働く理由が増えていくたのしさ。

4月に新卒入社した会社で、1ヶ月を過ごしました。とても元気に学びながら過ごしているけど、やっぱり緊張もします。

それでも少しずつ、働くということに対して構えなくなったというか、気負いすぎずに等身大で「働く」を捉えられるようになった気がしています。


バスに乗って、接骨院で痛い背中をほぐしてもらって、ドラマを観て大笑いして、いろんな場所で誰かの「働く」に支えられたり幸せをもらったりしたときに、「おなじように自分も返したい。そのために働こう。」と思ったり。

仕事で関わる、親切な人、素敵だなあと思う人たちと、「同じ時間を共有するからには少しでも気持ちよさを届けられるようにがんばろう」と思ったり。



会社を選び、理想の「働く」を描く段階にいた頃は、一度きりの人生、何を大切にしたくて何が好きなのか?にとことん素直であることだけを目指していました。

でもいざ働き始めたら、もっと小さく、いや、ある意味もっと大きく?、"誰かに生かされている自分"、"世界の一部として生きている自分"としての理由で働いてもいいのかもしれないと思うようになったのです。

選ぶ段階で「たったひとりの誰でもない自分」にとっての大義を形づくることもとても大切だし、それがあるから納得して前向きに働けることも日々本当に実感しています。自分のコアに触れる仕事を選べたからこそ、大変なことがあっても時間と心を捧げていることに前向きでいられるんだと思う。

でも実際に働きながらずっと誰のために何を成し遂げて、それは私の人生でどんな意味があってとかそんなに大きなことばかりを思うと結構プレッシャーになるから、

あまり仕事という概念や利害に囚われず、自分も相手もひとりの人間として生きていることを感じながら、この人にもう少し喜んでほしいなとか
いろんな人に日々良くしてもらってるお返しに、自分も少しいいことを世界に生み出そうとか

そんなふうに思いながら働くのもいいなあと思ったのです。

これはきっと、これまでもたくさんの働く人たちに教えてもらってきたことでした。でも人から聞いてもどうしても、綺麗事というか、そりゃそうだけどそんな壮大で概念的な理由で頑張れるのか、なにか正当化してるんじゃないかと疑いもあって、心から納得することはできなかった。

それをほんとうに無理なく実感として納得できるようになったことで、肩の力が抜けて生きやすくなった気もするし、この世界で生きていく気合と本当のたのしさを手に入れた気もします。

まあ「人のため」に寄りすぎると今度は他人の気分次第みたいになってしまってつらいと思うので現時点では、
自分自身のこれが好きとかこうなりたいとかも捨てずに大切に持ったうえで、世界の一部の自分としてのミッションもまっとうしていきたいな、という気持ちで働いています。


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