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物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 1

-カリン-

 雪景色のマカニの村が夕陽の色に染まってゆく。
 普段ならば、まだ診療所を閉めるには少し早い、そんな時間だった。
 大吊り橋が落ちる程の雪が降った昨年比べると少しだけ過ごしやすい冬だった。それでも十分にマカニの雪は深い。
 カリンは少し早めに診療所を閉めて、吊り橋へ向かう階段を下っている。アグィーラから来る使節を迎えるためだ。アグィーラを朝に出発しているはずだが、この雪山を、それなりの人数で上がって来るには時間がかかる。到着は夕方になると事前に聞いていた。
 途中でローズとマリーの宿屋に寄って、準備ができていることを確認してから村の入口へと向かうと、まだそれらしき影は見えなかった。
 吊り橋へ向かおうとすると、村の入口にある厩舎からダリアが顔を出した。
「おつかれさま。そろそろかしら?」
「多分ね」
「十二名と言っていた?」
「うん。大丈夫?」
「そんなに沢山迎え入れるのは遺跡の調査以来だけれど、大丈夫よ」
 マカニ族は馬を使わないので、普段この厩舎にはガイアしか居ない。外から客が来た時は必ずここで預かるが、雪深い冬に訪れる者は少なかった。定期的に商売に来るポハク族くらいのものである。
 ダリアはそのままカリンについて、吊り橋の手前まで一緒に来てくれた。カリンは毎日のようにガイアに会いに厩舎へ顔を出すので、それほど世間話も無く、そのまま黙って夕暮れの空を眺めながら使節の到着を待った。
 使節団の姿が見える前に、見張りに立っていた戦士が知らせに来てくれた。礼を言い、戦士が持ち場へ戻るのを見送ってしばらくすると、すっかり暗くなった中に、ちらちらと揺れる明かりが見えた。
 それが次第に大きくなり、明かりの灯された吊り橋に到着する。
 先頭に、クコの顔が見えた。
 カリンの姿を認めると、その顔に笑顔が広がる。
「クコさん、おつかれさまです」
 先に声をかけたのはカリンの方だった。クコはそれに片手を挙げて応え、吊り橋を渡り切ったところで馬を降りた。
「出迎え感謝する。お前が居ると思うとマカニは気が楽だ」
 クコは現在、太陽光による発電の研究をしていて、それが漸く形になり始めている所だ。実用化に向けて、各地方で実証実験が始まろうとしている。
 マカニの場合、この冬の気候に耐えられるかどうかが最大の難関なので、わざわざこの雪深い季節にマカニを訪れたのだった。
 マカニはこれまで豊かな谷川の水を利用した水力発電を行っていたが、水車が壊れた場合や、何らかの理由で谷川の水量が減ってしまった場合の代替手段が無かった。もし太陽光発電が代替として利用できるならば、それは有難いことだ。
「まずは族長の所へご案内します」
 馬を厩舎へ預け、クコと共に階段を上る。
 全員で押しかける必要は無いので、他の面々は先に宿屋へ案内することにした。皆、マカニを訪れるのは初めてらしく、陽の暮れた村を珍しそうに眺めている。

「ご無沙汰しております。今回は正式にアグィーラの官吏として参りました。我々の実証実験に快く応じていただき、感謝しております」
 クコが族長に向かって恭しく頭を下げる。族長の両側にはシヴァとレンが立っていた。
「太陽光発電とはまた素晴らしい発明です。ご協力できることを光栄に思います。何より、クコ殿の再訪を歓迎いたしましょう」
 クコはこれまで二度マカニを訪れている。いずれも私的な来訪で、建築局の官吏としてマカニの村の構造に興味があるようだった。吊り橋の再建に対して助言をしてもらったこともあり、マカニの土木師たちとも信頼関係がある。族長とも当然既知の間柄だった。
「いやあ、本当に有難い。そのように受け止めてくれる種族ばかりではないのです」
 挨拶を終え、やや砕けた様子になったクコは、カエデの淹れたお茶を飲みながら各地方の反応について語ってくれた。
 まず、唯一反対にあったのはポハク族だった。
 ポハクの電力は現在すべて風力発電で賄われている。死の砂漠は人が住むには適さないが、常にある程度の風が吹き、遮るものが少ないため、風力発電用の風車の設置場所としては適している。それらの電力は商人会が一手に掌握しているが、そこが問題だった。
 カリンたちも何度も体感しているように、ポハクの日中帯は日光も豊富だから太陽光発電にも適しているはずだ。建築局も、歓迎されるに違いないと思って真っ先に相談に行ったのだが、商人会の抵抗にあって、現在交渉が小康状態にあるという。
 商人会が提示している条件としては、太陽光発電が実用化した暁にはその仕組みだけを買い取り、運用は商人会に任せることだという。つまり、利益が過剰にアグィーラに流れることを良しとしていない、ということだろう。
 ワイはマカニと同様に水力発電だが、以前の旱魃のような事態に備えて非常用電源を備えておくことには積極的だという。ただ、農地が広大で、太陽光発電の仕組みをどこに組み込むかというのが課題だそうだ。
 豊かな森を切り拓くわけにもいかなければ、景観も重視しているため、各家の屋根に設置するという訳にもいかない。
「……そういうわけで、とりあえず実験用の機材だけ、新しく作った医院の屋上に設置させてもらってきた」
「確かにあそこなら平らでしたし、建物自体が高いから景観への影響も少なさそうです」
 カリンは相槌を打つ。そもそも医院の建物自体がとても無機質で、ワイの雰囲気にはそぐわないように感じていた。あの意匠を許容したエリカの考えが、カリンには理解できなかった。
「マカニの次はアヒですね? クコさんは火山の噴火の際に活躍されたからアヒでも名前の通りは良いのでは?」
「いや、実際お会いしたのはネリネ殿くらいのものだしな。だが確かにカリンの言うとおり、アヒの族長殿からの返答は好意的なものだった。アヒは珪石けいせきの産出地でもあるから、可能であれば発電のための機材を作る施設も置かせてもらえないか交渉するつもりでいるんだ。一番の肝だと言える」
「アヒは、地熱発電でしたよね? 地熱発電の仕組みの構築には大きな費用がかかりますから、歓迎されるのではないでしょうか」
「まあ、本来で言えばそうだけどな」
 先ほど聞いたポハクの商人会のような抵抗がアヒにおいてもあるとは思えなかったが、クコは言葉を濁した。
「どこかが得をするということは、損をするところもありまするな。……そう、例えば地熱発電の仕組みを作り、維持しているところは、その大きな収入を失うことになる」
 族長がクコの後を引き取って発言した。
「仰る通りです。ただ、総じてアヒの利益になるならば、その者たちの減収を地政として補填をすることも考えるとアヒの族長殿は仰っていました」
「アキレア殿がそう仰っているならば心強い」
 アキレアが……いや、ツバキだろうか? 少なくとも鉄鉱石の問題ほどは複雑ではなさそうだと、カリンも安心して話を聞くことにした。
 クコは族長相手に、太陽光発電とその他の発電方法との仕組みの違いを説明した。話は専門的な域まで踏み込んだものだったが、理路整然としていてとても分かりやすかった。族長が時折挟む質問も的を射ていて、カリンがこれまであまり触れてこなかった分野の技術を理解する上で、有意義な時間だった。
「では、明日は朝早くから作業に入らせていただきます」
 クコは最後にそう締めくくって、族長との会談を終えた。

