人口300人足らずの村で、心揺さぶられたもの。
葛尾村(かつらおむら)のこと
先週の話だが、葛尾村に行ってきた。
僕を含めて、葛尾村のことを知らない人がほとんどだと思うので、Wikipediaから引用しておく。
Wikipediaより
葛尾村(かつらおむら)は、福島県浜通り地方の内陸にある山村。双葉郡に属する。
2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故の影響により、村内全域が警戒区域又は計画的避難区域に指定されており、全村民が村外に避難しているが、(2013年3月22日に避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域に再編された)帰還困難区域を除き2016年6月12日に避難指示を解除した。
震災後5年も立ち入りが制限されていたため、避難指示が解かれた現在でも、村民の2割弱しか村に戻っていない。
震災前の人口が1500人であったのに対し、現在実際に村に住んでいるのはわずか300人ほどだ。
イメージするのであれば、大型団地ひとつに全ての村民が収まってしまうほど小さな村。全国的に見ても、下から五番目以内に入るほど小さい。
震災の影響で人口が急減した結果、行政としての機能を維持できなくなりつつある。
例えば、医療機関が無い。火災に対応できる消防団が居ない。子どもが少なすぎて集団生活が学べない…。まさに消滅の危機にさらされている村だ。
訪問した場所と印象的だったこと
そんな葛尾村の現状を憂い、村の活性化や地域移住の促進に取り組む地域団体「葛力創造舎」の代表 下枝浩徳さんの案内のもと村を見学してきた。
短期間のツアーで訪問したのは、下記のような施設だった。
・復興のための交流施設
・放射性物質仮置場
・民俗資料館
・田んぼ
・小中学校(と使われなくなった校舎)
・地域で唯一の食堂
・地域の名物おばあちゃん宅
・民家を改築して作ったゲストハウス
などなど。
個人的に興味を持ったのは、葛尾村の歴史だった。こんな小さな村にも関わらず、その存在が室町時代の書物に記されている。
地理的に考えれば、戊辰戦争で官軍に焼き払われていてもおかしくないが、山に囲まれた地形のおかげで、戦火に巻き込まれることがなかったのだ。
そのため、民俗資料館には村の規模にそぐわない歴史的な資料が豊富に保管されている。
また、昔ながらの独自の風習も色濃く残っていると言うから、村自体がまるで歴史の宝箱のようでもある。
他にも、村の名物おばあちゃんの作る「油味噌」が絶品であった。紫蘇の香りがほんのりする甘辛い味噌はごはんとの相性抜群。
何年振りかに白飯を3杯も食べてしまった。食べ物が兎に角おいしい。
部外者と村民の相反する気持ち
しかし、そんな山村の魅力を差し置いて、僕の目を一番引いたのは福島第一原発の事故の爪痕であった。
黒いビニールシートに覆われた放射性物質が、田んぼにずらりと並ぶ姿は異様で、否が応でも注意を持って行かれた。
村の高台から緑あふれる山村を一望しながら、下枝さんが語ってくれた。
地元民からすると村を訪れた人たちの関心が放射線物質などに行ってしまうのが心情的に複雑なのだと。
彼らが誇りに思い、大切にしているのは、緑豊かな山村の風景であり、昔ながらの人間同士の繋がりである。放射性物質が並ぶ風景ではない。
一方で、極端な言い方をすれば、村外の人間からすると、自然豊かで人の繋がりが濃厚な場所は葛尾村だけではない。
村の人間がどれだけ郷愁の念を抱いて里山の魅力を訴えた所で、僕らの心まではなかなか届かき難い。
村民の思いとは裏腹に、どうしても特異性の高い震災の傷跡が目立ってしまう。
もちろん震災前の葛尾村の魅力を知って欲しいと願う下枝さんの気持ちは理解できる。
それでもやはり僕は福島第一原発の傷跡から僕は目を逸らすことができなかった。
地域の人間と、地域の外の人間の葛尾村に対する認識の隔たりは大きいのだろう。
