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物語の欠片 緋色の山篇 6

-レン-

 族長が村人を集めるのは久しぶりだ。大抵は戦士たちの朝の会合で族長からの言葉は村全体に届く。
 族長の左後ろに立って村人の顔を眺めると、皆の表情に期待と不安が半々に混じっているのが感じられた。
 カリンはカエデと共に最前列の端に控えていた。目が合うと微かに微笑む。
 「私が改めて言うまでもなく、今年の冬は例年に比べて厳しい。皆感じていることだと思う。これまで、それぞれに工夫しながらよく頑張ってくれた。」
 声を張り上げているわけでもないのに、族長の声はよく通る。族長が話し始めると、皆は自然と引き込まれるように雑談を止めた。
 「連日、戦士たちが欠かさず雪降しをしていたにもかかわらず吊り橋が落ちた。マカニにとっては大きな出来事だ。しかし、動揺する必要はない。我々には翼がある。こちらからの移動は可能だ。その上で、発生しそうな問題は既に検討が進んでおる。もし個別に不安なことがある者は、カエデに申し出てくれれば併せて検討しよう。」
 さて、という族長の声で、一瞬緩みかけた村人たちの表情が再び張り詰める。
 「実は今、私はもうひとつ大きな問題を抱えておる。」
 問題を抱えていると言いながらも族長の表情は変わらない。いつもと同じ穏やかな表情で、フエゴで起こっていること、そしてアヒ族がマカニ族に助けを求めているのだということを淡々と話した。カリンとレンをフエゴに送ることに話が及ぶと、シヴァの懸念通り場が騒めく。マカニが大変なこの時にという声も聞こえた。
 「族長。橋が落ちたということは書簡使も来られません。もしカエデが各地域を周って書簡を配り集めてくるというならば、その間マカニに医師が不在になります。カリンまでフエゴに行ってしまったら急な病人や怪我人はどうしたら良いのでしょう。それに、レンはどんな環境でも飛ぶことができる貴重な人材です。そのレンを今フエゴにやるだなんて…。」
 皆の声を代弁するように一人が口を開くと、それに同調するように更に騒めきが大きくなった。族長はしばらくその様子を眺めた後で再び口を開く。
 「書簡使はカエデでなくともできる。カエデはできる限りマカニに留め置こう。レンの代わりは私がやるつもりだ。」
 族長の言葉に、騒めいていた場は一転、沈黙が降りてきた。皆無言で顔を見合わせている。
 「勿論、それでも問題は色々とあるだろう。しかし、私は、今のマカニならばなんとかなると思っておる。私はマカニの族長だ。マカニを守る義務がある。そのことは、常に第一に考えておる。それを疑う者は居るか?」
 族長は集まった村人たちの顔を見渡したが、誰も口を開く者は居ない。
 「マカニは小さな村だが、これまでいざという時には孤立しても自給自足で生き延びられるよう、環境を整えて自分たちを守ってきた。しかし、本当に他の地域と一切の交流が途絶えたらどうであろうか。万が一この大雪が春になっても残り、作物が植えられなかったら?その時、他の地域を頼れなかったとしたらどうであろう。それでも生き延びることはできるであろうが恐らく随分苦労するであろうな。」
 「それは、今アヒ族を助けておいた方が得策だ、ということでしょうか。」
 最前列に居た村人が遠慮がちに言う。
 「そういう考え方もあるな。だが、少し個人的な話をしよう。皆も知っての通り、少し前に上皇陛下がマカニへいらしたことがある。その時私は、陛下のご意思に逆らった。その時点でマカニがアグィーラ王国から切り離されてもおかしくはなかった。私はその覚悟だった。その時、真っ先にマカニに同調すると言ってくれたのはポハク族のパキラだった。ポハクはアグィーラに次ぐ大きな町だ。小さなマカニは切り離せてもポハクは切り離せない。それを解ってのことだったと思う。その時マカニに味方することは、パキラにとって害はあっても利益は全く無かったはずだ。」
 そうだったな、と急に話を振られ、レンは頷く。
 「はい。あの時は、金色の馬のことがあったからかと思いましたが、その後も何度かパキラ様とやり取りをさせていただいて、パキラ様はそのような方なのだと分かりました。ご自分がその時正しいと感じたことをなさる。」
 「私もそう思う。そして、私もそう在りたいと思っておる。もっとも、パキラの正しさと私の正しさが全く同質とは思ってはおらぬ。私は私の正しいと思う道を行きたい。さて、その上で今、マカニを守るためにアヒ族を見捨てることが正しいことだろうか。私はそうは思わない。しかし、私の正しさと皆の正しさが違っても良いのだ。それは間違いではない。だから個人的な話だと言った。」
 レンも自分の胸に問うてみた。しかしどう考えても今、アヒ族もポハク族も見捨てようとは思えない。それは、ネリネとイベリスという個人的に付き合いのある仲間が居るからかもしれない。それでもいいのだ。それがレンの考える正しいことだ。
 「皆も自らに問うた上で、思うところがあったならば、この場では言い出しにくいであろうから後で私の所へ来るとよい。もし直接私と話すことができなければシヴァでもレンでもカエデでもよい。皆の正直な意見が聞きたい。これは私からの頼みだ。私の個人的な思いのために、皆の力を貸してほしい。」

