問題を抱えている。備蓄が長距離ミサイルなどによる攻撃で爆破されていることだ。これは、米国がウクライナに供与した高機動ロケット砲システム「HIMARS(ハイマース)」の主な用途の1つだったようで、ウクライナ軍は昨年7月に弾薬庫50カ所を破壊したと主張している。最初の数カ月間、ロシア軍の弾薬は前線からずっと後方に保管されていたが、明らかにかなりの量の弾薬が爆破され、前方の保管場所や個々の弾薬トラックさえも依然として定期的に攻撃を受けている。
備蓄がなくなれば、新たな供給源となるのは生産だけだ。ウクライナの推定では、ロシアは1カ月に約2万発、1日に700発弱の生産能力があるという。152ミリ砲1門は1分間に7~8発発射する。砲台が6門あれば15分の砲撃で700発前後を消費し、ウクライナ国内に展開するその他の部隊の分は残らない。部隊間での砲弾の奪い合いが激しくなり、ロシアの民間軍事会社ワグネルの部隊が砲弾を与えられていないと主張するのも無理はない。
ロシアにはまだ弾薬の備蓄がある。そしてロシアの軍需産業がプーチンの要求に応えようとする中で新しい弾薬の安定供給は続き、おそらく供給は増えるだろう。もしかしたら、イランから弾薬を追加購入することに成功するかもしれない。だが、1日に4万発、あるいは2万発、1万発消費することはもはや不可能だろう。ウクライナ軍参謀本部は、ロシア軍が今後2カ月で弾薬不足に陥ると確信している。ロシア軍の大砲は使い物にならないほど砲弾不足で、バフムート周辺での現在の攻撃は大砲支援なしの血まみれの歩兵突撃となっている。
次の段階ではウクライナ軍が攻勢をかけることが予想されるが、ロシア軍はその勢いを鈍らせるために大砲に頼るだろう。ロシア軍のキエフへの進撃を止めたときにウクライナ軍のドローン誘導の大砲がロシア軍に多くの損失を出したのと同じように。ロシア軍に十分な弾薬が残っているかどうか、そして弾薬を適切なタイミングで適切な場所に届けることができるかどうかが今後の展開において重要な要素となるだろう。(forbes.com 原文

ウクライナがロシアに侵入攻撃、プーチン氏威信に傷…「軽飛行機で爆弾投下」報道も

読売新聞 によるストーリー • 4 時間前

 ロシア国防省は6日、ロシアが侵略を続けるウクライナと接する露西部ブリャンスク州に「ウクライナ軍の破壊工作・偵察集団」が侵入したと発表した。ウクライナに拠点を置くロシア人部隊「ロシア義勇軍団」は6日、SNSで侵入の成功を発表し、露当局の発表は虚偽と主張した。

モスクワの「赤の広場」(2018年5月撮影)© 読売新聞

 義勇軍団のブリャンスク州への越境は3月2日以来で、2度目となる。プーチン露大統領は前回の侵入攻撃後にウクライナとの国境地帯の防衛強化を指示しており、威信が傷ついた。義勇軍団は身を隠す場所の提供で地元住民の協力を得たと主張し、「ロシアの解放闘争は勢いづいている」と訴えた。

 一方、露有力紙コメルサントによると、ブリャンスク州に5日朝、ウクライナから軽飛行機2機が飛来して爆弾を投下した。1機は墜落し、露治安当局が60歳代の操縦士を拘束した。露当局は、ウクライナ軍が露側防空網の偵察と攻撃目的で投入したとみている。

 インターファクス通信によれば、首都モスクワ南方約50キロ・メートルの民家付近で5日、爆発物を搭載していない自家製とみられる無人機が墜落しているのが見つかった。

 ロシアへの軽飛行機や無人機の飛来について、ウクライナ側は関与の有無を含めた反応を示していない。

ロシア軍勢い取り戻す…バフムト攻防戦で英国防省が分析

テレ朝news によるストーリー • 41 分前

 激しい攻防が続いているウクライナ東部バフムトの情勢について、イギリス国防省はロシア軍が勢いを取り戻しているとの新たな分析を発表しました。

ロシア軍勢い取り戻す…バフムト攻防戦で英国防省が分析© テレビ朝日

 イギリス国防省の7日の発表によりますと、バフムトの攻防でロシア軍は先月下旬以降、前進が大幅に行き詰まっていましたが、ここ数日、勢いを取り戻していて、現在、町の中心部まで進んでいるということです。

 その理由としてロシア軍が砲撃を有効的に活用しているほか、確執のあったロシア軍とロシアの民間軍事会社「ワグネル」が関係を改善した可能性があると分析しています。

 バフムトを巡っては、2日に「ワグネル」のプリゴジン氏が市庁舎の制圧を主張しましたが、ウクライナ軍司令官は制圧は嘘だと否定していました。

プーチン大統領「いまのウクライナ危機はアメリカが招いた」と大使らの前で演説も“拍手なし” 露メディアは「微妙な沈黙が流れた」と報道

TBS NEWS DIG によるストーリー • 50 分前

新任大使らの前に姿を現したロシアのプーチン大統領。アメリカ大使も出席する中、演説で「いまのウクライナ危機は、アメリカが招いた」と批判しました。最後には…

プーチン大統領「いまのウクライナ危機はアメリカが招いた」と大使らの前で演説も“拍手なし” 露メディアは「微妙な沈黙が流れた」と報道© TBS NEWS DIG

ロシア プーチン大統領「ご清聴ありがとうございました」
笑顔で式典を締めくくろうとしますが…プーチン大統領「以上です」
プーチン大統領(2021年)「ご清聴ありがとうございました」おととしの映像では、演説終了後に拍手が。

今回も拍手を待っていたのでしょうか。続いて「式典は終わり」だと説明。そして再び…
プーチン大統領「ありがとうございました」
少し頭を下げたり、大使たちに向け軽く手をあげたりしますが、ロシアの強い影響下にある未承認国家「アブハジア自治共和国」の大使もいるなかで式典は静かに終了。
ロシアの独立系メディアは「微妙な沈黙が流れた」と伝えました。

