物語の欠片 象牙色の城郭篇 6
-レン-
族長の家を出て訓練場へ戻る途中、目で先程の隼を探したがそんなに都合よくは見つからなかった。
そして訓練場に到着してからは、シヴァの朝礼の話を聞きながら、レンは先程族長に聞いた鳥の名前を頭の中で反芻していた。
「ペラゴルニス・サンデルシ」それから「アルゲンタヴィス」。どちらも六百年前に絶滅した鳥だ。前者は翼開長が二十フィートから二十六フィートほどもあったという。後者はそれより少し小振りだが、いずれも大人が十分に乗れるほどの大きさだ。
数年前にレンが見た、魔物化した風の化身アイリスは、大型の鳥に騎乗していた。あの鳥は何だったのだろうと呟いたレンに、族長が教えてくれた名前だった。翼を持つ前のマカニ族は、鳥と共に暮らすだけではなく本当に大型の鳥に騎乗していたのだ。古代のマカニ族も、やはり空を飛んでいた。だからこそレンも他のマカニ族の仲間たちも、もうずっと昔から当たり前のごとく翼を持っていたと錯覚していたのだった。
それ程の大きな鳥が空を舞う姿は、どれほど雄大だっただろう。一度見てみたかったと思う。そして、できれば一緒に空を飛びたかった。
その鳥が滅びなければマカニ族の翼は生まれなかったのだから、矛盾しているということは分かっている。それでも夢想せずにはいられなかった。
カリンはそれらの鳥の名前を知っているだろうか。
そんなことを考えていたら、スグリに、おい少年、と呼びかけられた。きっと考えていたことが顔に出ていたに違いない。
スグリがレンを”少年”と呼ぶ時は、レンは大抵何かに悩んでいたり考え込んでいたりする時だった。
「今は特に何も悩んでいないよ。」
いつも考えを見透かされるのは癪なので、先回りしてそう言ってみる。しかしスグリは余裕の笑みを見せた。
「そうか。それは良かった。お前たち、何か始めただろう?だからまた何か悩んでたりするんじゃないかと思ってさ。そのことと高く飛んでみたくなったことは無関係か。」
前では丁度シヴァが今朝のレンの行動について話をしている。勿論レンを非難するためではなく、自分たちが飛ぶことができる高度や、翼が上手く動かなかった時の対処法について他の戦士たちに共有するためだ。シヴァはレンが勝手な行動をしたことは伏せ、レンが身をもって確かめてくれた、という言い方をした。
「全く無関係ってわけじゃないかもしれないけど、悩んでいるわけじゃない。…そういえば、今回スグリさんはどうして一緒じゃないんだろう。すっかり族長の家の常連になりつつあったのに。」
「それは俺が断ったからさ。正式に次の族長に指名された後ならまだしも、今からそんな面倒なことは憶えたくないってな。」
「それ、直接族長に言ったの?」
「まさか。シヴァにだよ。まあそのまま伝えてもらっても構わないとは言ったが、シヴァがどう伝えたかは知らない。」
「そんなこと族長に言えるのスグリさんくらいのものじゃない?」
「そんなことはないだろう。お前も結構率直じゃないか?馬鹿真面目なのはシヴァだ。だから影の俺が要る。」
「何やるかシヴァさんから聞いてる?」
「詳しくは聞いてない。でも、鳥とコミュニケーションをとる方法を学び始めたことは聞いた。」
「そう。それが僕には面白いんだ。」
「なるほどな。お前はそういうのを楽しむやつだ。そうか。悩んでいたんじゃなくて、夢中になっていたわけか。それはお前らしい。」
「スグリさん、ヤナギと仲良かったじゃないか。鳥と話してみたいって思わない?」
「俺は、今のままで十分だよ。なんとなく通じ合うくらいで。鳥の言葉が解ってしまったら、俺はそちら側の人間になってしまうかもしれない。人間と付き合うより、鳥と居た方がよっぽど楽だ。」
