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『嗣永伝 NO.1』 嗣永の自己紹介というか、活字に苦手意識を持っている人間が、自身で小説を書くようになった経緯を語っていく。

ほんとに今更なのかもしれないが、
自分が小説を書くようになった経緯みたいなものを
この辺で語って行こうと思う。

そもそもぼくの歴史になど、
誰が興味あるのかも疑問ではあるが、
ぼくに興味がなくても、吾輩(我が家の黒猫)には、
少なからず興味を持ってくれているかもしれないので、
その飼い主がどんな人間なのか?

一応、自己紹介も兼ねて、
自分語りのようなものをしておこうと思う……

前置きが長くなったが、
ぼくは昔から文章を書いていなかった。
というと語弊があるが、
正確に言うと文章を書くのが苦手だった。

いや、文章を書くのが苦手というより、
本を読むことも苦手であれば、
左脳的な作業に、とくに苦手意識を持っていて、
(だいぶ薄らいだが、今でもコンプレックスは拭えていない……)

数学以前に、算数が苦手だったし
分数どころか、九九の時点で躓いていた。
今でも、7か8の段が怪しい……。

なんとか高校までは卒業することはできたが、
それも奇跡的に単位制の高校に入れたというだけで、
実力では受かったわけではないし、

とにかく勉強というものに興味が持てなくて、
学生時代は落ちこぼれだった。


それはもう、絵に描いたような劣等生で、
当時は教師や同級生から、
知恵遅れや学習障害などと言われていた……。


ちなみに、今でも本はあまり読むほうではない……
一年に一冊読めば良い方か? 読んでも2、3冊か?
そんなところだろうか?

そして、ようやく本題に入るのだが、
こんなぼくが文章というものに、なぜ興味を持ちはじめたのか?
なぜ小説を書いてみようと、
突拍子もないことも思い立ったのかというと、

話は20年ほど前に遡る……
当時、二十歳の青年だったのだが、
一冊の本に出逢った。
まあ、なんてことない韓流映画の小説版なのだが、

たしかタイトルは『ラスト・プレゼント』という
文庫本だったと思う。(ちなみに初めて本を読んで号泣した……)
その本を読んだときに、「ああ、自分って本、読めるんだ?!」
と思ったのだ。


小説版の表紙がなかったので、DVDのパッケージです。


いや、驚かないでほしい。
それまでぼくは一冊も本を読み切ったことがない。
文字通り、一冊もだ……。

常識的に考えて、小学生でも活字中毒の子であれば、
本の一冊や二冊くらい、そのころには軽く読破しているだろう。

それが、二十歳を迎えた大人が、
一冊も完読したことがなかったのだ。
よくここまで生きてこれたと、自分でもある意味、関心する……。
いや、呆れると言うべきか?

まあ、それはさておいて、
それから自分が本を読めることに気がついて、
少しずつではあるが、本というものを読むようになった。
ちなみにこの時点でも、カタツムリが這うほどの遅読である……

で、二十歳を超えてから〝読まず嫌い〟の
活字に対するコンプレックスを、ようやく克服することができ、
一般的な小学生と同じスタートラインに、どうにか立つことができた。
(だいぶ、遅れをとったが……)

それからその苦手意識を少しでも克服しようと奮起し、
苦手なりに、1年で500冊か、1000冊か、
今となっては正確な冊数は把握してないが、
人が変わったように、色んな小説を読みあさった。


(余談ではあるが、このとき東京に上京しており、
その当時は、まだ具体的に小説を書こうとは思っていなかった。
ただ、なんとなく漠然と物書きに憧れのようなモノを抱いていた……)


当時の自分は自分でも驚くほどの、本の虫だったと思う。
なんであんなに本に取り憑かれていたのか、
文章というモノに惹かれていたのか、
当の本人が一番解っていない……

そして、数年をかけて、数千冊の本を読み漁り、
文章のボキャブラリーや、語彙力を人並みに身につけ、
どうにか社会人として恥ずかしくないレベルには、
辛うじて読んだり書いたりできるようになったころ、

これまた、一冊の本と出逢うl
第127回 芥川賞を受賞作となる
吉田修一の『パーク・ライフ』だ。


至高の名作であり、ぼくのバイブルのような作品
この本をお手本に小説を書いてきたと言ってもいい……
(ちなみに好きは作家の本は他にあるので、機会があれば紹介する……)


それまでにも、いくつかは
「キレイな文章を書くな〜」とか、
「表現が独特で、勉強になるなぁ〜」とか、
それなりに関心を持った作品はいくつかあったが、

彼の文章を目の当たりにしたとき、
大袈裟かもしれないが、ほんとに衝撃が走った。
「この世の中に、こんなに読みやすくて、面白い文章が書ける人間がいるのか?!」と……

とくにすごいのが、その表現力で。
思想というか、主人公が頭で考えている独り言を、
見事に日本語として表現している。
最早、哲学の美学といってもいい……

あ、また、脱線しかけてました……。
べつに吉田修一やパーク・ライフの
宣伝をしたかったわけではなくて。

とまあ、上記のようなことを〝ギュッ〟まとめて、

「カッコイイ!! こんな文章書けるようになりたい!!」と、

文章もろくに読めないくせに、まともな小説も書いたことがないくせに、
当時の自分は、「よし、ぼくも小説を書こう!!」思ってしまい、
何を勘違いしたのか、劣等感とコンプレックスと苦手意識をバネに、
これまで小説を書いてきたというわけである……。


ただ、ここからが、また長いので、続きは次回にでも……


興味があれば、どうぞ閲読してやってください。




次回へ続く……




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