我と汝、鬼滅の刃、AI 20240821
いい取材記事だと思った。ここまで加害者に寄り添おうとする人がいることに、世の中全然捨てたもんじゃないなと思う。考えたことを書いておきます。
被害者女性の振る舞いや思考を読んでいると、マルティン・ブーバーの「我と汝」を地でいっているように感じた。
少年だったバスジャック犯は、この女性に会ったとき、はじめてitではなく、汝として扱われることを知ったのではないだろうか。
鬼滅の刃の鬼たちは、ずっと社会の中で、itとして扱われていた、元人間たちである。長い間itとして扱われて、社会に対して自分が勝ち上がるしかない状態の中、鬼殺隊によって首を切られる直前に、人生の一瞬だけ、汝として存在していた記憶が蘇る構成になっている。
鬼滅の刃が示唆的なのは、社会から余白が失われて、鬼ばかりになっていくのが予言的に暗示されいてる部分である。
他者から見られる、他者を汝として扱う。必要なのはそれだけだ。
煉獄さんのように、わたしは鬼にならないという選択をする人が増える必要があるのだが、これも母親から汝として扱われた経験があるからなのが、難しいところではある。
人間が、余白やノイズをなくし、生身の人間に対して汝として扱うことをしなくなったとき、もしかすると、AIの方がよっぽど汝として扱ってくれると感じる人が増えていくのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?