今の私か出来るまで・・・1⃣13年間の私

保育士になり、2022年度でかれこれ17年目に入ります。
長くなりますが、私は公立の保育所と公立の幼稚園で13年。
小規模保育所で2年の経験があります。

まずは13年間から・・・

とある町役場に就職し、幼稚園に配属。
そこで4年間幼稚園教諭をします。
①年長、②年長、③年長、④年中という激動の4年間でした。

超がつくほどベテランの先輩に教えてもらえるという贅沢な時間を2年。
そして、教えてもらったことや、やってみたいと思うことが心置き無くできた4年目までは猪突猛進だった私ですが…

ある程度仕事内容が解り、自分なりに工夫ができるようになった5年目…
(諸先輩方からすれば、偉そうに!と怒られそうですが。w)
諸事情により、幼稚園から保育所に異動になります。
(異動に関してはまた後日。。。)

保育所に異動してからが子どもにかかわる仕事としての意識力と言いますか、人間力が問われる…そんな気がする日々を過ごしていました。

やったことのないこと、知らないことばかりの毎日。

初めはそれが新鮮だったのですが…
知らないことをたずねたり、そこでのしきたりがわからず抜けていたりすることもしばしば…。
そこで働く先輩からすれば

「そんなことも知らないの?」
「幼稚園で何を学んできたわけ?」

と言われるし、聞けばあからさまに嫌な顔をされる。

じゃぁ…これか?

いや…あれか?

人の顔色を見ながら働くようになってしまい、それが私には良くなかったらしい。
なぜなら、幼い頃からの癖に拍車がかかり、「子ども目線」の保育ではなく、「大人目線」での保育へとなっていくからだ。
ダメならダメって言ってもらう方が私には良かったのかもしれない。

だけど…

「阿吽の呼吸」「目配り気配り」が出来て当然

という激動の時代で保育をしてきた諸先輩方からすれば私に言うのではなく、「気付けよ」と言いたかったのだろうと今なら冷静に振り返ることが出来る。

でも、あの時期の私には無理なことだった。

自分の思い
(やりたい保育、自分が正しいと思うこと、聞きたいことを素直に聞くetc…)
を隠し、いや、我慢し、
(私も言えば良かったのだが言える知識も経験も余裕もない)
ひたすら顔色を伺った。
言われたことを期限前までに仕上げた。(これは基本なのか?)
理不尽だ!と思うことを言われても笑って耐えた。

なーんも、おもしろくなかった!!!www

面白くないと思う毎日を過ごすうち、
目の前の可愛い子どもたちの
ちょっとした成長や、
ココ!っていう育てたいポイントを見落としたり、
もっとかかわってあげたいっていうところに力を注げなかったり・・・
悔しくて自分を責め始める。

そんなことを繰り返している中で、今までの「蓋をした自分」との心の葛藤が始まるのです。

出来ない自分
言えない自分
もっとこうしたかった、という後悔ばかりの自分。

そして

期限前なんて通り越して、
期限内に物事が出来なくなる自分が出始める。
そんな自分が許せない。
でも間に合わせることなんて出来ない。

それが7年目の頃から始まっていく。
ここからの3年間がほんっっっとに辛かった。
この、7年目の時に今の相方さんと出会っています。
しんどい時をよ〜く知っている。
仕事ができてた時期と、そうでなくなっていく時期、完全に落ちていく時期に
隣にいてくれました。
ありがとう、心の底から。

⑤年長、⑥年中年長(異年齢の合同保育)、⑦年少、⑧2歳児

異動して
⑨2歳児、⑩年中←ココでパニック障害発症。半年間休職。

異動して11年目
フリー(年度途中から主任業務兼務)

幼稚園に戻り12年目
年中

保育所にまた戻って13年目
主任フリー

パニック障害発症の時点で辞めたい気持ちがMAXでしたが
勇気が出たのは12年目の異動がきっかけ。
13年目は次を見据えながらのモチベーションで勤め、
自分という人間と向き合う決心をして退職をしたわけであります。

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