 結局その後、異議を申し出る者は居なかった。むしろ、自分がカエデの代わりに書簡使をやろうというものが数名居り、交代で担当してもらうことにした。布などの工芸品を作っている者たちは、他から買い付けに来る道が閉ざされてしまったので、いずれにせよ自ら他の町や村へ売りに行かねばならない。そのついでに書簡も運ぼうという提案だ。
 当初戦士たちで賄おうと思っていたので、それはレンたちにとっても有難い申し出だった。戦士がやらなければならないことは他にも山ほどあるのだ。
 吊り橋を調査していた戦士から報告が入り、吊り橋は高い位置で切れていることが分かった。この位置に何か細工をするならば空を飛ぶか危険を冒して吊り橋をよじ登らねばならない。マカニ族ならば簡単だが、他の種族が何か仕掛けをした可能性は低いとされた。
 破損した橋は回収されたが再利用できる部分はほとんどなく、新たに造り替えられることになった。土木師たちはその対応に追われている。何せ大吊り橋を造り替えるのは数百年ぶりのことだ。経験者は誰も居ない。技術は伝わっているとはいえ大変な仕事だった。材料の調達や、その他の村の建造物の破損確認等、戦士たちができることは戦士たちでやらねばならない。
 おまけに深夜の雪降しである。確かにこのタイミングでマカニを離れることを、レンは申し訳なく思った。
 ココは明らかに不貞腐れている。長期ではないとはいえカリンがまたマカニから他へ行ってしまう上に、普段以上に仕事があるからだ。さすがにそれだけで族長の所へ行く勇気はないようだが、レンに対しては不満を隠そうともしないココを苦笑して宥める。
 「僕だって分ってるよ。アヒ族もポハク族も助けてあげたいけどさ、不満くらい出てくるってものだよ。レンは明日からカリンちゃんと一緒にフエゴに行くんだからさ、今日のうちに僕の愚痴を沢山聞いてよね。」
 「分かった。今日は僕がココの分の仕事を少し代わってあげるから、早めに上がってカリンとお茶を飲んでおいでよ。何ならそのままうちに夕飯を食べに来る?」
 「いいの?」
 素直に目を輝かせるココを見て、近くに居たホオズキが豪快に笑う。ココの父親であるヤシと仲が良く、ココを自分の息子のようにかわいがっている古参の戦士だ。明日からフエゴへ行くメンバーのひとりでもあった。
 「相変わらずココは素直だな。見ていて気持ちがいい。」
 「ホオズキさんも、いいなあ。フエゴに行くんでしょう?」
 「老戦士だからなあ。肉体労働より見張りが適任なのさ。」
 「老戦士って程でもないでしょう。父さんより少し上なくらいだ。」
 「それでも戦士としては最年長だよ。」
 「そうなんだ。」
 「最後の重大任務になるかもしれんな。」
 再び大きな声で笑うホオズキを周りの戦士たちが振り返る。
 「おっと。さぼってる場合じゃなかった。レン、明日から頼むよ。」
 そう言って去って行ったホオズキを見送るココの顔はすっかり明るかった。切り替えが早いのは取り柄と言ってもいい。
 ホオズキはそろそろ引退を考えているのだろうかとレンは考える。年齢からすると少し早い気もするが、魔物の少ない今ならば、戦士の職を辞して早めに次の仕事を始めるのもひとつの選択肢だろう。
 思えば戦士にも沢山の生き方があるものだ。自分はこれからどうなっていくだろうか。そう考えながら先日の族長の話を思い出す。あんな風に村人を納得させられる人物に、いつか自分はなれるのだろうか。
 決して族長になりたいわけではない。それでも、人としての族長に憧れがある。それは子供の頃から変わらない。レンはちらりと自分の濃い藍色の翼に目をやる。族長の漆黒の翼に憧れて選んだ深い藍色の翼。
 「今は目の前のこと。」
 「何?急に。」
 「何でもない。」
 「でもそうだね。とりあえず目の前の仕事を終わらせて早くカリンちゃんの所へ行こうっと。これ終わったら上がっていい?」
 「いいよ。」
 「やったあ。」
 空中で小さく宙返りしたココの明るい緑色の翼と、族長の漆黒の翼の重さの違いを感じてしまったレンは、ひっそりとそれを胸に仕舞った。


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