2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと「クッキーを配るヌーランド」

遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士 2022/5/1(日) 21:34

 2013年末、親露政権を倒すべくバイデンはウクライナ国民を焚きつけたが、部下のヌーランドが傀儡政権を画策している録音がリークされ、ウクライナ国民を懐柔するためにクッキーを配っている証拠写真もある。この時ウクライナは中国に助けを求めた。

ヌーランド氏


◆クッキーを配ってウクライナ国民を懐柔するヌーランドの写真

 日本には「飴(あめ)をしゃぶらせる」という言葉があるが、さすがアメリカ。

 「飴」ではなく、「クッキー」を配ってウクライナ国民の投票行動に影響を与えようとする発想に、まず驚く。

 他国への内政干渉であり、また選挙のために物品や金銭を配るという行為は、民主主義国家では禁じられているはずだが、「クッキー」はひとつの象徴に過ぎず、裏では大金が動いていた。

 日本には公職選挙法があり、選挙区内でウチワを配布しただけで法務大臣が辞任にまで追い込まれた例もある(2014年、松島みどり元法務大臣)が、当時のバイデン副大統領は、おおっぴらに「他国の内政に関与する選挙運動」を展開していたのだ。

 2013年11月21日の夜、ウクライナのキエフ(現在はキーウと表記)にあるマイダン・ネザレジノスティ (独立広場)で、激しい抗議活動が始まっていた。ウクライナ議会が、「EUとの連合協定」調印の中止を発表したのがきっかけだった。この詳細を書くと非常に長くなるので、ここではヴィクトリア・ヌーランド(当時のオバマ政権の国務次官補現在のバイデン政権の国務次官)の「クッキー配りの写真」に焦点を当てて考察したい(詳細は『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の第五章にある「年表」の前後をご覧いただきたい)。

 抗議行動は2014年2月に親露政権のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命するまで続いた。

 これを「マイダン革命」という。

 この「マイダン革命」勃発には、オバマ政権におけるバイデン副大統領やその部下に相当するヌーランドが関係しており、親露政権を倒して親欧米政権を樹立することに奔走していた事実を疑う人は今では少ないだろう。

 なんと言っても、2015年1月31日、CNNのインタビューで、当時のオバマ大統領が「(ヤヌコーヴィチ政権転覆のための)クーデターに、背後でアメリカが関与していた」という事実を認めたのだから。

 このことは、ロシア研究の最高権威である下斗米(しもとまい)伸夫教授(法政大学)も、平成28年3月に公益財団法人日本国際問題研究所が出した報告書〈平成27年度 外務省外交・安全保障調査研究事業「ポストTPPにおけるアジア太平洋地域の経済秩序の新展開」 ロシア部会「アジア太平洋地域における経済連携とロシアの東方シフトの検討」〉の「第1章 曲がり角に立つロシア・2016年」で認めておられる。

 さて、興味深いのは、そのときのヌーランドがクッキーを配る写真があることだ

(2013年12月に、ロイターの記者Andrew Kravchenkoが撮影)。リンク先をご覧いただければ確認できるが、念のため、このページに「動かぬ証拠」を貼り付けたいと思う。 


 まず一枚目。
配っている相手が、ウクライナ政府側の機動隊なのだろうか。差し伸べられた「クッキー」を、「嫌がっている」表情が見てとれる。「ほら、食べなさいよ、おいしいよ」と言っているヌーランドの声が聞こえそうだが、機動隊はニコリともせず、受け取ろうともしていない。当然だろうが、抗議デモを鎮圧しようとしている機動隊にまでクッキーを配って懐柔しようとしているのは、如何に熱心であるかを表していて、注目に値する。

 ヌーランドの横で、同じくクッキーを配っているのは、駐ウクライナのアメリカ大使Geoffrey Pyatt(ジェフリー・パイアット)だ。


2枚目

この写真では、ヌーランドがやや不機嫌に「あなたたち餓えてるんでしょ?こんなにクッキーがあるのに、受け取らないの?」と言っているような気配を漂わせている。背景にあるキエフの街が暴動で瓦礫(がれき)と化しているところを見ると、最初の暴動が起きた2013年11月21日以降に撮影されたものだろう。事実、撮影時は2013年12月となっている。「今から新政権を樹立するための選挙が行われる」という前のことになる。

3枚目の写真は親欧米派に囲まれたときの情景なのだろうか。

 少なからぬウクライナ国民が喜んでクッキーを受け取ろうとしている。積極的に動いているのは、やはりヌーランドで、駐ウクライナのアメリカ大使は、その行動を受け入れる姿勢で(温かく?)見守っている。

 これらの証拠写真により、オバマ大統領が「(親露政権打倒のための)マイダン革命にアメリカが関与していた」という趣旨のことを言ったことが「事実であった」ことを、私たちは確認することができる。こういった写真を残す行動に、ジャーナリストの高い意識と理念が伝わってくるようで、撮影した記者に尊敬の念を抱く。

◆ヌーランドが親米の傀儡政権人事を決めていた音声録音

 「たかがクッキーを配っているだけじゃないか」と思う読者がいるかもしれないが、実はそれだけではない。

ヌーランドが、新しく樹立させようとした親米のウクライナ政権に関して、人事まで決めていた会話が録音されてリークされた。そのお陰で、いま私たちはヌーランドの生の声を聴くことができる。会話の相手は前述の写真に出てくる駐ウクライナのアメリカ大使だ。

 リークされたのが「2014年2月4日」で、実際に会話が交わされたのは「2014年1月末」とのこと。

 ヌーランドが会話の中で列挙しているウクライナ政界の人物は「ボクシングの元ヘビー級世界チャンピオンであるクリチコ」や「ヤッツ(アルセニイ・ヤツェニュク)」などで、彼女は「ヤツェニュク」を、「経済経験のある人物」として評価している。のちに発足した親米のポロシェンコ政権で、「ヤツェニュク」は首相に就任している。

