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四字熟語の不思議な区切り位置のお話

 こちらの動画の捕捉内容です。こちらも併せてみていただければ幸いです。


 動画内では「清少納言」を例に挙げ、本来の意味の区切り位置とは異なる箇所に音の区切り位置ができていることを指摘しました。そしてその理由として、最も一般的な四字熟語の構成である、二字熟語+二字熟語の組み合わせの区切り位置に寄せていっているのでは?という可能性を提示しました。今回は清少納言しか検証していない上に「清少納言」と同じ構成の語でも同じことが起こらない単語が多く存在するので、それが確実かどうかなんていう明言は避けました。じゃあ他の二字熟語+二字熟語でない四字熟語の音の区切りがどこにあるんだろうっていうのを内省(自分一人の主観的判断)で見てみました。あくまでも内省判断なので、必ずしもそうなるとはいえません。そこだけご注意いただけたらと思います。

四字熟語の種類

 ここで、なぜ二文字+二文字の四字熟語が多いんだろうっていうのをちょっと考察してみます。想像つくよって方は飛ばしていただいても十分構わないような内容です。

 そもそも四字熟語の種類なんですが、大体三パターンありますよね。一つ目は二字熟語+二字熟語(悪戦苦闘、一虚一盈など)、二つ目は各々四つバラバラの文字が集まってできる四字熟語(東西南北、綾羅錦繍など)、三つ目は故事成語由来の語(不倶戴天、四面楚歌など)。そういえば動画内で、故事成語由来の四字熟語が分割不可だって言いましたが、朝三暮四とか二字熟語ではないにしろ二文字+二文字の形に分割はできますね。訂正しておきます。

 そしてさらに、二字熟語+二字熟語って前後で類語関係であったり対義語関係であったり、主述や修飾被修飾の関係だったりしますよね。非常に汎用性が高く、種類が豊富になるんですよね。これを四字熟語とは認めないって人もいるかもしれませんが、焼肉定食や株式会社だって形式としては二字熟語+二字熟語の形態です。半ば無限に出来てしまう感じがありますね。

 一方、一字ずつバラバラな文字が集まってできている四字熟語は、必ず四天王を揃えなければなりません。カゲツ・フヨウ・プリム・ゲンジの四人が集まって初めてできるんですね。汎用性がやや低いです。四種類同じ関係性で別々の属性を持つ漢字が集まってやっとできるのですから必然的に種類は少なくなります。そして、東西南北なんかだと、東西と南北でそれぞれ使うことありますよね。縦横みたいな感覚です。だからこの一字ごとに集まってできた四字熟語も結局中には二文字+二文字の四字熟語のような振る舞いをするものがでてくるんですね。

 さらに、故事成語由来の語、これなんか汎用性のなさの極め付けですよね。故事成語が四字にまとめられるっていうハードルの高さです。杞憂みたいに二文字にまとめられちゃったものもありますし、李下に冠を正さずみたいに熟語でない慣用句の形で残っているものもあります。そしてやっぱりこの熟語のなかでも二文字+二文字の四字熟語が多いですよね。分割不可なんてもはや不倶戴天くらいしか思い浮かびません。なんで動画内で分割不可なんて言っちゃったんだろう。

 以上のことからやっぱりどう考えても二文字+二文字の四字熟語は四字熟語界の大多数を占めると言い切っても良いでしょう。

二文字+二文字で分割不可の語の音の区切り

 ようやく本題です。やっぱり二文字+二文字の四字熟語は四字熟語界では大多数を占めていますね。その中でも強く生きる、二文字+二文字でない四字熟語に焦点を当てていきます。動画内では釈由美子とか新蠟人形みたいに、一般的な四字熟語でないものを出しました。はい、一文字+三文字の四字熟語が思い浮かばなかったからです。勉強不足でした。今回もその構造の語は思い浮かばなかったので、条件を緩くして二文字+二文字の四字熟語でない四字熟語というところで検証します。