スグリはいつもの嘘とも本気ともつかない言い方をしたが、レンはそれはスグリの割と核心に近い本心なのではないかと感じた。そして何故か、族長もスグリと同じなのではないかと思った。
レン、シヴァ、スグリの三人の中で族長に一番近いのはスグリだと、他ならぬ族長自身がそう言っていた。
スグリはレンの思考を見透かしたかのように言葉を続けた。
「本来族長にはシヴァみたいに馬鹿真面目なやつか、お前みたいに人当たりが良くて真っ直ぐなやつがなるべきなんだと思う。俺みたいなのが村人の信頼を得るためには相当努力しないといけないだろう。俺は無責任だから絶対引き受けないが、俺と族長の違いはその責任感にある。あの立場はつらいよなあ。全部ひとりで引き受けて。ま、だからといって代わってやれる気はしないが。俺はやっぱり影がいい。本来族長や俺みたいに社交的でない暗躍型は、影の存在の方が生きると思うんだよな。」
いいことを言っているのだが暗躍型という言葉にレンは思わず吹き出す。
「暗躍型ってすごい言葉だね。」
「だってそうだろう?族長は決して本当に困ったことは相談しないじゃないか。全部いつの間にか自分でやってしまう。俺たちが聞くのは良くて事後報告か、俺たちに考えさせるための相談でしかない。あ、言っておくが俺と族長は完全に同じじゃないぞ。さっきも言ったように俺には責任感はない。面倒なことは迷わず手放す。」
「シヴァさんは、スグリさんに相談するの?」
「そりゃあ、俺はシヴァの影だからな。それに、相談されなくてもあいつが考えてることは大体解る。」
もう少しスグリと話をしていたかったのだが、朝礼が終わってしまい、皆自分の持ち場に向かい始めた。スグリの話していたことは、これからのマカニを考える上でも、族長を理解する上でもとても重要なことであるような気がした。
シヴァがこちらに向かって歩いてくる。これ以上話を続けることはできなかった。
「お前ら、ちゃんと聞いてたか?」
シヴァの言葉にスグリが悪びれず、半分な、と答える。
「重要なところはちゃんと聞いていたから心配するなよ。俺は今日は吊り橋の手伝い組だろう?それから、レンが無茶した話も聞いてた。」
「まったく、お前は頼りになるやつだ。」
「そうだろうとも。ここの少年も似たようなものだと思うぞ。」
「スグリさんには敵わない。…僕は訓練始める前にポプラさんの所へ行ってくるよ。」
レンの言葉にシヴァは頷いて、頼む、と言った。
ポプラの所へ行く目的は今朝の出来事を話すためだ。族長は翼技師にも話してやれと言っていたが先ずはポプラだろう。
村で一番大きな翼の工房はポプラの実家だ。しかしそこはいわゆる一定の品質の翼を大量に生産できる工房なのである。実家の跡継は兄に託して家を出たポプラは、ひとりで常に先進的な翼を模索している。
自分で発見した新しい技術は、他の技師たちにも惜しみなく共有していた。技術をひとり占めして自分の顧客を増やすより、マカニの村全体の翼の技術が向上することを選ぶ。レンはそんなポプラの在り方が好きで、心から尊敬していた。勿論翼技師としての腕も信頼している。
工房を訪れたレンを、ポプラは快く迎えてくれた。今はそんなに忙しくないらしい。
「こんなに時間にどうした。翼の調子でも悪いか?訓練、始まったばかりの時間だろう?」
「ううん。翼は絶好調。絶好調だからこそ、今朝、ちょっと実験をしたんだ。」
「実験?」
レンの話を聞いたポプラは腕組みをして天を仰いだ。実際は室内なのでそこに在るのは天井だが、ポプラはおそらく空を見ていた。
「…空気の濃さ、か。」
「うん。急に息苦しさを感じたんだ。翼が上手く動かなかったのも空気の濃さのせい?」
「おそらくな。空気の濃度が低くなると空気抵抗が少なくなる。」
「そういえばカリンが黒鳥病の原因は高地にあるマカニの空気が薄いからだって言ってたね。当然、更に高い所の方が空気が薄いのか。」
