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物語の欠片 象牙色の城郭篇 5

-カリン-

 朝、ヨシュアの家から城へ出廷すると、入口で門番が今日も午後からリリィたちが来る予定であることを教えてくれた。それで、カリンは午前中のうちにレフアとローゼルへの挨拶を済ませ、午後は再び薬師室に閉じ籠ることに決めた。
 昨夜はヨシュアの家へ戻り、食事をしたりお茶を飲んだりしながら遅くまで話をしたので、ベッドに入るとあっという間に眠ってしまい、短いながらも深い眠りを得ることができた。夢も見なかった。ヨシュアに全部話してしまったおかげで、気持も随分軽くなった。
 安心して何でも話してしまえる相手がいる自分は幸せだ。
 同じ養子縁組でも、リリィとセダムはそのような関係の親子ではないのだろうなと思うと、カリンの心は再び少しだけ翳る。アオイとセダムは違う。自分はセダムのことは何も知らない。分かってはいるが、どうしても過去のアオイを思い描いてしまう。
 レフアの部屋を訪れると、ローゼルは留守だった。まだ訓練場に居るらしい。王配になったというのに、相変わらず熱心なことだ。しかしローゼルはそうやって自分の心を守っているのかもしれない。
 おそらくアジュガも一緒だろう。あの親子はもしかしたら今が一番一緒に過ごす時間が長いのではないだろうか。
 「どうしたの?座ったら?」
 入り口付近で考えに耽ってしまったカリンにレフアが声をかける。
 「ごめんなさい。親子って色々だなと思って。」
 「ローゼルとアジュガ殿の話?」
 「それもそうだけど、昨日リリィ様に会ったの。」
 「ああ。わたくしの所へも来たわ。」
 「え?局長たちだけではなくて王室にも挨拶に?」
 「さすがに医局長のツツジ殿も一緒だったけれど。表向きは局長がご家族を伴っての表敬訪問。実のところはセダム殿の紹介ね。」
 「お茶、淹れるわ。」
 「嬉しい。有難う。」
 レフアはツツジとリリィの動きをさほど気にしていないようだった。まあ、王にとっては医局の内部のことなどあまり影響はないだろう。セダムが飛び級をして医局の管理職を奪ったところで、いや、それどころか医局長になったとしても、しっかり医局長を務めてくれれば問題ない。
 カリンがお茶を淹れて席に着くと、レフアはアグィーラの近況を語り始めた。こうして二月ふたつきごとにアグィーラやその他王国内の近況を聴くことはカリンにとっても有難いことだった。王の所へはやはり情報が集まる。効率よく王国の変化を知ることができた。マカニでの暮らしに直接関係は無くとも、またいつどこのどんな問題に関わることになるか分からない。王国内の状況は知っておくに越したことはない。
 一方のレフアも、普段は王として責任のある発言をせねばならないため、このように気楽に話をできる場が貴重なのだという。ローゼルには日々本音を話しているようだが、基本的に寡黙なローゼルに話すのとはやはり違うのだろうと思う。
 「そういえば、不思議な話があるの。」
 「不思議な話?」
 「最近、アグィーラ内の木に不思議な傷がついているのですって」
 「傷?人為的なもの?」
 「分からないわ。正式に調査をしたわけではなくて噂話のように耳に届いたものだから。それが原因で木が枯れてしまったり景観が損なわれるほどになったら問題なのだけれど、今の所それ程でもないみたいなのよね。ただ、カリンは気になるのではないかと思って。」
 「気になるわ、とても。どんな小さな傷だって、人がつけたものならば哀しいことだと思う。私に癒せる傷かしら。見に行ってみようかな。具体的な場所は解る?」
 「すぐには出てこない。本当にばらばらと噂話のように聞こえてきて、それでも一度ではなく何回か耳にしたから記憶に残っていたの。…あ、でも確かディルも見たと言っていた気がする。訊いてみましょうか。」
 ディルは王室に仕える古い側近の一人だ。バジルの次に古いのではないだろうか。古くから居る割にはバジルと違ってカリンにも好意的だった。
 わざわざ王自ら確認してもらうことでもないと思ったので、カリンは自分で訊いてみると答え、礼を言った。
 人が木に傷をつけているかもしれない。そのことを思うと胸がざわざわした。アグィーラの城下町の樹々は確かに人の手によって植えられたものが多い。それでも樹々はそこで生きているのだ。その命は誰のものでもない。
 レフアの話は一通り終わったようなので、医局へ向かうことにした。ローゼルへの挨拶はまた別の機会にしよう。執事室に寄ってみたが生憎ディルは不在だった。熱心な彼のことだから、どこかで仕事をしているのだろう。
 王室の居住区を出て医局へ向かいながら中庭を歩いていると、図書室の前をうろうろしている司書長のナウパカの姿が見えた。カリンの姿を見つけると嬉しそうに近づいてくる。カリンも足を止めて挨拶をした。
 「お前を待っておった。」
 「わたくしを?歴史書の原稿は昨日お渡ししたはずですが。」
 「別の話だ。ちょっと図書室へ寄って行ってくれぬかの。」
 「朝からずっと待っていらっしゃったのですか?」
 「そうだ。もう少し早く来るかと思ったが…。」
 「申し訳ありません。女王の所に寄っていました。」
 「そうかそうか。構わぬよ。それよりお前に見てもらいたいものがあるのだ。」
 そう言ってナウパカは図書室に入ると真っ直ぐ、ある棚まで歩いて行った。その前に立って腕組みをし、カリンの方を振り返る。
 「この棚なあ、何か欠けているように思うのだがそれが何か分らんでな。まあ、目録と突き合せれば分かるのだが、お前が来ていることを思い出して、もしかしたらと思ってな。」
 「わたくしは今回は手を付けておりません。」
 「そうではなく、お前なら目録を引っ張り出すまでもなく何が欠けているか分かるのではないかと思ってな。」
 そう言われてカリンは少し真剣に棚を見詰めた。そこは比較的古い書物が集まった棚で、確かにそれ程動きのある棚ではなかった。余程古い歴史に興味が無ければ持ち出す者は少ないだろう。
 棚の本の背表紙を目で追っていたカリンの身体から、すっと血の気が引いた。
 「人柱の儀式の本と…古代の地図の本がありません。」
 「おお、そうかそうか。やはりお前に聞いて正解…。どうした?大丈夫かね?」
 「…もうしわけありません。苦手なのです、人柱の話。…私がこの図書室で、唯一読了していない本です。」
 ナウパカはカリンの夢を知らない。今世の化身たちが当初人柱になる運命だったことも、カリンたちがその運命を変えたことも、ましてやアオイのしたことも。
 「そうか。それはすまなかったの。少し座って休んでいきなさい。」
 「いえ、大丈夫です。有難うございます。それより、誰が無断で本を持ち出したのか、気になりますね。」
 「ふむ…。まあ、しばらくしたら戻ってくるかもしれぬ。様子を見るとしよう。」
 「うふふ。ナウパカ様は相変わらず鷹揚おうようでいらっしゃいますね。」
 「城ではそのくらいの方が良いのだよ。…そういえば最近リリィ殿がまた頻繁に城に出入りし始めた。」
 「昨日、お会いしました。」
 「会ってしまったか。それは気の毒だったの。」
 「ナウパカ様の所へもいらっしゃいましたか?」
 「私はたいして権力もない一司書長だからのう。軽く挨拶程度だ。」
 ナウパカはからからと笑う。
 「そんなことおっしゃって、文化局の室長様の中では一番位が上ではありませんか。」
 「年を取っておるだけだ。文化局では、あれだ。最近はやはり考古学室の活躍が目覚ましい。ジニアなどもう少し評価されても良いと思うがのう。」
 「わたくしはナウパカ様もジニア様も好きです。」
 「そうそうそれだ。官吏としての評価よりもそういうのが嬉しい年なのだ。」
 「お年のせいではございませんよ。ナウパカ様はずっとそのような方でした。ですからわたくしはナウパカ様の助言に従って文化局の中級官吏試験を受けたのです。」
 「ほっほっほ。そうだったのう。まあこれからもよろしく頼む。…どれ、顔色も戻ったな。お前はすぐに無茶をする故、あまり無理せんようにな。リリィ殿のことも、あまり気にせぬが良いぞ。」
 ナウパカが少し大きな声で笑ったので、静かな図書室に声が響く。仕事をしていた司書の官吏たちが何事かと司書長の方をちらちらと気にし始めた。ナウパカはいたずらっぽく肩を竦めてカリンににやりと笑いかけると、中庭へ通じる方の出入り口まで一緒に歩き、扉を開けてくれた。
 カリンは素直に礼を言い、図書室を後にした。