 親欧米というより、「親米」と書いたのは、ヌーランドが録音された会話の中で、"Fuck the EU"(EUのクソったれ!)と言っているからで、ヌーランドはEUに激しい不満を抱いているからだ。したがって、「アメリカの言いなりになってくれさえすればいい」と考えていたことが推測され、アメリカの傀儡政権を樹立させるためにバイデンやヌーランドが動いたと見るべきだろう。

 会話の信憑性に関して、アメリカ民主党の議員の何名かは「まちがいなくヌーランドの声だ」と認めているし、サキ報道官も「この録音は本物ではない」と言わなかったことから、録音された会話は本物だったと解釈される。

 何よりも、ヌーランド自身がEUを罵(ののし)ったことを謝罪しているので、疑う余地はないだろう。

 大統領代行時代を経て、2014年6月7日に新しく大統領の座に就いたのはポロシェンコである。6月4日、ヌーランドとアメリカ大使は、ポーランドのワルシャワでジョン・ケリー米国務長官と会談する前に、大統領に当選したポロシェンコにお祝いの挨拶に行っている

 アメリカの意のままに動くポロシェンコ大統領は、のちにバイデンの息子ハンター・バイデン(当時、ウクライナのエネルギー最大手プリスマ社の取締役)がスキャンダルで捜査を受けていたとき、捜査を担当している検事総長を解任せよとバイデンに言われ実際に解任している。解任しないとウクライナへの10億ドルの融資を撤回すると脅迫されたからだ。

 この事実は、解任された検事総長がメディアにばらしたことによって明らかになった

 これを傀儡政権と言わずして、何と言おう


◆マイダン革命を受けて習近平に会いに行ったヤヌコーヴィチ大統領

 時間的に少しさかのぼるが、マイダン革命が起きるとすぐに、ヤヌコーヴィチ大統領は北京に駆け付け、習近平に会って「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している(2013年12月5日)。

というのは、ヤヌコーヴィチは大統領に就任して間もない2010年6月に「中立を保ちNATOに加盟しない法律」を制定しているからだ。マイダン革命により辞任に追われることは明白だったので、「核」を放棄してしまっているウクライナとしては、安全保障を如何にして担保するかが、次の問題になるため、中国に「核攻撃を受けた場合に、中国がウクライナを守る」という保障を得たかったのである。

 親米のポロシェンコ政権になっても、また現在のゼレンスキー政権になっても、「中国ウクライナ友好協力条約」は撤廃されていない。バイデンにとってはロシアを倒したいのであって、中国との友好条約を撤廃しろとは言ってないことが何とも興味深い。*(注)

 核に関する問題は、3月29日のコラム<プーチンが核を使えば、習近平はプーチンを敵として戦わなければならなくなる――中ウ友好条約の威力>で考察したが、新しい情勢におけるさらなる考察は本論のテーマと異なるので、また別の機会に譲りたい。
*(注)なぜ中国なら大丈夫と思っているかというと、バイデンはNATOを支配していたいからで、NATOをまとめるには「巨大な共通の敵」がいないとならないからだ。それが「ロシア」であってNATOは「中国」という敵がいてもまとまらない。なぜ中国ではまとまらないかというと、NATOはそもそも旧ソ連に対抗するために結成されたものであり、中国とは距離的にも遠くかけ離れていたので中国を相手にしていなかったからだ。

 一方、NATOが存在しないとアメリカの存在価値は低くなり、武器も輸出できなくなるが、共和党のトランプ(元)大統領は「NATOなど要らない」として「NATO不要論」を前面に押し出していた。その代りに「アメリカ・ファースト」で「アメリカという国家の存在」を強く位置づけているところが「戦争ビジネス」をバックボーンとするバイデンと違うところだ。
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『「中国製造2025」の衝撃』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

ロシアのウクライナ侵攻の背景を読み解く

掲載日:2022年3月30日

ロシアがウクライナに侵攻してから約1か月。ロシア軍による攻撃が続き、民間人の被害が広がっています。ロシアが軍事侵攻に踏み切った背景に何があるのか。これまでの二国間関係、プーチン大統領の「ネオナチ」発言などについて、歴史社会学の観点からロシア・ユダヤ史やナショナリズム論などを研究し、教養学部でロシア・ウクライナ関係についても講じてきた鶴見太郎准教授に話を聞きました。

ウクライナとロシアとの関係は、必ずしも全貌が明らかではないキエフ・ルーシ(9~13世紀、ロシア人とウクライナ人、ベラルーシ人の共通の起源とされる)の時代を別にすると、ロシア帝国の時代にさかのぼります。

現在のウクライナの大部分はそれまでポーランド・リトアニア王国の領域でしたが、東部地域は17世紀にロシアの支配下に入ります。18世紀末のポーランド分割の際には、中部地域がエカテリーナ2世治世のロシアに、西部はハプスブルク家のオーストリアに併合されました。南下政策を進めるロシアは、オスマン帝国からクリミア半島も獲得します。それらロシア帝国に組み込まれた地域は政府主導で開発が推進され、東部では工業化が進み、鉄鋼業などが発展していきました。ソ連が成立すると、ウクライナはその一共和国となり、西部地域も組み込んで現在の国境が確定しました。

今でもウクライナの西部は農業が中心で、東部は工業が盛んです。私たちのヨーロッパのイメージでは、西に行くほど豊かという印象があると思いますが、ウクライナの場合は東のほうが稼ぎ頭で、かつロシアとの結びつきが強い。言語も、東部はロシア語の通用度がかなり高く、本来ロシアに対して心情的には親和的でした。ウクライナ全体としても、2014年のロシアによるクリミア併合までは、決して敵対的ではありませんでした。調査によって変動はありますが、NATO加盟に関して前向きな国民も、2014年以前はせいぜい3割程度でした。

