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恋は「嫌われたくない」と思うこと、愛は「嫌われてもいい」と思うこと

恋は「嫌われたくない」と思うこと。愛は「嫌われてもいい」と思うこと。

これが、わたしが思う恋と愛の違いだ。

恋と愛の違いなんて、きっと何千年も議論されてきた。哲学者たちは愛を語る。正解なんてないまま、それぞれの生き様だけがただ"答え"になる。月並みながら、わたしも語ろうと思う。わたしの思う、恋と愛の違いについて。

恋をすることで、わたしは息をしてきたタイプの人間だ。この世界に未練なんてないから、いつも生きる理由は"恋"だった。恋したひとのことは全部知りたかったし、全てを手に入れたかった。秘密なんて一つも欲しくなかったし、いつだって、エゴとエゴのぶつかり合いで生まれた情熱が、スパークする瞬間を求めてた。煌めきと身の破滅だけが燃え上がる時間。周りなんてどうでもよくなるくらい、わたしは恋に全てを捧げてきた。

恋をすると一番に思うのは、やっぱり「愛されたい」だ。好かれたいし、嫌われたくない。そう思いすぎて空回る日常。まっすぐに想いを届けることは難しくて、嫌われたくなくて繕いつづける自分自身。増える嘘と、隠してしまう自分の心。恋人とうまくやっていくため、と言い聞かせては、いろんなものに目をつぶる。不安とか寂しさとか、全部吐き出すことはできずに一人で抱え込む。

でも、恋はわたしを夢中にさせる。止まらないときめきが、日常に色をつける。それまでは灰色だったこの世界が、カラフルに見えるのは恋をしたから。言葉ひとつで舞い上がる心は、まるで天使みたいに愛を振りまく。美しいものを教えてくれるのはいつだって恋で、抱きしめた温度も口づけの柔らかさも、全部が細胞の隅々まで行き渡って、新しい人間になる。DNAにはきっと恋人の名が刻まれていて、わたしの人生全てを変えてしまうくらい。コペルニクス的転回は、いつだって恋の訪れ。

愛の始まりは、人生をともにしたい、と思うことのような気がしてる。それは結婚とかそういう明快なものだけではなくて、彼・彼女たちの人生を尊重したい、と思うこと。まるで自分の人生かのように、大切に思うこと。そんな風にわたしは思う。

わたしはよく、夫や友人に叱られる。大体常識的なことができない社会不適合者のわたし。そんなわたしを見捨てずに、毎度毎度叱ってくれるひとたち。そんなひとたちから貰うものは、やっぱり愛だな、と思う。

嫌われるのは誰だって怖い。特に、好きなひとに嫌われることはこの世で一番怖いことだ。でも、わたしを愛してくれるひとたちは、わたしに嫌われてもいいという覚悟で、人生が良くなる方を望んでくれる。堕ちて行こうするわたしを、一生懸命引き上げては、息ができるようにしてくれる。

嫌われてもいい、ただあなたがちゃんと生きていけるように。みんなに愛されるひとになれるように。そんな風に願われているわたしは、きっと幸せ者だ。

叱られることの幸福は、何年も経ってから分かることが多い。あの時、あんな風に言ってくれたのは愛から来ていたんだな、と今更ながら知る。

だけど、大体のひとはストレス発散したいからキレているのであって、その理不尽さに耐えないで欲しい。これは愛なんだ!と思考停止するのはとても危険なことなので、大体はハァ?と思って欲しい。わたしも実は褒められて伸びるタイプだから、褒めてもらいたい。(こっそり)

「愛するひとができた時、人は初めて強くなれる」とよく言う。愛するひとが幸せであればそれでいい、なんてまだまだわたしは思えないけれど、いつかそう思えたら、嫌われてもいいから愛するひとの人生を守りたいと思う。でも、わたしはワガママハッピーエンドタイプなので、わたしも幸せになりたい!身を引くとかやだ!絶対生き残る!もしくは二人で死ぬ!とか実は思ったり。

恋をしてきたことで、あいつの好きだった歌も、あの人の好きだった香りも、あの子の好きだった作家も、全部刻まれたわたしのからだ。タトゥーみたいに、ずっと残り続ける彼らの残り香を含めて愛してくれるひとを、大切にしたい。わたしは、誰ひとり欠けてもきっと"わたし"になれなかった。

愛するひとと歩んでいく人生で、死というゴールに向かって二人三脚。あなたの人生はわたしの人生じゃないから、美しい。想い合うという、人間の中で一番美しい出来事を、ただひたすらに。

「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」

太宰が書いたこの言葉が、あなたの側にあるように。そして、わたしからの愛を捧げます。

あなたの恋と愛の答えが出たら、いつか教えてください。

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