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「今を大事に」が辛いなら。必要なのは適応じゃなく、新しい今をつくること。

できるだけ今をより良く生きられるように
苦しい気持ちはできるだけ解消できるように
そういう目的でものを考えている時間がとても長いような気がします。

この気持ちや反応はどこからきてるんだろう?
それはなぜだろう?
なるほどこういう理由か、じゃあこうすればいいんだ!

そういう分析は全部、前向きな姿勢で行っていることで、その結果が現実を良くしていくのはたしかだと思う。
だけどその視線が向かう先は、すでにもう起こったことやネガティブな気持ちになってしまう。
そういうことに、「なんかもう、いいかなあ」と思った。

考えることは好きで、おそらく自分の中では得意な方で、自然とやってしまうこと。
でもなんかもう、「対処していく人生」はつまんない、と思ってしまった。

ネガティブな気持ちは自分がこうで環境はこうだからで、こうしたら解消できて…
そんなことより、

ワンちゃんの目を見たい。
前に行った、太陽が降り注ぐりんご畑がなぜか頭に思い浮かぶ。
竹富島の朝。気仙沼の海の匂い。
美味しくてぴかぴかの野菜を手に取って、料理したい。
すごく好きな服を着て、すごく好きな人に会いたい。

人生にはこんなに光の部分があるのに
わざわざ暗い部分を見つめて、そこを少しでも明るくしようとする意味ってあるのかな?

明るい方に自分が移動すればいいんじゃないか?って

そんな気持ちになることが増えた。

ここまで書いて、やっとわかった。

そうか。

そういう光の部分に行っても、遠くから見たら完璧な光だった部分にも
その中に入っていけば、今と同じようにしょうもない嫌なことや暗い部分があって
それとどう付き合うかは自分の力量。

でもそこで、だから今を大事にしようという名目でただ耐える、のは違う。
暗い部分を時には冷静に見つめて対処するのが必要なのはどこでも一緒だけど
ここにいるために、必要なんだ!という納得感があるかどうかで、その意味は変わる。

たとえばもし一定期間沖縄でファームステイをしよう!と決めても、そこのおじさんとのコミュニケーションですごく悩むかもしれない。
そうしたらまた、なんでだろう?とかどうしよう?とか考える必要は出てくる。
でもその時に、ただただなんか辛いのに我慢してる!じゃなくて、
わたしはこういう目的でここに来た。
だからこの努力は必要、だからこの努力はしない、と自分で決めていけたらいい。

暗い部分を改善すること自体は目的ではなくて、
"このために"っていう光のための対処をする。

人生に何かしらのやりたくないこととか嫌なことがあるのは前提として
それをなぜ自分は引き受けるのか?がわかるといい。

だって会社で働くってこうだからとか
そりゃ人生楽しいことばっかりじゃないからとか
よくわかんない理由でわけもわからず耐えてるって状態が一番辛いんだ

はい。そんなわけで結局今は、
「自分が本当にすっごくときめくことのために生きられる」
そういう現実的に手に入れるために、
衝動的に破壊することなく、必要な準備とやり切りたいことをやり切るために、時間を使おうとおもいます。
地味だけどただ耐えてるんじゃない、
じわじわと進む今です。

「今を大事に」は大好き。今をただ否定するのは好きじゃない。でも、「今を大事に」が自分を騙して我慢させる口実になるなら
新しい今をつくるために動かないと。

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