漫才:松阪牛の読み方は「まつさかうし」
A:どうも~おねがいします~。
B:突然なんだけどさ、最近生きている実感が湧かないんですよね。
A:いきなり重い話ぶっこんできますね。だけどまあ、確かにITとか急速に発達して、実体のないやりとりも増えまくっていますからね。
B:そうなんですよね。私も普段何もかもネット任せですから。買い物もネット上、仕事もテレワーク、そのうち自分自身の肉体もなくなってクラウドシステムで管理されている精神だけの仮想人間になるんじゃないかってね。
A:もうそれ割と現実味があってボケじゃなくなってきてますからね。
B:そんなんだからこの肉体とか命とかそんなのも実在しているように見せられているけど実はただのプログラムなだけなんじゃないかってね。
A:まあ実際脳の活動とか筋肉が動くのもただの電気信号に反応しているだけみたいですしね。
B:そうなんですよ。だから生きているってことが全くわからなくなりましてね。
A:いやあやっぱりね、生きているってやっぱり「いたみ」を感じることじゃないかと思うんですよ。
B:「いたみ」を感じるのかあ。ああ、神戸や大阪の影に隠れて生きてかなあかんのは癪やけども…それでもベッドタウンとしての地位を崩すわけにはいかんねん!!
A:それ兵庫県伊丹市やないかい。総人口およそ199,000人で神戸や大阪の衛星都市を担う市のことでしょ。ボケがマニアックすぎて伝わりませんよ。
A:その「いたみ」じゃなくてね。「痛み」の方なんですよ。やっぱり生きている確かな感覚は痛いって感覚だと思うんですよ。
B:痛いって感覚ですか~。でも本物の闇を経験した私にとってはちょっとやそっとの痛みなんておままごとですよ。
A:あー痛い。痛いですね。
B:こんな人権のない独裁国家、いわば本物の闇に生まれてしまったので、身を守るために常にバタフライナイフ持ち歩いていますよ。
A:痛い痛い。10年後に思い出して枕に顔うずめて暴れてほしいですね。
B:今ではもう感情もないので、キレたらサイコパスが発動して、相手が動かなくなっても殴り続けてしまうんですよ
A:痛い痛い痛い。もう、もういいです。痛いけど、痛いけど違いますよ。
A:しかもなんですか。感情がないくせにキレたらって。怒りの感情持っているじゃないですか。
A:あとなんですか?サイコパスが発動って。サイコパスって多分あれ先天的な特性ですよ。切り替えできるようなものじゃないでしょ。
A:いやあのね、そういう「痛い」じゃなくて、殴られたら痛い、切り傷負ったら痛い。そういうことですよ。やっぱりちゃんと生きていなければ痛みも感じられないんです。
B:なるほどね。そういう痛みだったんですね。
B:いやあでも、生きている実感のためだけに痛みを背負い続けるのは流石に嫌ですね。
A:確かにそりゃそうですね。注射針の痛い以外は基本全部ただの苦痛ですからね。
A:なら美味しいっていうのはどうですか?これなら別に嫌なことを背負い続けることもないし、むしろ快感で「このために生きてる!」って言えますよ。
B:あー美味しいですか!美味しいと言えばこの前伊勢まで行ってきたんですよ。
A:伊勢いいですね。海の幸いっぱいですもんね。
B:海とか漁港がすぐそこに見える旅館に泊まったんですけど、やっぱり一番美味しかったのが夕飯でしたね。
A:新鮮採れたて期待できてめっちゃいいじゃないですか。何食べたんですか?
B:旅館の女将さんおすすめの…。
A:いいですねえ。めちゃくちゃ期待持てるじゃないですか。
B:その旅館のすぐ近くの…。
A:旅館の…?すぐ近くの…?
B:すき家がめちゃくちゃ美味しかったんですよ!
A:いやなんで旅館まで行ってすき家行ってるんですか。しかも女将さんおすすめってどういうことですか。
B:いやいやだって今だけの限定メニューだったんですよ。
A:いやいやそんなのどこでも食べられるじゃないですか。旅館の夕飯とか食べなかったんですか?
B:素泊まりプランだったんで。
A:なにをもったいないことしているんですか。そんなん伊勢で旅館なんて言ったら伊勢海老とかアワビとかたべなきゃもったいないじゃないですか。
B:いやあ、その日肉の気分だったんで。
A:肉の気分にしても松阪牛とかあったじゃないですか。
B:私名前に濁音入っていない食べ物とか食べられないんで。
A:いやいやどういう基準で食べ物選んでるんですか。初めて聞きましたよ。
A:でもまあ美味しかったんならいいんですけど、生きている実感どうでしたか?
B:美味しかったんですけど、こうなんというか、やっぱり自分は量産型人間なのかなって。
A:あら、せっかく美味しいもの食べたのにですか?
B:なんかどこででも食べられる味だった感じがして…。
A:チェーン店だからでしょ!ああいうのは全国どこで食べても同じクオリティが担保されているようにできているんですよ。
A:もうこんなんじゃいつまでたっても生きている実感なんて持てそうにないですよ。
B:もう大人しく死を待つことしかできないのかもしれないですね。
A:何もそこまでしなくても。
B:死すれば脳の活動も止まり、何もかもが無に還ってしまう。生きている実感を得ようともがいていた日々も、その時に感じた・手にしたあれこれも全て消えてしまう。そんな死への恐怖を抱くこと、それこそが生きている実感なのかもしれませんね。
A:生の対立概念「死」を以て初めて生きていることが実感できる。なんと逆説的なんでしょう。
A:ってどっかで聞きかじったような話やな。もうええわ。
AB:どうも、ありがとうございました~。
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