「クコ殿の説明、途中からさっぱりだった」
 クコと他の建築局の面々を食堂へ案内して一緒に夕食を摂り、別れた後でレンが苦笑しながら言った。
「そう? 面白かったけれど」
「電気に直流とか交流とか種類があるなんて知らなかったよ」
「私は言葉としては知っていたけれど、仕組みは知らなかったからとても勉強になったわ」
「他に応用できそうにないけどね」
「ふふ。そうね。でもそのうち電気で動く武器ができるかもよ? 医療機器などはすでに電力を使用しているし、仕組みを理解しておいた方が扱いやすいかもしれない」
「前向きだね」
「レンは明日の作業に立ち会うのでしょう? 実際の機材を見たら理解が深まるかも」
「ああ、そう。それを見るのは楽しみなんだ。僕だって機械が嫌いなわけではない。合理的な仕組みを見ると感動するよ」
 マカニで日照時間が最も安定しているのは向かいの峰の南側の山頂だが、こちらの峰まで電線を引くことが困難なため、マカニ村の在る峰の山頂付近に試験用の機器を設置することになっている。
 マカニ族は空を飛ぶので、高い位置に電線を引かずに、すべて地面の中、あるいは地面に張り巡らせた筒の中を通しているのだ。向かいの峰からそれをやるためには、一度山肌に添って下までおろし、再びこちらの峰を這わせなければならない。
 マカニの峰の山頂まで行くには、機材を担いで人や馬が登るには険しいが、マカニ族が飛んでいく分には雪も邪魔にならない。明日以降、マカニの戦士数名と土木師たちが、建築局の官吏たちを乗せて山頂付近へ飛び、作業に立ち会う予定になっていた。
 作業は二日ほどで終わるだろうと言われていた。その後クコたちは更に二日、機材の稼働状況を確認してからアグィーラへ戻ってゆく。
 秋頃にレンが負った怪我は漸く治り、少し前から訓練も再開していたが、大きな任務に就くのはこれが初めてだった。責任感の強いレンは、任務に就くことができないことを気にしていたから、きっと嬉しいだろう。
 任務に就けなくても訓練に本格的に参加できなくても、毎晩、弓も翼も欠かさず丁寧に手入れをしている姿を見て、カリンは胸が詰まった。だからカリンも、レンの復帰を心から嬉しく思っていた。
 一方、自分がこれからどこを目指してゆくのだろうという問題の答えは、未だ浮かんでこなかった。
 もちろん薬師の仕事はしているし、新しい薬の研究も続けている。新薬だけでなく、既存の薬も改良の余地がある。
 しかし、多分そういうことではないのだ、とカリンは最近気づき始めていた。
 そして、先ほどクコと話をしたことで、それはほどんど確信に近くなっていた。
 クコはこの世界の仕組みを解き明かそうとしている。太陽の持つ光や熱の仕組みを解き明かそうとした結果が今回の太陽光発電である。
 クコの眼には、太陽も月も星も、樹々も石も地面も、風も空も舞い散る葉も……すべては一定の法則のもとに動いているように見えている。
 カリンもまた、別の角度からこの世界の成り立ちを理解したいという欲求があった。自分の持っている大地の力、そしてアルカンの森の存在。
 しかしカリンはまた、恐れてもいたのだ。
 それらを知った時、自分は一体どうなってしまうのだろう。
 それでも、きっと自分はそこに向かって進んでしまう。
 それが恐ろしくて、自分を踏みとどまらせるために迷っていたのだろう。
 でも……
「早く帰ろう。夜は更に冷えるね」
 カリンは身震いをごまかすようにレンに声をかけた。
 レンは微笑んで頷き、カリンの手を取った。 


***
韓紅の夕暮れ篇2

これは長い長い物語の十四篇目の物語である▼


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