「受ける空気の抵抗が小さくなると、滑空するには適しているが、微妙な方向転換なんかは難しくなる。」
「なんだ、僕が知らせるまでもなく、ポプラさんには理屈は解っていたんだね。」
「いや。理屈は解っても、実際にどのくらいの高さでどのくらいの影響を受けるかは分かっていなかった。助かったよ。お前のように訓練された戦士でない俺は、おそらく自分でそんな高さまで飛べない。」
「あ。そうか。どちらにせよ普通の人はあそこまで飛ぶ理由はないよね。」
「分からないぞ。マカニ族のことだ。エルビエント山の上から天に向かって階段を伸ばしてしまうかもしれない。今後に備えて翼の仕組みを考えてみるのもいいかもしれないな。」
あははと声を出して笑いながら、レンはポプラの様子がいつもと少し違うことに気がついた。
「どうかした?」
「何が?」
「ポプラさん、なんかいつもとちょっと違うなって思って。ごめん。もうだいぶ話した後だけど…。」
「ああ。どうやら父が正式に工房を兄に譲ることにしたらしいんだが、そうしたら兄が急に弱気になって、俺に戻ってこないかと。」
「それって、ただ家に戻るってことではないよね。」
ポプラの実家の工房は沢山の翼技師を抱えている。ポプラの兄は、技師としてのポプラではなく、経営者としてのポプラに期待しているのだろう。
「そうだろうな。あそこの工房のやり方に倣えと言われたら俺は困る。かといって兄を見捨てるようになるのもどうかと思って、ここ数日考えていたんだ。ひとりで思い詰めていたからお前と話ができて良かったよ。いい気分転換になった。」
「僕はポプラさんの造る翼が好きだよ。」
「お前はいつもそう言ってくれる。…以前お前に貰った言葉を何度も思い出していた。」
「僕がリーダーや族長になってもポプラさんに翼を依頼するってやつ?」
「そう。もしそれが本当になったら、兄はどう考えるだろうな。」
「あ…ごめん。僕は自分のことしか考えていなかった。」
「いや、いいんだ。俺もそれは光栄だと思うし、これからもそう言ってもらえるだけの技師を目指したいと思っている。」
「ポプラさんは自分の工房を大きくしたいわけではなくて、自分の理想の翼を造りたいんでしょう?自由に翼の研究をするために自分の工房を持ったんだ。手に入れた技術は惜しみなくみんなに分けてあげている。」
「そう。そのつもりだ。そこは曲げたくない。…やはり、そのままを兄に話して断ろう。有難う。」
「僕は何もしてない。結局ポプラさんは自分で自分の心を解っていたじゃないか。僕が今日ここに来たのは偶然だよ。ポプラさんはいつも自分の心は自分で決めている。」
ポプラも、スグリや族長と同じ種類の人間かもしれない。自分だけの世界を持っている。そういえば、スグリの翼は誰が造っているのだろう。ポプラでないことは確かだと思う。
「スグリの両親じゃないのか?あそこは父親が翼技師、母親が採羽師だろう?それこそ二人ともうちの実家の工房で働いている。」
「ああ。そうだったね。それは確かに他の工房には依頼しにくい。」
スグリもそういうことは気にするのだろうか。今度訊いてみよう。
「レン、お前、成長したな。」
「どうして?」
「自分の技術を極めるだけでなく、周囲の人に気を配れるようになった。」
「さっき、自分のことしか考えてないって言ったばかりだけど。」
「そうでもないさ。」
「そうなれるよう頑張るよ。」
意識してそうなったわけではなかった。自分は未だに自分の技を磨くことに集中している。ただふとした瞬間に、気になることが増えたのだ。
これを成長と言っていいのだろうか。ぼんやりとそう思いつつも、ポプラに暇を告げたレンの意識は、既に今日の訓練に向いていた。
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