 人柱の儀式の本が図書室から消えた。
 そのことはカリンが久しぶりに人柱の夢を見たことと関係があるのだろうか。あの本には、何が書かれていたのだろう。
 カリンは一度だけ意を決してその本を開いたのだが、読み終えることができなかった。中程にあった挿絵を見て本を閉じてしまったのだ。四本の柱に四人の化身が向き合っている絵。その中の一人は大きな鳥を連れており、それがまるで翼のように見えた。
 カリンが図書室の本を網羅した理由は、人柱の慣習が失われた後の、聖なる貴石の謎を調べるためだった。貴石を使った儀式の本は沢山読んだが、人柱の儀式そのものは自らの解くべき謎には関係ないと思い、無理に読むのを止めた。いや、関係ないと自分に言い聞かせて避けていたのだ。実際は関係があったのかどうなのかも分からない。
 人柱の儀式に触れるのがつら過ぎたからなのだが、せめて闇が浄化され、仲間の安全が確保された後にでも目を通しておけば良かったと後悔した。
 そのカリンの悶々とした思いは、ユウガオの声に掻き消された。
 「おそーい!こんな時間まで何やってたんだ。女王陛下の所か?」
 「すみません。女王陛下の所と、司書室にも寄っていました。」
 「相変わらず引き合いが多いな。まあいい。今日は多いぞ。心してかかれ。」
 「え?だって溜まっていた筈の目録は昨日ほとんど処理しましたよね。一日でそれだけ新しいものが出てきたということですか?」
 「それがなあ。外部から大量に発注があってな。」
 「外部?…ワイですか?」
 「さすがに察しが良いな。その通りだ。このタイミングで良かった。お前が居て助かった。どうやらあそこの族長、本格的に医療改革に乗り出したみたいだぜ。まあ、見れば分る。」
 そう言いながらユウガオは目録の束をカリンに差し出した。そこに書かれた薬の名前を見て思うところは色々あったのだが、ひとまず急いでアルカンの森へ行かねばならない。薬草を摘むついでに森の主と話をする時間はあるだろうか。
 カリンは今来たばかりの薬師室を出て厩舎への道を急いだ。万が一にもリリィに会わないように、北門を使おう。
 幸い、空だけは文句のない快晴だった。


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