経済においてもロシアとの関係は非常に重要で、独立以来、2014年を転機に依存度が低下するまで輸出入ではロシアがずっと1位。ロシア資本もかなり入っています。ウクライナの1人当たりのGDPはロシアの3分の1にすぎず、あえてロシアと敵対する動機をウクライナは持たないわけです。

一方でアイデンティティに関しては、1991年の独立以来、「ウクライナ」という単位で考える人が増えています。ソ連では血縁に基づく民族の意識がアイデンティティの基礎になっていて、ウクライナの人口の2割前後を占めるロシア人は必ずしもウクライナ人意識を持っていませんでしたが、独立後のウクライナでは、特に若い世代で、どの国で生まれたかがアイデンティティの重要な要素になってきました。1990年代の調査でも、東部のロシア系住民であってもウクライナ人としての意識を持っていて、西部とあまり変わらないことがわかっています。2014年以降、ウクライナのロシア系住民のあいだで、むしろウクライナ人としての意識を強めている人が増えているという調査結果もあります。社会の実情は、キエフ・ルーシの時代にさかのぼって同民族であることを強調するプーチン大統領の理解とは、かなり乖離しています。

クリミア併合が決定づけた親EU路線

―― ウクライナがEU寄りになった背景は何でしょうか?

1991年の独立後、ウクライナでは親ロシア派と親EU派が交互に政権交代してきました。2004年には「オレンジ革命」という民主革命で親EU派の大統領が誕生し、それに対しロシアはウクライナ向けの天然ガス供給を止めるなどして圧力をかけました。
すると、ロシアと不仲になるのはやはりよくないということで、次はロシア寄りのヤヌコビッチが当選した。そういうジグザグを続けていたので、ロシアからすると何かの拍子にEU寄りになるのではないかという警戒心を常に持っていました。

はたせるかな、2014年のユーロマイダン革命と呼ばれる政変でヤヌコビッチが政権を追われ、ウクライナは一気にEU寄りに傾きました。そこで危機感を持ったロシアが介入し、強引にクリミアを併合したため、ウクライナとの関係は後戻りできないほどに傷ついてしまった。このときを境に、NATO加盟に前向きな国民も年々少しずつ増えてきました。EUの経済的魅力がもともとあったにしても、まさにロシアの行動やあり方を見て、ウクライナ人は最終的にEU寄りになっていったといえます。

大統領選でも、それまではロシア寄りとEU寄りの一騎打ちになる傾向が強かったのですが、2014年以降の選挙では、親EUであることは大前提になりました。その意味では、2019年の大統領選は初めて国内問題がもっぱら争点になった選挙といえ、ウクライナ国内の汚職克服などへの期待から現大統領のゼレンスキーが当選しました。


チェチェン紛争の経験と「強いロシア」

―― プーチン大統領はなぜ侵攻に踏み切ったのでしょうか。

ストレートに言うと、ウクライナをロシア側につけるため、ということに尽きると思います。NATO東方拡大に危機感を持ったとか、ソ連ないしロシア帝国の復活への野望はあるでしょうが、それが現実的にできると誤認したことも重要です。

プーチン大統領のイメージにあったのは、恐らくチェチェン紛争です。ソ連崩壊後、ロシア連邦として組み込まれるはずだったチェチェン共和国が1991年に独立を宣言し、阻止しようとするロシアとのあいだで武力衝突に至りました。1994年に始まった1回目は制圧に失敗しましたが、2回目は1999年にプーチンが指揮を執ってから力でねじ伏せました。これによってチェチェンの姿勢が180度変わり、今では親プーチンのカディロフが首長です。力を行使すれば同じようなことがウクライナでもできる、ということを考えていたのではないでしょうか。

チェチェン人はムスリムですし、昔からロシアと折り合いが悪かったので抵抗が激しかったのですが、ウクライナ人はロシアを歓迎してくれるはず、とプーチンは本気で思い込んでいたのだろうと思います。

チェチェンは現在もロシア連邦の中で一番貧しい共和国の一つで、人口も100万くらい。しかし、ウクライナは人口も面積もその約40倍です。チェチェンでさえ第二次紛争の収束に10年くらいかかったので、チェチェン並みに抵抗があれば、とても数日のうちに制圧できるはずがない。恐らく、かなり甘い見込みで侵攻したのだと思います。

―― プーチン大統領が掲げる「強いロシア」はなぜ支持されてきたのでしょうか。

1991年のソ連崩壊後、90年代のロシアは経済的に非常に苦しく西側の支援がどうしても必要でした。その支援は今から思えば失敗で、今日までいろいろな形で尾を引いています。一言でいうと、全部民営化して市場に任せてしまえばうまくいく、という発想ロシア経済の体制転換を進めたことです。今まで国営企業で上からの指令に従ってきた国民は、市場というものをどう泳げばいいか全く分からなかった。急に激流に突き落とされて溺れてしまったというのが実情です。その混乱に乗じて成り上がったのがオリガルヒ(新興財閥)で、社会は犯罪や汚職がはびこり、ゆがんでいきました。

プーチンが大統領に就任した2000年以降、たまたまエネルギーの価格が急上昇し、それによってロシアは10年間の困窮の時期を脱しました。プーチンは、この経済の好転を味方につけながら、「強い国家」の下で社会を立て直していくという像を示した。10年間の苦しい時期を経たロシア人からすると、「強い国家」が秩序を回復してくれるという像はかなり説得力を持っていました。プーチンが陣頭に立った第二次チェチェン紛争に関しても、チェチェン側の猛反撃で泥沼化した第一次紛争で傷ついたプライドを取り戻す、という雰囲気があり、その強硬姿勢が国民に受けたと言えます。

