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鳥たちのさがしもの 3

 鎌倉行きの話が出ると、案の定斑鳩は興奮したように「いいじゃん」を連発した。そればかりか、率先して予定を立て始める。
「おい、斑鳩。鎌倉に行きたいって最初に言ったのは燕だぞ。先ずは燕の行きたい場所を優先しろよ」
 雲雀が見かねて口を挟むと、斑鳩は、悪かったと素直に謝って燕を見た。
「えっと、雲雀ありがとう。僕が絶対に行きたい場所はひとつだけで、それ以外はみんなの好きにしてくれていいよ。でも、もしかしたら日帰りじゃなくて一泊くらいを考えた方がいいかもしれない」
「一泊?」
 燕の予想外の言葉に皆は思わず聞き返す。
「うん。僕の行きたいところは、少し山の奥まで歩かなくてはならないし、じっくり見たいんだ」
「そうか。うーん。うちはまあ大丈夫だと思うけど、みんなはどうだ?」
 少し戸惑った様子ながら斑鳩は引き続き計画の主導権を握っている。他の皆も口々におそらく大丈夫だという曖昧な反応を返した。
「燕。そこは一日潰れると思っていた方がいいのか?」
「ごめん。はっきりしたことは言えないんだけど、計画はそうしておいた方が良いのかもしれない」
 自信の無さそうな台詞だったが口調ははっきりしている。そこに燕の意思が込められているように感じられた。斑鳩は、それに気がついたのか気がつかなかったのか、そうか、じゃあ一日目は燕に任せるとだけ言い、気持ちを切り替えたように二日目の予定を検討し始めた。
「それよりも、どこに泊まるんだよ」
 孔雀が当然の疑問を挟んだ。皆、アルバイトをしているわけでもない。自由になる金がどのくらいあるのかもお互い知らなかった。
「鎌倉駅の近くに、ワンルーム一万円未満で泊まれる所がある。人数はちょうど五人まで。一人二千円弱だよ。それくらいなら大丈夫だろう?」
 燕が、あらかじめ調べてあったかのように答えたので、皆は顔を見合わせて口々に、それくらいならまあ…と頷き合った。
「燕、お前、よっぽど行きたかったんだな」
「……うん。僕、中学の時はこんな風に気を許せる仲間って居なかったんだ。だから、嬉しい」
 孔雀の問いかけに、燕は言いにくいだろうことをさらりと言ったが、その表情は明るかった。無理しているようには見えない。本当に、ただ五人で鎌倉という場所に行ってみたいだけなのかもしれない。孔雀も、そりゃ良かった、と軽く受け流した。
「雲雀と夜鷹は行きたいところ、無いのか?」
 斑鳩が尋ねたが雲雀は首を横に振った。
「知らない場所を散歩できるだけで十分だ」
「お前、老人かよ」
「大きなお世話だ」
「夜鷹は?」
「強いて言えば、折角一泊するなら夜の海が見たい」
「いいじゃん、夜の海。よし、行こうぜ。これで夜の予定は決まったな。燕の調べた宿は素泊まりだよな?」
「うん」
「色々買い出しして海で食べるっていうのもいい。すげえ、なんかめちゃくちゃ楽しみになってきた」
「山吹」
 不意に名前を呼ばれて雲雀は振り返った。図書室に続くガラスの引き戸から弓道部の先輩の顔が覗いている。鎌倉行きも決まったことだし、雲雀は他の仲間に断ってその場を離れた。
 期末試験前だからかいつもよりも図書室に人影が多い。声を掛けてきた先輩は三年生だ。そろそろそのまま進学か外に出るのか決めなければならない時期だろう。この学校は三年生一学期の時点で成績が上位半分以上に居ればほぼそのまま大学に上がれる。ただし、希望する学部がある場合はもう少し良い成績が必要だった。先輩の成績は知らない。
「何ですか?」
「話し中すまない。今、放課後の部活が無いからなかなか機会がなくて」
「いえ」
「お前、弓道は高校からって言ってたよな」
「はい。中学には弓道部はありませんでした。中学の時は帰宅部です」
 小学校の時の記憶が曖昧だった雲雀は、中学に入りたての時期にもややそれを引きずっており、部活に入りそびれたのだ。とりたてて後悔はしていなかったのだが、部活に入っていなければいないで色々と面倒であることが分かった。やたらと理由を訊かれるのだ。
 そんなわけで高校に入った時には何かやろうと思ったが、チームプレイは避けたかった。弓道部を選んだのはそれだけの理由だ。しかし、始めてみると意外と面白かった。だから結構真面目に練習している。
「お前、なかなか筋がいいよ。秋の大会、出てみないか?」
「え? でも俺、最近ようやくゴム弓を卒業したばかりですよ」
「知ってるよ。それなのに比較的的に当たってる。夏休みしっかり練習すれば大会を目指せると思う。まあ、上位に食い込むのは無理かもしれないが経験としてな。……考えておいてくれ。個人戦だけでいい」
 雲雀が分かりましたと返事をすると、先輩は雲雀の肩をポンと叩いて去って行った。代わりに話を終えたらしい仲間たちが歩いてくる。時計に目をやると昼休みが終わる時間だった。
「日程は、部活や補講が始まるお盆明けより前。週末を外して八月七日と八日で仮決めだ」
 斑鳩が満足そうな笑顔で宣言した。

