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【放送作家】TVからハリセンが消える日

Twitterがバズった

先日とある番組の収録で
ちょっとしたオチとしてハリセンを使ったのだが
ハリセンを扱ったシーンが丸ごとカットされた。

局側がコンプライアンス違反と判断したという。

(全局でハリセンが禁止された訳ではない)

ハリセンもダメなのか、

と意外だったので、
Twitterで呟いたところ想像以上の反響があり
およそ1万5千件のリツイートにより
あれよあれよと拡散され
引用リツイートも含めると
実に2500件ものコメントが寄せられた。

さらに何件か取材の問い合わせが来たり、
無断でネット記事にされたりもして
それまでバズることに憧れのような思いがあったが
いざなってみると最初は興味深く
現象を楽しめたものの
時間が経つ毎に罵詈雑言が飛び交い
2日目には嬉しさよりも憂鬱さが勝った。

ただ、反響のお陰で
色々とコンプライアンスについて
考えを深めるきっかけになったので
少しまとめてここに書き記しておきたい。

ハリセンは暴力的か?

2500件以上のコメント。
その9割以上を占めたのが
ハリセンを惜しむ言うなればハリセンロスな反応や
バラエティ番組の未来を案じる声だった。

想像以上にハリセンには多くのファンがいて
まず、そのことに驚かされた。

一方、残りの小数派の意見として
「ハリセンのような暴力的なものは
 無くなって当然」
という論調の声も寄せられた。

ハリセンが暴力的。

なるほど、そう感じる人もいるのかと思った。

そもそもハリセンとはネット調べによると
チャンバラトリオが40年ほど前に
発明したコントの小道具で
型紙を扇子状に折ったものだ。

ちなみに語源は頭を張る(「叩く」の関西弁)扇子
を略してハリセンとのこと。

これを大きく振りかぶって相手の頭を叩くわけだが
見た目に反して大きな音が鳴り響く。
受けた者は「何すんねん!」とばかりに
大きなリアクションをするが
実際には全く痛くないという代物。

長年、バラエティ番組で重宝されてきたが
見様見真似で世間の子供たちが自作して遊び
一般に定着するようになると
今度は昭和を感じさせる
ベタなバラエティアイテムとして
敢えて使うケースが増えたように思われる。

実際に今回、私が書いた台本でも
そういった意図で採用した。

しかし、今回の一件を通して
《痛そうに見えても叩かれた側は痛くない》
という事実を知らない人や
そもそも《叩く》という行為に嫌悪感を抱く
視聴者は少なからず確実に存在して

そういう人たちにとってハリセンで頭を叩く行為は
実際に痛みは伴わなくても
「暴力的」と見なされることが分かった。

この酷く曖昧で感覚的な見なし
それを認める(黙認する)ことが
今後、どんな影響を及ぼすのか計り知れない。

もう一度言うがハリセンは安全だ。
子供が真似をして叩いても問題はない。

むしろ私自身、子供の頃、ハリセンを作っては
ウケ狙いで同級生に頭を思いっきり叩かせて
コテコテなリアクションを取って
笑いを誘うことを楽しんでいたタイプだった。

暴力は誰でも嫌いだ。

だが暴力的に見えて安全なものほど
子供にとって楽しいオモチャは無い。

コンプライアンスが厳しくなったのは
今に始まったことではない。
昨今のバラエティは
既にコンプライアンスを重視して
その絶妙なラインを探っている。

もう十分じゃないか、と言う思いが去来する。

拡大解釈への懸念

私の知る限りハリセンを禁止するルールは
存在しない。

2022年4月15日、
BPOは「痛みを伴うことを笑いの対象にする
バラエティー」を自粛するよう呼びかけた。

前述の通り痛みを伴わないハリセンは
上記サイト内のBPOの見解と照らし合わせてみると
なんの問題もないことが分かる。

今回、ハリセンがコンプライアンスに抵触すると
判断したのは あるテレビ局だ。

上記のBPOの呼びかけを拡大解釈したのか、
小数派の視聴者がハリセンさえも「暴力的」と
受け取ることを見越したのか、
ハリセンの使用シーンをカットするよう
制作サイドに指示が降りてきた。

バラエティの歴史を遡れば
過去にはイジメを助長するような演出もあったし
同じ過ちが起きないよう注視は必要だと思う。

(一方でコンプライアンスが厳しくなったことで
 イジメが減ったのか検証の必要性も感じている)

だが昨今のハラスメントがそうであるように
コンプライアンスもまた言ったもの勝ちのような
風潮があるのではないか。

ましてや今回の件は言ったもの勝ちどころか
《言ってさえしていないもの勝ち》
という状況である。

自粛、自主規制、忖度。

そんな風潮が急激に強まっていないか。

いま出来ること

大前提として私は
テレビ業界を代表する立場でもなければ
いわゆる売れっ子放送作家でもない。
チーフ作家を務めることもあるが
色んなしがらみの中で
思い通りにいかないことの方が多い。

