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わたしがほしい勇気は

いまここにある現実を楽しく生きる覚悟を決めるのか、楽しく生きるためのあたらしい場所や人や挑戦に飛び込むのか。
心から笑いたいのなら、その2択なんだと思う。

でもその2択が本当に難しいですね。
まず基本的にはどこにいても、今ここを楽しむという決意と誠実さは必要なんだと思うけれど、それをどんな環境にいても絶対にしないといけない、できるはずだと思うと、心とどんどん乖離してしまうことがある。

いつまでも理想を追い求めてても、そんな場所はないんじゃないか。自分の感じ方がいけないんじゃないか。自分さえもっと頑張ればここでだって好きになれる、楽しくやれるんじゃないか。
そんな疑いが晴れなくて、ずっと自分を疑った状態は本当に苦しい。

でも、パンダは笹を食べるように、魚はエラで呼吸するように、一人一人が生きるために必要なことは違って当然。美味しいと思うものも、苦しいと思うことも違う。

だから、どんな場所でも自分次第、というのはやっぱり違うなということのほうが、最近は自然と信じている。どんな場所でも生きられるなんて、そこまで強くなくても、いいんだと思う。たかだかひとつのいのちなんだから。

でも、その「楽しむ決意ができる場所」に飛び込む選択は、自分の責任でしなければいけない。
そこだけは、力を振り絞ったり、思いっきり力を抜いてみたりしないといけない。

何もすぐにざぱっと全てを切り捨てなくても、そういう覚悟を静かに決めて、ちゃんと調べたりちゃんと考えたり、人に会おうとしたりすること。

大きな変化も小さな変化から。
当たり前だけど、悶々とした時はそう思い出したい。
耐えること、続けること、現実を肯定できる人が良いとどうしてもいつのまにか思い込んでいることがあるけど、
わたしが信じたいつよさやわたしがほしいと思う勇気は、自分で自分の生きる場所をちゃんと選んでいける人の勇気だ。

それももちろん正解ではなく、優劣はなく、エラ呼吸です、肺呼吸ですと同じくらい、わたしはそうなんですってだけの話。

言葉にして表せないとなかなかその強さが持てないから、新年明けて、社会に戻っていった今日の決意表明なのでした。
「これでいい」じゃなくて「これがいい」と一緒に生きる努力をする。
ここって決めたなら、どれだけ愛せるかに真剣になるし、そこでやれることをやれるだけやる。

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