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鳥たちのさがしもの 2

少年は刻を探していた。港のレンガ倉庫。傍らにあるのは閉園した遊園地。乗る人のいない観覧車は、海鳥たちの泊まり木。カモメの嬌声が錆色の冬空を掻きまわす。猫がしきりに顔を舐めている。明日は雨かもしれない。

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 JR田町駅を越えてひたすら真っすぐ歩くとたどり着くその場所は、レインボーブリッジと貨物倉庫街を同時に見ることのできる、なかなかいい場所だった。雲雀は、そういえば昼に燕に見せてもらった写真の中にも倉庫街が写っていたなと思い出す。しかし、写真の倉庫街の脇には遊園地らしいものが写っていた。明らかにこの場所ではない。
「つきあってくれたお礼に飲み物おごるよ」
 燕が近くにあった自動販売機を指差して言った。夏休み前のこの時期の昼間だ。まだ太陽は高く、長い距離を歩いたこともあり確かに喉が渇いていた。雲雀と夜鷹は素直に好みの飲み物を指定し、三人でガードレールに寄りかかってペットボトルの栓を開けた。
「理由、訊かないんだね」
「まあ、ただ何かの景色が見たいことだってあるだろ? 俺だって、どうして毎日テラスに通うのかって訊かれたら、何となくとしか答えられない。……もちろん話したければ聞くよ」
「子供の頃、海の近くに住んでいたんだ。だからたまに見たくなる。それだけ。……前にここに来た時、みんな結構感動していたから、みんなも似たような気持なのかなと思ったんだけど、違ったみたい」
「海は嫌いじゃないよ。でも、普段の生活の中で海が見たいって思うことはあまりないかな。海に行って泳ぎたいはあるかもしれないけど。……見るなら、空の方が好きだ」
「へえ、雲雀、意外にロマンチスト」
「だって、この辺りで見られる海なんてせいぜい東京湾だろ? こんなにごみごみしてて人工的だ。どうせならもっと広い海がいい。空も広い方がいいけど、ここでは海よりはまだ空の方が広い」
「夜鷹は?」
「何が?」
「海は好き?」
「好きだよ」
「これ、どう思う?」
 燕はポケットからスマートフォンを取り出して、先ほど雲雀に見せたのと同じ写真を夜鷹に見せた。雲雀も再びそれを横から覗き込む。
 海辺の駅、外人墓地、アーケード街…やはり港の倉庫らしき写真もあった。
「……鎌倉……か?」
「分かるの?」
「何でこれだけで分かるんだよ」
 燕と雲雀の声が重なる。
「ただの雰囲気だ」
 夜鷹の声には正解した嬉しさなど欠片も感じられない。淡々とした答えだった。
「僕、鎌倉に行ってみたいんだ」
「行ってみたいって、この写真、燕が撮ったものもあるって言ってなかったか?」
「昔ね。でも、ずっと行ってない」
「鎌倉か、いいんじゃないかな。夏休みにみんなで鎌倉に行くっていうのも」
「本当?」
「鎌倉ならきっと斑鳩も孔雀も行きたいって言うよ。夜鷹も行くだろう?」
「……悪くないな」