そんな しがない放送作家が
出来ることはひとつだけ。

懸命に新しくて面白い企画を考え続けることだ。

コンプライアンスへの意識は
制作側も視聴者も高まっていく。
この大きな流れに抗えないことは理解している。
時代の価値観は変化し続けるものだから。

今回「バラエティ終わった」と悲観する声を散見した。
だが私は「終わる」どころかここにきてバラエティの進化を感じている。

例えば「水曜のダウンタウン」は最先端のセンスで制作され、
それでいてTverのランキングでは
毎回1位を獲るなど見事に成功を収めている。

この一年で視聴率のターゲットが
視聴者全体から若者にシフトしたり、
SNSでバズることが良いとされたり、
最近だとテレビ局から出される新番組の募集要項に
「エッジの効いた企画」や「ぶっ飛んだ企画」
という言葉が見られるようになった。

いま確実に新しい流れが生まれようとしている。

テレビの前には、いろんな人がいる。

全員を腹から笑わせることを夢見るが
それは叶わない願いなのだろう。

それでも、そんな番組を目指して
日々、奮闘しているテレビマンが大勢いることを
どうか知っていただきたい。

楽観的な視点

ちなみに私は現在2歳の息子を持つ父である。
息子が見るテレビは内容を吟味して厳選するし
親として見せたく無いシーンが
不意に流れてきた時は
撮り溜めしている機関車トーマスを映す。

この世の全てのコンテンツが
全体からするとマイノリティに当たる2歳児にとって
安全に楽しめる内容になっている訳がない。

YouTubeやNetflixなど
配信メディアが多様化したいま
自分に合ったメディアやコンテンツを探して
自分ならではの楽しみ方を確立することが
より快適なコンテンツライフを送る
秘訣なのだと思っている。

今後はさまざまな配信サービスを通して
テレビ局を選ぶ時代から
直接コンテンツを選ぶ時代に
なっていくものと思われる。
そうなれば、コンプライアンスとの向き合い方も
変わってくるのかもしれない。

一定レベルまでコンプライアンスが保たれていれば
あとは「不快なコンテンツは選ばない」という
習慣さえ視聴者に定着してしまえば
これ以上の制限は生まれないかもしれない。

と、そんな楽観的な未来を想像したりもするが
果たして、そうなるまでに
どれくらいの年月を必要とするのか。。。

未来に向けての提案

テレビ業界は大多数の制作会社の社員と
フリーランスの人間で構成される。
制作費が下がり続ける中、
撮り直しのリスクを抱えることは死活問題なので
さまざまな場面で二の足を踏んでは
自主規制をしがちだ。

現場が萎縮せずに面白い番組を作るためには
やはりテレビ局の幹部やBPOの皆さまに
頑張って頂きたいというのが
制作現場からの切な願いではないだろうか。

そこで幾つか案を考えてみた。

例えば、テレビ局にはクレームが寄せられるが
従来のように個別に対応しつつも
家電メーカーのホームページで見かける
「よくあるご質問」ページのように
クレームとそれに対する説明を開示していけば
視聴者の理解を深めていく一助にならないか。

或いはBPOは主にNGなケースとその解説を
ホームページ上で紹介しているが
「痛みを伴う行為による笑い」がOKな例を
幾つか基準として挙げて
公開するのも良いかもしれない。

※「痛みを伴う行為による笑い」について
 場合によっては認めている旨の一文がある。

番組の中で暴力シーンが提示される文脈(ストーリー)や、暴力を振るう個人と暴力を振るわれる個人の関係性によってその意味が大きく違ってくる。
事前に両者の間の一定の了解ないしはルールが明示されている場合と、そうでない場合で、視聴者の受ける情動的インパクトは大きく異なる。

BPO HPより

更にこのOKリストを毎年更新していけば
現場の共通認識が生まれて思う存分に
攻めた番組作りが出来ないだろうか。

最後に

清水に魚、棲まず。

バラエティの浄化が急速に進む中で
上がってもないクレームを見越して行われる
行き過ぎた浄化はきっと誰も望んでいない。

もしかすると
「視聴者に理解をしてもらう」という努力を
テレビマンが自分ごととして始める時が
もう来ているのかもしれない。

今回の件で、そんな思いに駆られ
Twitterに寄せられたコメントに
出来るだけ返信をしたり
このような形で思いの丈をnoteに残すに至った。

放送作家であり父でもある私が願うことはひとつ。

息子が大きくなった時、
一緒にテレビを見て腹を抱えて笑いたい。

そんな番組作りに向けて今夜も企画書を書かねば。

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