心動かされた、意外なこと
ここまで書いてきて、僕が心揺さぶられた理由がようやくわかってきた。
改めて葛力創造舎のHPを眺めて、はっきりと認識できた。団体を立ち上げた理由を述べた下枝さんのメッセージがある。一部引用してみた。
〜略〜
震災前からささやかれていたことだが、人口も少ない、お金もない、産業もない、効率が悪い…
だから存在する価値がない、ということらしい。
〜中略〜
私は震災を経験し、原発の被害に今も苦しんでいる、いらないと言われた小さな村、葛尾村を中心に
〜略〜
自分が大切にしているものを他人から否定される悲しさ、悔しさ、そして怒りに満ちた何とも刺々しい文章ではないだろうか。
自分の故郷が壊れかけている状況に対する憂い。そして、その状況をどうにかしたいという願い。
ストレートで強烈な下枝さんの気持ちがしたためられている。
はたからは極めて無謀な話にも見えるだろう。合理性や経済性の観点から、村を存続させたいと願う彼のことを非難する人も居るかもしれない。
現地を訪問した僕も、彼らの目指す葛尾村の人口を増やすという挑戦は極めて難しいと感じた。
でも、彼にとってそんなことは関係ない。とにかく行動を起こすだけなのだ。
問題解決できるだけの経験、スキルやアイディアが有ろうが無かろうが関係ない。正直な気持ちを元に、兎に角動く。
計画性や緻密さ、スマートさというよりは、無骨な雰囲気。圧倒的な当事者意識を持って行動する下枝さんがかっこよく見えた。
これは原発被害を受けた村や奮闘する彼へのシンパシーなどではない。
確固たる意志を持って仕事に取り組む姿が羨ましいとさえも思った。
だから、僕は心を揺さぶられたのだ。
伝播する想い
彼のストレートな想いに動かされたのは、僕だけじゃない。
下枝さんの話によると、葛尾村で育ちながらも、村を離れ都会で勤めていた若手が最近Uターンを果たしたそうだ。
その彼にも話を聞いてみた。
彼も下枝さん同様、生まれ育った葛尾村の自然が好きだと言う。
ただ彼は震災後、村に戻らずに都会の生活を選んだ。村へのノスタルジーを抱えつつも。
そんな彼が下枝さんの思いに触れたことがキッカケとなり、都会の仕事を辞めて、葛尾村へ戻った。
都会で暮らしている頃は、村に友達を呼ぶことをためらっていたという彼が、今では村への訪問者獲得に奔走している。
そのおかげか、最近では高校生・大学生たちがインターンとして葛尾村に訪れるようになってきているという。
再びグッと来てしまった。
当事者意識が世界を変える
話は飛ぶが、このブログを書きながら自分の頭の中を整理している最中に、Times誌の選ぶ2019年の顔に「グレタ・トゥーンベリ」が選ばれたというニュースを目にした。
一介の高校生でしかない彼女がここまで話題となり、世界に対するインパクトを与えることができるようになったのは、他の人よりも圧倒的に環境に対する当事者意識が高かったからだと考えることはできないだろうか。
周りがどんなリアクションをしたとしても、自分の信じるものを信じてまっすぐに行動し続けた。
荒削りながらも強烈なメッセージが人の心を揺さぶり、周りを巻き込む力が生まれた。
そして、2019年の顔に選ばれるにまで至ったのではないだろうか。
そう考えると、葛尾村の下枝さんも飾らないストレートなメッセージ、圧倒的な当事者意識という部分において、彼女と通づるところがある気がする。
葛尾村に関しては、これからどうなっていくのかは全く見えない。
だが、今後の葛尾村の当事者意識の塊たちが動き出すことによって、村が変わっていく可能性も十分にあるのではないだろうか。
今後僕が直接的に葛尾村に関わることがあるか無いかはわからない。
それでも彼らに学んだ当事者意識の大切さは今後の僕の仕事に影響を与えるだろう。
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