 しばらく三人で人工的な海を眺めた後、JRの駅まで歩いて戻り、地下鉄で帰る燕と別れた。山手線沿いに住んでいる夜鷹とはホームで別れ、雲雀は京浜東北線に乗り込む。今日は居ない斑鳩と孔雀も含めた五人は、見事にここから違う方向へ帰って行くのだ。
 雲雀の住む大井町までは二駅。電車に乗ってしまえばあっという間だ。改札を出てしばらく線路沿いに歩く。線路の脇には紫陽花の花が、咲いていた時の形のまま枯れて残っていた。駅前は賑やかだが、一本裏に入るとそこは住宅街だ。少し驚くような急な坂が待っている。坂を上るとやがて大きな桜の木が一本だけ生えているのが見え、その奥の一軒家が雲雀の家だった。
 誰も居ないと思って家に入ると、玄関に母親の靴があり、奥から声が聞こえた。
「雲雀なの? おかえり」
 いつもなら自分の部屋に直行するが、仕方なく居間のドアを開けた。
「ただいま。早いね」
「午後、外出だったからそのまま直帰しちゃった。雲雀こそ早いね。部活無かったの?」
「期末試験の準備期間だから放課後の部活は無し」
「そう」
 全く興味が無いわけではないとは思うが、雲雀の両親はあまり雲雀の学校のことを尋ねない。放任主義というやつかもしれないが、どこか遠慮を感じた。
 雲雀は、小学校の頃の記憶が曖昧だった。校舎や担任の先生、数名の友達の顔は思い出せるし、小学校に通っていた記憶はある。しかし、いまいちぼんやりしていて、自分がそこでどのように過ごしていたのかあまりよく憶えていない。
 中学校に通い始めてしばらくして、そのことを不安に思い両親に相談すると、両親は気まずそうな表情で顔を見合わせて、その頃家が大変だったからかもしれないと言ったのだ。その二人の表情を見て以来、雲雀はその話をすることを止めた。きっと、知らない方がしあわせなことなのだろう。そうやって次第に雲雀は、すべてをあるがままに受け入れる術を身につけていった。それでも、いつも何かが欠けているような気がしていた。いつも何か探し物をしているような、そんな心許なさがあった。
 そうこうしているうちに、本来ならばあるのであろう反抗期を逃してしまって今に至る。いい息子さんですねと母親が知り合いに褒められる度に、雲雀は居心地の悪さを感じるのだった。
 ふと足元にぬくもりを感じて下を見ると、猫のホークが寄ってきて足元に蹲っていた。ホークは二年前に雲雀が拾ってきた野良猫だ。連れて帰ってきて飼いたいというと、母親は何故かとても嬉しそうな顔をした。
「ホーク、ただいま。一緒に俺の部屋に行くか?」
 そう言って居間の扉を開けると、ホークは扉の隙間をすり抜け、先に二階への階段を上って行った。
「何か食べる?」
「いい。夕飯まで待つ」
 鞄の中に、先程燕におごってもらったサイダーのペットボトルが入ってた。乾いた喉に買ったばかりの冷たいサイダーはとても美味しく感じられたが、部屋に入って飲んだぬるくなったそれは、既に甘いだけの液体になっていた。
不味まずっ」
 わざと言葉に出して言うと、ホークがにゃぁと鳴いた。
 今日の燕はやはり少し様子がおかしかった。もう飲むまいと決めたサイダーのペットボトルをもてあそびながら雲雀は思った。
 スマートフォンの中の写真。鎌倉。
 しばらく考えたが何も思い浮かばずに諦める。大きく開け放った窓から生ぬるい夕方の風が入ってきた。
 椅子に腰かけるとホークが膝に飛び乗って蹲る。正直言うと夏にホークの体温は有難迷惑なのだが、ホークは知らないふりだ。雲雀も、その気持ちよさそうな顔を見ると、まあいいかという気分になるのだった。
 机の上に、形ばかり教科書とノートを広げた。期末試験は来週だった。それが終わると程なくして夏休みだ。家族としての夏休みの予定は、今のところ特に無かった。両親が共働きで、二人ともいわゆる夏休みが決まっておらず、好きな時期に有給を取得して休みを取るので、世間のピークを外しているようだった。その時期雲雀は当然学校があるので、もう何年も家族旅行というものをしていない。せいぜい一泊二日で近場に出かけるだけだった。雲雀はそれを特に寂しいとは思わない。中学校の時の友人が家族で海外旅行に行ったという話をしていても、ふうんと思いながら聞いていた。
 鎌倉か。
 高校に入ってから初めての夏休みだ。雲雀はまだ、他の四人の夏休みの過ごし方を知らない。
 雲雀を含め、部活に入っている三人は基本的に部活に明け暮れるだろう。燕はおそらく読書に没頭し、夜鷹は…分からない。夜鷹の父親は学者で、アメリカの研究チームに入ったために渡米したのだという。夜鷹が日本での大学進学を望んだため、高校生の段階で母親と二人で帰国したと話していた。もしかしたら、まだひとりでアメリカに居る父親に会いに行くのかもしれない。
 燕は明日の昼休みに改めて鎌倉行きを提案してみると言っていた。その時にお互いの夏休みの予定の話になるだろう。しかし夏休み中ずっと予定があるとは思えなかった。燕にも言ったとおり、他の二人も基本的に否定はしないはずだ。
 雲雀は、夏休みが楽しみになりはじめている自分に気がついた。

『曇り空』-雲雀

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この物語は、dekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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