西側との関係でも、ゴルバチョフが始めた冷戦終結は、ロシア人の感覚ではソ連が歩み寄って対等な関係で終結したものだったはずが、西側は自分たちの勝利として理解し、そこから認識のズレが始まっていたように思います。すでに東西ドイツ統一の時点からロシアの少なからぬ部分で不満が渦巻き始めており、事実ゴルバチョフはそれが要因の一つとなって軍にクーデターを起こされました。西側の支援があまり必要なくなったプーチン時代にその傾向が加速し、西側に対峙する意味でも「強いロシア」路線が支持されていきました。

プーチンが「非ナチ化」を主張する理由

―― プーチン大統領は侵攻を正当化する理由の一つとして「ナチ」という表現を使っています。

プーチンにとって、第二次世界大戦の記憶は、ロシア国内をまとめていく際のアイデンティティの核として非常に重要です。ソ連軍がナチスを打ち負かした、これによってソ連はもちろん世界が救われた、という意識を強く持っています。ソ連・ロシアは多民族国家ですが、それが一丸となってナチスに立ち向かったという記憶は、ロシアをまとめる上で重要な意味を持つのです。

ゼレンスキー大統領を「ナチス」や「ネオナチ」と呼ぶのは、ロシアだけでなく、世界のためにロシアが立ち向かうべき敵なんだ、というイメージを植え付けようとしているのだと思います。「ウクライナ人の多くは善良で本当はロシアと仲良くしたいが、少数の危険分子が彼らを惑わしているので、それを駆除する必要がある」という認識です。 ゼレンスキー大統領はユダヤ系で、先祖がホロコーストの犠牲になっているので、ナチスであるわけがないですが、ソ連・ロシアの文脈での「ナチス」は、ユダヤ人を虐殺したことではなく、ドイツの全体主義と軍国主義が世界に混迷と苦難をもたらした、ということがまずイメージされます。ゼレンスキーがユダヤ系だということはあまり気にしていないだろうと思います。

―― 国際社会への影響は?

すでに影響が現れているところでは、ドイツが軍備増強に舵を切りました。今後の成り行き次第でもありますが、ある程度軍事力の強化という流れになるのではないかと思います。

その一方で重要なのは、国際社会の1人1人がこれからどう行動していくかということだと思います。例えば、このような暴挙は国際社会がただではすませないということを、プーチンや、彼を支持する人たちにしっかり伝わるようにするということです。当面は経済制裁くらいしか手段がありませんが、これはロシアの次の行動を左右するだけではなく、例えば中国が今後どうするかという判断にも影響してくるはずです。同じようなことをすると経済的に大きな損をし、何も良いことがないと思わせられるかどうか、ということにかかっていると思います。 また、今回はソ連崩壊後の30年間で培われてきた被害妄想のようなものが効果を持ってしまったところがあります。そうした認識のズレを、ロシアに限らず、世界各地でどう解消していくかも、安全保障上の重要課題であることを物語っています。

鶴見太郎  総合文化研究科准教授

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻相関社会科学分野博士課程修了、博士(学術)。エルサレム・ヘブライ大学(日本学術振興会特別研究員として)、ニューヨーク大学(同海外特別研究員として)などにて研究。2016年より現職。著書に、第12回日本社会学会奨励賞を受賞した『ロシア・シオニズムの想像力』(2012年、東京大学出版会)、『イスラエルの起源』(2020年、講談社)など。


松里公孝「ロシア・ウクライナ戦争の地理」 

2022年06月08日 (水)

東京大学 教授 松里 公孝 

世界の注目を集めているロシア・ウクライナ戦争は、これまで主に三つの戦場で展開されてきました。

キエフ州、チェルニヒフ州などウクライナ東北部、ドンバス、そしてヘルソン州などのウクライナ南部です。

(1.ドンバス)

まず、今回の戦争の発端となったドンバス地域は、ドネツク、ルハンシクという2州からなっています。ドネツク州は、ロシア革命前の行政単位で言えば、エカテリノスラフ県、ドン・コサック州から成っています。エカテリノスラフとは「エカテリーナ大帝の栄光」という意味ですが、どちらかと言えば、こんにちのウクライナにつながる流れです。これに対して、ドン・コサック州は、こんにちのロシアにつながる流れです。
同様のことはルハンシク州にも言えます。つまり地域のアイデンティティからは、ドンバス2州はウクライナ共和国とロシア共和国のどちらに帰属してもよかったのです。
しかし、ソ連政府は、ウクライナ共和国を工業化の先進モデルにしようとしていたので、石炭や鉱物資源に恵まれ、鉄道建設も進んでいたドンバスをウクライナ共和国に含めました。
その狙いは当たり、ドンバスは、日本の地理の教科書にも載るような、ソ連を牽引する工業地帯になりました。ソ連末期のドンバスの民族構成は、ウクライナ人が約5割、ロシア人が4割強でしたが、工業化の中でソ連中から様々な民族が流入したため、ウクライナ人と言っても多文化主義的で、ウクライナ民族主義を嫌い、ロシア語で話す人がほとんどでした。

そのため、ドンバスは、ウクライナで民族主義が盛り上がる度に抵抗し、分離主義的な傾向を示してきました。過去に、ドンバスの分離主義が高揚した例は3回ありました。①ソ連末期からウクライナ独立の初期、②2004―2005年のオレンジ革命、③2014年のユーロマイダン革命です。
1994年にロシアのエリツィン政権がチェチェン戦争を始めたため、独立当初のドンバスの分離主義は下火になりました。ドンバスの市民は、経済的にたとえ苦しくとも、息子を戦争にとられることのない平和なウクライナの方がロシアよりもいいと考えたのです。
独立当初の分離主義が下火になった第二の理由は、隣人です。ドンバスの隣にあったのはロストフ州という、当時はロシア南部の遅れた州で、ドンバスの人たちはこの隣人をやや見下していました。ドンバスの人々にとっては、ソ連のエリート州だった頃が一番幸せだったのですが、ソ連がなくなったいま、ロシア南部の田舎地方になるよりも、ウクライナのエリート州であり続けるのが次善の策と考えたのです。
ところが21世紀に入ると、ロシアの南部連邦管区の首都として発展したロストフ市と、ドネツク市の地位は逆転してしまいました。先日戦闘で破壊されたマリウポリの主要産業は冶金でしたが、設備は老朽化して大気汚染もひどかったです。ドンバスの炭鉱ではソ連時代以来の機械が使われ続け、しばしば死亡事故が起こりました。こうしたことから、オリガークと呼ばれる地域の大富豪に対する庶民の不満は蓄積していました。
2014年のユーロマイダン革命は、最初は、「欧州連合に接近することによってウクライナの社会経済を近代化する」という健全な目標を掲げていましたが、あっという間に暴力革命化しました。これに対抗して、ドネツク州では社会のマージナル層が州行政府庁舎を占拠しました。
クリミアやドンバスの住民は、革命の暴力の矛先は自分たちに向けられるのではないかと恐れ、住民投票を行って、ロシアに帰属替えしてロシアの軍事力で守ってもらおうとしました。クリミア住民はこれに成功しましたが、ドンバスでは住民投票のせいで対立がかえって先鋭化し、本格的戦争になってしまいました。