 思いついた語を以下に記していきます。これの内省での音の区切りを調べていきます。

・綾羅錦繍
・起承転結
・春夏秋冬
・生老病死
・風林火山
・行住坐臥
・不倶戴天
・色即是空
・空即是色
・愛別離苦
・怨憎会苦
・求不得苦

 これくらい集めれば十分でしょうか。なんか後半仏教色が強くなってしまったのはご愛嬌ということで。これら全て意味としては二文字+二文字の四字熟語ではありません。前半は全て一字ずつの集まりです。後半は故事成語由来であるものです。といってもほぼ仏教用語に偏ってしまいましたが、それくらいありませんでした。故事成語由来の方だけどうして二文字+二文字の四字熟語でないか軽く解説しておきます。

 まず、不倶戴天ですが、これは「俱に天を戴かず(不)」という漢文になっています。同じ天の下では生かしておかねえってくらい大嫌いだという意味ですね。戴天の方は確かに「天を戴く」という文で成り立つと言えばまあ成り立ってしまうのですが、ここもあくまでも文章として成り立っているだけで熟語として成り立ってはいないといえます。不倶に関しても、俱に~ずという構文でしかないのでそれ単体で意味を成すものではないでしょう。

不倶戴天

 訓読文にすれば尚更分割不可ということがわかるかと思います。

 次に色即是空と空即是色はセットで使われることが多いですよね。般若心経の一文ですね。形あるもの(色)の本性は実体を持たない(空)。物の本性は実体を持たないが、それがそのままこの世の一切の形あるものだ。というようなそんな意味です。これも文章であり、分割ができないものです。色即ち是(これ)空なり。空即ち是色なり。そういう文章がそのまま熟語になったのがこれですね。

 そして、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦の三つですが、これは仏教の開祖(と言っていいのかな)?のゴータマ・シッダールタ、いわゆるブッダの悟りの一つです。四苦八苦っていうことあるじゃないですか。四苦というのは生老病死それぞれのことですよね。そして八苦というのはこの四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えたものです。ちなみに五蘊盛苦っていうのは、五蘊(人間の身体とか精神とかの総称)に執着することで起こる苦しみという意味です。これに関しては五蘊と盛苦で分けられないこともないと思ったので省きました。そして分割不可と判断した愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦ですが、愛別離苦は愛する人と別離しなければならない苦、怨憎会苦は憎んでいる相手と会わなければならない苦、求不得苦は欲しいものが手に入らない苦のことです。ざっくりいえば。いずれも二文字+二文字の構成でないことがわかります。強いて言うなら三文字+一文字でしょうか。

 今挙げたこれら12個の語、全て私の内省では音の切れ目がどうしても二文字+二文字の四字熟語と同じ位置にきてしまいます。不倶戴天なんて一番分けちゃいけない四字熟語のはずなのに、不倶/戴天というような切れ目ができてしまいます。皆さんの内省ではどうでしょうか。意識してしまうと、二文字+二文字の四字熟語の音に釣られてしまったり、逆にそうはなるまいと無意識に違う読み方をしようとしてしまうこともありますが。もしかしたら大多数の人が今挙げたこれら12個の語全て二文字+二文字の四字熟語の区切り方で読んでしまったのではないでしょうか。

 二文字+二文字の四字熟語の読み方でこれら12個の語を読んでしまっても、それは別に問題があるわけではないので大丈夫です。そうなるならそうなるのが自然のことなのです。ただ単に面白いことが起きているなあというだけです。

 そして、私の内省から察するに、清少納言の音の区切りが一般的な四字熟語の区切りに寄っていっているというのはある程度その通りかもしれません。他の二文字+二文字で分割不可である語でも二文字+二文字の四字熟語と同じ区切り方になることが示唆されている以上、可能性としては大いにあると思います。

 そしてなぜより一般的な規則に寄っていこうとするのかってところなんですが、これもやはり規範意識が関わってくるのではと思います。できるだけ一般的なところから外れないように四字熟語の発音を規範意識が管理していて、それをそうする必要のない語も巻き込んでしまったというのが推測です。とはいっても、これら分割不可能な語と清少納言には決定的な違いが一つありますよね。一般名詞か固有名詞かという差です。区切り位置がわかりにくいような固有名詞ならまだしも、清少納言ってちょっと考えれば少納言という文字群に気づけるような気がします。釈由美子的な発音ができる気がしなくもないです。しかしなぜ固有名詞であるはずの清少納言が釈由美子の区切りにならないのか、そこまでは推論が立てられませんでした。清少納言が一般名詞扱いされているのか?とも考えたのですが、それを裏付けるような根拠もなく…。謎は深まるばかりです。

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