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誕生日。

唐突だが、人から『一回、病院とかで調べてもらったほうがいーかもしれへんね。』と何度か言われたことがある。

世間話の流れから、発達障害の話になった時のことである。

子供の頃、私は誕生日が理解できなかった。なので、自分が今幾つなのか全く分からなかった。あれから随分大人になった今でも、ちゃんと理解しているかと問われると、正直疑わしい。けれど、人の顔などを見て少しずつ学習していく内に、この世にある当たり前と云われる概念を理由や意味が解らなくとも、只そういうものなんだと受け入れるようにした。

私が思うに、きっと殆どの人もそういう考え方なんだろうと勝手にそう信じている。

既に話がゴチャゴチャしてきて申し訳ないが、数字や時間というものが本当に難しく、恥ずかしながら一桁の計算をするのにもめちゃくちゃ時間が掛かる。

まず式を見た時、始めはその数字のシルエットがうっすらとしか認識できなく、また、頭の中で本当にグルグル動いていてジッとしていないので、数字をしっかり叩き込んで焼き付けることから集中しなければいけないため、もうその時点でめちゃめちゃ疲れる。

そして、無事成功できれば(無論、出来ない時もあるのでギブアップする)、次に計算式の形にして、それをまた叩き込む。

と、まぁ〜説明をすると長くなってしまうので私の計算方法は置いておいて、数字や時間以外にも本当にバラエティ豊かに色々あるのだが、今でも特に苦労しているのが話し言葉をすぐに理解できないことだ。(書いてあるものだと分かりやすい。)


最近、テレビのお陰で多少知られるようになったみたいで有り難い限りだが、これは本当に、本当にめちゃくちゃ辛い。

既に子供の頃、「何かおかしい。皆と何かが違う。」と思っていたのだが、まず上手く伝えられない。(自分では伝えてるつもり。)

これも私が思うに、元々子供というのは大人と比べるとボキャブラリーの数は少ないほうだと思うが、言葉が上手く理解できないと、習得できるボキャブラリーの数はもっと少ない。そのため、詳細に伝えることが本当に難しい。

例えば、分からないから「分からない。」と言うのだが、「なぜ/なにが/どう分からないのか」と聞かれると、いやはや本当申し訳ないのだが、もうパニックだ。

また、聞こえた音を真似て話すのだが、違う発音になってしまっていたり、意味を理解できていないまま話すので、話し言葉になっていないようで相手に伝わらなかったりする。

またある時は、ちゃんと理解した上で話していても、耳から聞こえてくる自分の話し言葉に理解が追いつかないので、もう何を喋っているのかゴチャゴチャしてきて分からなくなってしまうことも子供の頃は本当に多かった。

ただ、この妙な感覚と長年の付き合いにもなると、この話し方に関しては術を見付け、今はなるべくゆっくり話すようにすることで何とかマシになっている。

しかし、相手からの話が理解できなかった時は、本当に申し訳ないのだがある理由から今でも聞き返すことが出来ず、何となく聞き取れた単語などを繋げ、その前後の文脈から何となく読み解いて会話を続けるようにしている。(そのため、テンポがズレる上に会話になってないこと多し。)

色々前後して申し訳ないのだが、言葉を認識する際に、音やリズムで理解している節があるので、音痴も関係しているのかなと勝手に考えている。(めちゃめちゃ音痴です、私。)

あと、声質や話し方に慣れれば聞き取れることも多いので、そういった所からも言葉の出来上がりというか歴史みたいなものに、不思議さと面白味も感じている。

長くなった割に、特にコレといった意味もないまま、よくもこうも纏まりに欠ける文章が書けたことに、ある意味自分らしさを出せて良かったなと思う。笑

そして、毎日書きたかったのだが、昨日noteを書けず仕舞いだったので、昨日の分も含め、真面目な長文を書くことで穴埋めができた気分となり、今は達成感も感じている。笑

もう今日このあとは、めちゃめちゃリラックスしまくって、久々に早く寝るぞっ♪༽΄◞ิ౪◟ิ‵༼グフフ♡

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