ウクライナの紛争を親露・対・親欧米といった地政学対立だけで解釈するのは間違いです。2014年のドンバスの運動に「反オリガーク」という社会革命的な性格があったこと、暴力に対する住民のおそれと安全志向があったという点を付け加えたいと思います。

(2.チェルニヒフ州)

次にチェルニヒフ州についてお話しします。

ウクライナの大半は、もともとはポーランド領であるかオスマン帝国の宗主下にあったのですが、それが次第にロシアやソ連に併合され、ソ連が解体した時点で独立国家になりました。ポーランド支配からロシア支配に最初に移ったのがウクライナ東部で、17世紀半ばの出来事でした。ウクライナ南部は18世紀後半にオスマン帝国の宗主下からロシア帝国に移り、ロシア支配は相対的に短いのですが、移民の入植により建設された地域なので多民族的になりました。この東部と南部が、親露的と言われていたのです。
ロシアがウクライナ侵攻を始めたとき、ロシア軍は、ベラルーシからウクライナ北東部へ、クリミアからウクライナ南部へ入ってきました。
プーチン大統領は、「ウクライナにおけるロシア語系住民の保護」を戦争目的として掲げましたが、皮肉にも、ロシア語話者が大多数の東部や南部の州民に砲弾を浴びせることになりました。
少なくとも今回の戦争の前までは、ウクライナやモルドヴァの地方住民、特に高齢者層の中では、プーチン大統領のファンが多かったです。威厳ある統治を行っていること、ウクライナやモルドヴァに比べればロシアの生活水準や年金が顕著に高いことから、尊敬を集めていたのです。ロシアの砲弾の的になったチェルニヒフ州の住民は、「プーチンに裏切られた」と感じたでしょう。

(3.ヘルソン州)

3月末には、ロシア軍は、北部のキエフ州、チェルニヒフ州から撤退しました。ところが南部のヘルソン州からは撤退せず、しかも、この州をロシア連邦に編入するかのような政策をとっています。

ロシアがヘルソン州にこだわる第一の理由は、クリミア対策です。降雨量が足りないクリミアは、ヘルソン州から水供給を受けていましたが、ロシアに併合されてからは、ウクライナ側は水供給を止めていました。また、ウクライナの活動家がヘルソン州の高圧電線を爆破して、クリミアを数日間停電に追い込んだこともありました。経済的にも、ヘルソン州から農産物を購入することで、クリミアの観光業は成り立っていました。
ロシアがヘルソンにこだわる第二の理由は、ヘルソン州がオデサ州への橋頭保になるからです。オデサは世界的に有名な海港であり、ロシアは領土的野心を抱いております。
オデサの経済的魅力に加え、2014年のユーロマイダン革命中に、まさにオデサで労働組合会館放火事件が起こりました。これは、親露派活動家が立て籠もった労働組合会館にマイダン革命支持者が放火し、40人以上が犠牲になった痛ましい事件です。犯人は一人も捕まっていません。
プーチン大統領は、ドンバス2共和国を国家承認した演説で、オデサ放火事件にわざわざ言及し、「自分たちは犯人の名を知っているので、必ず逮捕して裁判にかける」と決意表明しました。5月9日の第2次世界大戦・戦勝記念日の黙祷でも、大戦の犠牲者や今回の戦争の戦死者と合わせて、オデサ放火事件の犠牲者を黙祷の対象に含めました。
つまり、8年前のオデサ労働組合会館放火事件を蒸し返して処理するということが、プーチンの一種の戦争目的になってしまったのです。
しかし、8年前の大量殺人事件に関与した人たちが、今日のオデサにのほほんと住み続けているとは考えられないので、これは奇妙な戦争目的です。

今日は、ロシア・ウクライナ戦争の舞台となったドンバス、チェルニヒフ、ヘルソンという3地域を地理的に概観しました。視聴者の皆様が、この戦争を理解する助けになれば幸いです。

遂につかんだ「バイデンの動かぬ証拠」――2014年ウクライナ親露政権打倒の首謀者

遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士 2022/5/6(金) 12:58

 ヌーランドの会話録音の中に「バイデン」という言葉があり、バイデンの自叙伝を詳細に分析したところ、マイダン革命の首謀者がバイデンでヤヌコーヴィチ大統領に亡命を迫ったのもバイデンだったことが判明した。

◆ヌーランドの会話録音の中に一ヵ所「バイデン」が

 5月1日のコラム<2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと「クッキーを配るヌーランド」>でヌーランドの音声を拾ったが、そのとき、後半の方に出てくる“Biden”(バイデン)という言葉に関しては言及しなかった。

 なぜなら、バイデンに関しては、マイダン革命が起きてから、親露派のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命するまでの3ヵ月の間に9回もヤヌコーヴィチに電話しているという情報があり、そのことはバイデン自叙伝に書いてあるとのことなので、それを深く考察して、真相を確認してから書こうと思っていたからだ。