**********

少年は調和を探していた。放課後の中庭。音楽室から吹奏楽部の演奏が降って来る。不安定なサックスは新入部員だろう。『宝島』の旋律が葉桜を揺らす。尻尾を立てリズムに合わせたキャットウォークが塀の上を横切る。

**********

 一泊での鎌倉行きの話をすると、母親は一瞬なんとも言えない表情を浮かべたが、すぐに笑顔になり、気をつけていってらっしゃいねと言った。誰と行くのかも訊かない。やはり、信頼されているのか遠慮されているのか分からなかった。
 何はともあれ、仲間たちもそれぞれ親の了承をとりつけ、無事夏休みの鎌倉行きは決行されることになった。
 期末試験は呆気なく終わり、予想通りの結果が貼り出された。燕と夜鷹は全教科上位十名の中に名を連ねている。雲雀は上の下というのか中の上というのか、そこそこの成績だ。この位置をキープしていれば進学はできる。それは雲雀の曖昧な生き方を象徴しているようだった。
 斑鳩と孔雀も真ん中より下になった教科はなく、皆夏休み中の補講は免れた。高校編入組はそれなりの水準で入学してくるので当たり前と言えば当たり前だが、いいことには変わりがない。
 期末試験の結果が発表された週末には終業式だ。申し訳程度に数日だけ放課後の部活が復活したが、先日話しかけてきた先輩はその後何も言ってこなかった。
 弓道場は半分屋内、半分屋外だ。夏に部活をやる環境としては日影がある分、屋外の部活よりはましだろう。それでも、弓がけをはめた右手にはあっという間に汗が滲む。的に向かって立って弓を構えると、上衣の袖を風が通り抜けた。
 雲雀は的に向かって矢を放つ前の一瞬が好きだ。その瞬間を、弓道の言葉で「かい」という。全部で八つある流れ、射法八節のひとつだ。その瞬間だけ、ぼんやりとした自分の人生の輪郭がはっきりする気がする。まだたかだか十六年しか生きていないのに人生などと言ったら笑われるだろうか。また斑鳩に、老人かよと突っ込まれるかもしれない。
 しかし、そのくらい、中学時代は自分の人生について考えさせられたのだ。小学校の頃の記憶が曖昧な分、自分の生まれてきた意味について考えた。自分は何のためにここに居るのか。友人に借りて読んだ漫画の影響で、自分は何らかの陰謀で記憶を捏造されて今の両親の元に送り込まれたのではないかと考えたこともあった。今となっては笑い話だ。
 真剣に五本の弓を打ち終え、的場から矢を回収して戻るとそれだけで汗だくだった。次の順番が回ってくるまでは正座して他の人の弓を眺める。
 吹奏楽部の演奏が聴こえている。『宝島』、たまたま雲雀の知っている曲だった。気になって音源を探したが見当たらない。どうやら校舎の中から聴こえてくるようだ。代わりに、緑色の葉を揺らす桜の木が目に入った。それは、どこか懐かしい光景だった。
 次に秋の大会を勧められたら、参加の意思を示そう。桜の木と青い空を眺めながら雲雀は心に決めた。ここに居る意味は、自分で作るしかないのだ。

『時には強く』-燕

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この物語は、dekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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