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悩むことを放棄しない
先日、自立と自律についてnoteを書いた。
それをキュッと140字にまとめてツイートしたところ、けっこう反響があった。
医療者こそ、トイレに行きたいのに「オムツでして!」と言われたり、ベッドに横になりたいのに「一人で移らないで!」と言われることの辛さを想像すべきだと思う。
— つじり@訪問看護 (@tsujiRe_PT) November 4, 2021
患者さん自身の“自律心”を守りながら、動作としての安定と自立を目指す。
それが医療者として大切な関わりなんじゃないかな?と思う。
幸いにも、共感の声が多かった。
拘束ですよね。
— りんりん💉@フットケアナース (@rinrin_life218) November 5, 2021
すごくわかるけど、当たり前社会になってる現場が沢山あります🥺
なんなら、私自身も無意識にそうしていると、時々ハッとさせられます😭
まことにおっしゃる通りだと思います(自戒を込めて)🙇♂️ https://t.co/7BvkazJ6f7
— ササキ@フリーランス看護師 (@sasaki_hiro_ns) November 5, 2021
いや、これマジっすわ。
— 石川和也@医療コンサルbyMEDICAL NEXT INNOVATION (@MEDICALNEXTINN1) November 4, 2021
病院勤務時代「オムツでしていいんですよ」って優しく言ってる看護師がいたけど、優しさなんて全然あったもんじゃない。 https://t.co/zZ2kW2ODrQ
一方で、患者さんの自律を守ることはそんな単純じゃないよ、というご意見も。
在宅では、特に大事な思考です。
— 森下大亮@のどか治療院(京都)鍼灸師 生活機能訓練士®︎ (@poteo2) November 5, 2021
ただ、施設や病院では「余計な仕事」を増やしたくない程、余裕がないのも理解できます。
結局、自立支援を行うには、人と時間が必要であり、そのためには「お金」が掛かります。。 https://t.co/EBdoIjrWEi
これは本当にそう。
施設や病院側も患者さんを転倒や、その他のアクシデントから守らなくてはならない。
そして、それを限られたマンパワーの中でやらなくてはならない。
僕が述べたことは自分でも綺麗事だと思うし、現場はもっと大変で疲弊している。
けれど、そんな中でも忘れてはならないの想像力だと思う。
看護師は想像力がないと相手を思いやることができないと思います。その想像力も医療者から見た想像ではなく、あらゆる面から、多方面に、俯瞰的に…
— みのる訪問看護リハビリステーション (@minoru_houkan) November 5, 2021
虫の目ではなく鳥の目を身に付けたいものです。
制限することや、オムツをお願いすることは、その人の状態によっては仕方がないことだ。
けれど、大事なのは医療者側がいつしかそれが“当たり前”になってしまわないように気をつけることだと思う。
病院や施設という囲まれた空間にいると、いつしか世間との“当たり前”がずれてくる。
歩けないなら動かないのが当たり前
トイレに行けないならオムツでするのが当たり前
食べられないなら経管栄養するのが当たり前
「◎◎が損なわれているなら、△△という処置をする」
それが、ある種の決まったルーティンのようになってしまっている。
そこに欠けているのは、人への想像力だ。
その処置を強制するとき、その人の心はどうなるか?羞恥心はどうか?尊厳はどうか?その人の自律心はどうなるのか?
医療者にとって一番必要な知識は「人」だと思う。
それは、まさに想像力であり、相手を慮る力でもある。
以前に、「死に様とはすなわち生き様だ」というnoteの中で“人を患者にするのは、もしかして医療者なのかもしれない”と述べた。
医療や処置だけを優先し、医療者が“人”を見なくなったとき、その人は真に患者にさせられてしまうのだと僕は思う。
文章がこんがらがってきたが、言いたいことは、
・医療の当たり前を世間の当たり前にしないこと
・想像力を持つこと
怪我や病気を診る前に、人を見る。
出来ないことや欠損を評価する前に、人を知る。
それが医療者にとって必要なことだと思う。
患者さんの自律心を守りながら、その人自身の体を守るというのは、とても難しいことだということは身をもって知っている。
だから、この手の話題はいつまで経っても解決が見えない。
でも、めんどくさいからと、悩むことを放棄してしまわないようにしたい。
目の前の違和感に目を瞑り、見逃したとき、それは感情を無くした機械のようになってしまうと思うから。
それでは、また。
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