 このたびバイデン自叙伝“Promise Me, Dad”(約束して、父さん)の関連部分を読み終わり確信を得たので、ヌーランドの会話録音の中にある、バイデンに関する部分も含めて、分析を試みることとした。

 まず、リークされた会話録音の中で、ヌーランドは、次のように言っている。文中のジェフは、駐ウクライナのアメリカ大使Geoffrey Pyatt(ジェフリー・パイアット)のことだ。

 ――ほら、だからね、ジェフ、私がサリバンにメモを渡したじゃない?そしたら 彼、大急ぎで戻ってきて、私に「あなたにはバイデン(の力)が必要だ」って言うわけ。だからね、私、言ったのよ。たぶん明日にはあの「イカシタ男」(=バイデン)に連絡して詳細を固めるってね。だって、これはバイデンの積極的な意図なんだからさ。

(ここに出てくるサリバン、当時のバイデン副大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務めていた人で、現在はバイデン大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務めている人物だ。)

 非常に長い会話の中の一部分なので、分かりにくいかもしれない。前回のコラムの続きでもあるので、重複するが一応ご説明すると、要は、親露派のヤヌコーヴィチ政権を倒すためのマイダン革命において、アメリカ(バイデンやヌーランドなど)が背後で動いていたということに関して、2015年1月に当時のオバマ大統領がCNNの取材でも認めており、その具体的な動きに関する会話(当時のヌーランド国務次官補と駐ウクライナのアメリカ大使との会話)が録音され、リークされていたという話である。

 上掲の録音内容は、オバマも認めた「背後でアメリカが動いていた」という、その人物たちのトップには「バイデン副大統領がいた」ということを証明している。


◆バイデンは親露派のヤヌコーヴィチに3ヵ月で9回も電話

 ヤヌコーヴィチ政権を倒すためのマイダン革命が勃発したのは2013年11月21日で、ヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命したのは2014年2月22日だった。

 その3ヶ月間に、バイデンは9回もヤヌコーヴィチに電話をしている。

 これに関する情報は複数あるが、たとえば2014年2月25日のnbcnewsはAP通信の情報として報道している

 それならバイデンヤヌコーヴィチに対して親切で好意的だったのかというと、全くそうではない。その逆だ

 たとえば、ウクライナの国営放送のウェブサイトであるukrinformは、<Biden says he had urged Yanukovych to flee Ukraine(バイデンは、ヤヌコーヴィチがウクライナから亡命するよう急き立てた)>という見出しで、バイデンの電話の内容を報道している。

 そこには、詳細はバイデンの自叙伝“Promise Me, Dad”にあるというので、それを購入して読むことにした。


◆バイデンの自叙伝に書いてあるヤヌコーヴィチとの電話

 数多くあるので、電話の内容を全て書くわけにはいかないが、最も決定的なのは2014年2月20日に掛けた電話の内容で、その前後の流れに関して、バイデンの自叙伝には、以下のように書いてある。概略的に示す。

 ●私はヤヌコーヴィチとは2009年にウクライナに行った時から接触している。

 ●2014年2月下旬(2月20日)に掛けた電話で、私(バイデン)はヤヌコーヴィチに「あなたは立ち去らなければならないという時が来た(=立ち去るべきだ)」と言った。「あなたの唯一の支持者は、政治の後援者とクレムリンだけだ」ということを、私は彼に忠告した。

 ●「ウクライナ人は、もう誰もあなたのことを信用してない」と、私はヤヌコーヴィチに言った。

 ●この不名誉な大統領は翌日、ウクライナから逃亡し、政府の支配は一時的にアルセニー・ヤツェニュクという若い愛国者の手に渡った。


 ウクライナの国営放送のウェブサイトにある通り、「バイデンがヤヌコーヴィチをロシア亡命へと追いやった」のである。ヤヌコーヴィチがウクライナからいなくなれば、ヤヌコーヴィチ政権は完全に崩壊し、ウクライナはバイデンたちが人事まで決めている親米政権になる。

 案の定、ヌーランドの録音の中にある「ヤツェニュク」の手に政権が一時的に渡り、最終的にバイデンの腹心のポロシェンコ6月に大統領に就任するのである。  

 「一時的に」と書いたのは、バイデンの自叙伝にcontrol of the government ended up temporarily in the hands of a young patriot named Arseniy Yatsenyukとあるからだが、ヤツェニュクは2014年2月27日 ~2016年4月14日と、約2年間首相を務めたので、「一時的」という言葉を使うなら「2014年2月23日 ~ 2014年6月7日の間大統領代行を務めた」オレクサンドル・トゥルチノフと書くべきかもしれないが、“Promise Me, Dad”の原文に沿って解説した。

 こうして、完全に「バイデンのための」ウクライナ政府が出来上がっていく。

 ヌーランドの会話録音とバイデンの自叙伝を突き合わせれば、これぞ正に、「動かぬ証拠」ではないだろうか。


◆バイデンの狙いはエネルギー資源か

 なぜ、そこまでしてバイデンがウクライナを意のままに動かせるようにしたかったのかに関しては、バイデンが2009年7月から「ウクライナがNATOに加盟すれば、アメリカはウクライナを強くサポートしていく」と言い続けていたように、ウクライナを親露ではなく親欧米の国にしたかったという基本はあるものの、もう少し詳細に見れば、何よりも「エネルギー資源」の問題が際立っている。

 その証拠に、ヤヌコーヴィチがロシアに亡命した2ヶ月後の2014年4月20日、バイデンはウクライナの議会で演説し、その後、臨時政府の首相となったヤツェニュクと記者会見に臨んだりしたが、いずれの場合も「エネルギー安全保障問題」に触れ、ロシアからの天然ガス供給に依存しないで、独立しなければならないと強調し、アメリカはそのためにウクライナを支援する用意があると述べている。

