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減点されないために生きてるわけじゃない。

1日のうちどのくらい、欠けているもの、足りないものに、意識を傾けているんだろう。

つい、あれができなかった。迷惑をかけたかもしれない。もっとよくできたんじゃないか。

そんな考えに支配されてしまうことがある。

友人2人と私の3人で、1人だいたい30分ずつ、自分の話したいことを話し、他の2人が聴き、フィードバックや質問をし合う時間をたまにつくっていて、今日もそれがあった。

私が「満点思考で進めなくなる」という話をしたとき、

「なっちゃんが言う満点ってなんだろう」
そう問いかけをもらって気づいた。

満点すら、存在しないんだ。
私が目指していたのは、「1ミリたりとも減点されないこと」だった。

目指しているのが満点で、そこに決まったラインがあるのなら、それを達成すればいい。でも、減点されないことが目的になっていた。

どんなことだってなにかしら欠けている部分、足りないものはある。
だからいつまでたっても、どれだけ努力しても、「減点されない」という目的が達成されることなんてなかった。
どうしても逃れられない息苦しさや、「これでいい」と思いきれない自信のなさはきっとここからきている。

だけど。減点されたら、意味がないんだろうか。価値がないんだろうか。

ふと立ち止まれば、決してそうじゃないことがわかる。

満点じゃなくても、そこにあることに意味がある。
そんなものばかりだ。
意味があるかないかなんて葛藤はしなくてよくて、どんな意味があるのかを考えればいいんじゃないか。

つい最近で言えば、お世話になった人にメッセージを送りたいと思ったとき。
忙しいかな。返信させる負担になるかな。自己満足かな。どうしようもないくらいずっとそんな心配がぬぐえなくて、せっかく時間をかけて下書きしても、送るのをためらうことがあった。

だけどそれも、どんな減点があり得るか。減点されないためにどうしたらいいかばかりに気を取られてたんだ。

たしかに、もしかしたら少し負担をかけてしまうかもしれない。
でも、私は1ミリも迷惑をかけないために、不快にさせないために、その人たちと関わっているわけじゃない。

相手がどう受け取るかはわからないけど、少なくとも私は、感謝の気持ちや私が見ていた素敵さを少しでも伝えたいと思っていたし、それは雑なまとめ方かもしれないけどそれでもどちらかといえば相手の幸せを願ってのことで、自分もそれが幸せだと思うから、メッセージを送りたいと思ったのだ。

文章に気を使うとか、時間に気を付けるとか、自分の手が届く範囲で、減点をなくすための努力をするのは悪いことじゃないしむしろ大切なことだと思う。
でも一番大事なのはそこ(減点されないこと)ではないのだ。
相手と幸せを共有したい。感謝や素敵さを伝えたい。それがまず目的としてあって、一番大切なことで、相手に負担をかけない努力はそのための一手段。
それがわかったら、負担をかけるかもしれないからやめておこうではなくて、できる配慮はしたうえで、届けたいものを届けようと思えるようになった。

迷惑をかけないように。傷つけないように。間違えないように。失敗しないように。

いろんなプレッシャーにおしつぶされそうになったら。怖くて進めなくなったら。

「減点されないために生きてるわけじゃない。」
そう心の中で唱えたい。

「今ほんとうに大切なことは何? 一番の目的は? 何を信じたい?」

一瞬でいいから、問いかけてみるようにしたい。

前提として、ぜんぶたし算。いくらか減点があっても合計でプラスなら大丈夫。やる意味も価値もある。
「やらない後悔よりやる後悔」という言葉があるけど、たぶん本当に「やらない方がよかった」と後悔することは思っているより少ないんだろうな。

「どんな減点が起こり得るか、どう阻止するか」から
「たし算するなら、何がいいかな。何をつくろうか。何を見て何を感じたいか。」
そっちの方へ心の舵を切ってみる。

そうしたらきっと、生きることはもっと純粋に楽しく、ほんとは毎日にあふれていた可能性に気づけるはず。

限りのある命、「生きている」時間。
そもそも、生まれた時点でたし算から始まっているんだ。

足りないものからつくれるものへ。
ひき算の毎日から、たし算の毎日へ。


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