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日本語しかわからなくても問題ない

 「日本で暮らすから英語なんて必要ねーし」英語の苦手な中学生が言いがちな言葉。基本的にこれは英語の成績が悪い人間の苦し紛れの言い訳ですよね。ええ、英語が苦手だった私も言いました。でもこれ、意外とこれ侮れない言い訳でして。というのも、日本国の公用語は日本語のみで、基本的にどこに行っても誰とでも話が通じます。方言的要素で一部わからないとかはあれど、岩手県から大分県に引っ越しても一からその地域の言語を勉強しなければいけないレベルではないですよね。琉球諸語やアイヌ語に関してはまた別なのですが、現在のところ大体の沖縄県民や北海道民とも問題なく会話できていますよね。そう、日本全国どこにいても大体意思疎通が可能ですよね。

 これ、案外大事なことでしてね。一つの国で話される言葉がたった一つであるってことは、その国にいる以上は話すべき言語に悩む必要が一切ないということなんですよね。日本全国どこにいようといつも通り日本語を話しておけば日本人相手には100%通じます。もちろん例外はありますが、そんな野暮なことで揚げ足を取る輩はこれを読んでいただいている方の中にはいないと思いますが一応。日本全国どこにいても日本語が通じるということは、教育現場で使う言語に悩む必要もありませんよね。

 海外ではどうかといえば、例えばベルギーなんか、フラマン語(オランダ語)を話す人が六割くらい、フランス語を話す人が三割くらいだそうです(Wikipedia情報ですが)。そうなってくると、公教育で使われる言葉をどうするかという問題が起きてきますよね。地域の小学校とかならまだ個別の対応をしているのかもしれませんが、大学とかどうしましょう。全国から学生が集まってくるような大学だと、学生の母語もバラバラかもしれませんよね。それなのに、とある大学ではフラマン語を話しますとかだったらフランス母語話者にとって不利であることは自明です。母語で高等教育を受けることができませんから。意外にも一国一言語と簡単に片づけられる国って多くはないのかもしれません。

 日本ではどうでしょうか。小学校~大学院まで何もかも日本語で教育が行われますよね。もちろん、修論や博論は英語で書くとかってのを理工学群の友人からチラッと聞いたことはありますが、それでも教育内容のほぼすべてを日本語で行えているというのは事実ですよね。ほぼ全ての教育課程を母語で行えるという環境が見事整っているわけですね。母語のみで教育を行えるというのはものすごくメリットがあることです。母語とそうでない言語とでは、どちらの方が細かいところまで理解することができるでしょうか。圧倒的に母語ですよね。「冷える」と「冷める」の違いを口で説明できずとも自然に使い分けられますよね。細かいニュアンスの違いも感覚でいけますよね。母語としての言語感覚があるというのは教育を受けるハードルを大きく下げることに繋がると思います。日本国の言語体制は高水準の教育を可能に出来るという大きなメリットがあるんですよね。ほぼ全ての国民が母語で教育を受けることが可能ですから。

 グローバル化がなんだとか騒いでやたらに英語を重視する人間は沢山います。しかし、ほぼ全ての日本国民が母語で高等教育を受けることができるという機会の平等は設けられているということを忘れてそれを主張する人もいます。英語だけ話せて専門分野はありませんみたいな人になる前に、やっぱり母語である日本語で専門分野を深堀りしていきましょうや。その理解をしたうえで英語で表現していった方がよっぽど英語教育にも意味が持てる気がするんですがどうなんでしょうか。

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