 すなわち、エネルギー資源として、アメリカは長いこと中東の石油に頼ってきたが、アメリカでシェールガスが生産されるようになってからは、ロシアの天然ガスとの競争に入るようになっていた。

 事実、2014年にポロシェンコ政権が誕生して以降、ウクライナはロシア産天然ガスへの依存を低下させる政策を実施している。

 ロシアの天然ガスの多くは、ウクライナを経由したパイプラインによりヨーロッパに送られており、ウクライナはロシア天然ガス輸出の要衝だ。ウクライナはその仲介料という収入をロシアから得ていたので、本来ならロシアとウクライナはウィン・ウィンの関係にあるはずだが、ウクライナはガス料金未払いや「ガスの抜き取り」などを年中やっていたので、ロシアとウクライナの間では「ガス紛争」が起きていた。それを回避するために、ドイツはウクライナを経由しない「ノルド・ストリーム」を別途建設したくらいである。

 このように、ウクライナは、「ロシア天然ガスの対欧州パイプライン拠点」としての位置づけがあり、バイデンとしてはウクライナを「アメリカの采配下」に置いて、ロシアの天然ガスに対抗したかったものと解釈することができる。

 そうしないと、アメリカが入る余地がなくなる

 となると、NATOも必要なくなりNATOが無ければ、「アメリカが君臨する組織」が無くなりアメリカの権威が失墜する。

 そのような中で中国経済が成長し、習近平とプーチンが蜜月になったのでは困る。しかし習近平はアメリカからの制裁を逃れるために、西へ西へと経済的勢力を伸ばしていき、「一帯一路」構想でアジア・ユーラシア大陸をつなげようとしている。ウクライナは中国から見ても一帯一路のヨーロッパへの中継地になる。

 ウクライナを押さえておかねば、世界の勢力図が、アメリカを頂点としたものではなくなることを、バイデンは憂慮したものと解釈することができる。


◆ハンター・バイデンがウクライナ最大手天然ガス会社の取締役に

 その象徴のように突如、登場したのがバイデンの息子のハンター・バイデンだ。

 なんとバイデン(副大統領)の、ウクライナ議会における演説が終わるとまもなく、ハンターは突如、ウクライナの天然ガス関連の最大手であるブリスマ(Burisma)社の取締役の職に就いてしまったのである。

 ブリスマは民間企業ではあるものの、実はヤヌコーヴィチ政権時代の国家安全保障防衛評議会の経済社会保障副長官だったミコラ・ズロチェフスキーが創設に関わっており、実際上、彼が支配していた。その意味でも、バイデンとしては、ヤヌコーヴィチには何としてもウクライナを去って頂かなければならなかったのだ。

 ハンターは父親のバイデンがウクライナを訪問するたびに、必ずと言っていいほど同行していた。

◆バイデン訪中でもハンターが同行

 実はバイデンは、2013年12月4日に、訪中して習近平と会談している

 訪中目的は中国が設けた防空識別圏に関して抗議するためだとか言っているが、何のことはない、同行したのはハンターで、ハンターは2013年6月に北京に設立したBHRパートナーズというファンドとの話があり、その宣伝のために父親を利用している。それ以外にも中国ではさまざまなビジネスに関わり、現在アメリカで捜査対象となっている上に本論から外れるので、ここでは触れない。

 一方、これまで何度か触れた、ヤヌコーヴィチが大統領として訪中したのは2013年12月3日で、マイダン革命が進行中にウクライナを離れることなどできないはずだが、4日はやむなく西安の兵馬俑を参観で時間を潰し、12月5日に習近平と会談し「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している

 バイデンと会った時と比べて、会談の雰囲気は華やかで、報道も大きかった。

 あのときは、まるで「ウクライナが米中のどちらを向くか」、奪い合いをしているように映った。

 以上、一つのコラムでは語り切れないが、少なくとも拙著『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の「第五章 バイデンに利用され捨てられたウクライナの悲痛」で書いたことは正しかったことが確認できてホッとしているところだ。

 追記:言うまでもないが、ロシアの侵略行為は絶対に許されるものではない。武力を行使したプーチンは残虐なだけでなく愚かであり、敗北者であるとさえ言うことができる。

 ただ、もしアメリカの大統領がトランプだったら絶対にウクライナ戦争は起きてなかったことだけは確かだ。トランプは「NATOなど要らない!」と主張し、プーチンとは仲良しだった。トランプ政権時代、中国では「プーチンとトランプがハグする風刺画」が流行り、習近平が指をくわえて羨ましそうに見ているというイラストも出回ったことさえある。ウクライナ戦争によって人類は再び軍拡を中心とする時代に戻ってしまった。アメリカのLNG産業と軍事産業は儲かるだろうが、戦争を引き起こした遠因を直視しなければ、次に犠牲になるのは日本だ。そのためには真相を追及しなければならないと考えているだけである。

遠藤誉  中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『「中国製造2025」の衝撃』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

参考文献・参考資料

ロシア連隊の犠牲からみる「ウクライナ侵攻のコスト」 BBC追跡調査 (msn.com)

ウクライナ、4万人の志願兵部隊新設…反転攻勢「クリミア到達すればロシアと協議の用意」 (msn.com)

砲弾不足に陥るロシア軍、大砲はいつ使えなくなるのか (msn.com)

ウクライナがロシアに侵入攻撃、プーチン氏威信に傷…「軽飛行機で爆弾投下」報道も (msn.com)

ロシア軍勢い取り戻す…バフムト攻防戦で英国防省が分析 (msn.com)

プーチン大統領「いまのウクライナ危機はアメリカが招いた」と大使らの前で演説も“拍手なし” 露メディアは「微妙な沈黙が流れた」と報道 (msn.com)

ロシアのウクライナ侵攻の背景を読み解く | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)

松里公孝「ロシア・ウクライナ戦争の地理」  NHK解説委員室

遂につかんだ「バイデンの動かぬ証拠」――2014年ウクライナ親露政権打倒の首謀者(遠藤誉) - 個人 - Yahoo!ニュース

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