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子猫のお腹は、幸せの温度【ノラ猫日記/2日目】

<保護2日目>
二時間ほど、眠りに落ちていた。時刻は朝の七時。にゃあにゃあという声に起こされ体を起こすと、全身がバリバリと悲鳴をあげる。
あたり前だ。三十過ぎの体に、狭い玄関での床寝はキツい。

九時の開院にあわせて、家から一番近い獣医へ向かった。
獣医といえば、週末になると人と動物であふれかえるイメージだったけれど、医院の扉を開けると他に誰も客はおらず、初老の医師もすこし驚いたような顔をしている。

大丈夫だろうか。
見るからに古い設備に、すこし不安になる。私の不安が伝わったかのように、子猫も小刻みに震えていた。

■オス/体重1.3キロ/目立った外傷なし/十日後にウィルス検査/生後二ヶ月未満
知りたかったことの答えを、ざっと医師から受けとる。
(月齢に関しては、もうちょっと上なのではないかと少し疑っている…)

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子猫は暴れて私の手から逃げようとしたけれど、医院の奥から出てきたこれまた初老の看護師にきっちりと保定されていた。
「これだけ元気なんだから、まぁ大丈夫でしょう」
医師は私の手についた引っ掻き傷を消毒し、絆創膏をぺたりと貼り付けた。
「なんか異変があれば、十日を待たずに来てください。あなたも、手が腫れるようだったら、病院に行ってね。あ、人間用の病院ね」

キャリーバッグを両手で抱えて、てくてくと来た道を戻る。私たちは、同じ部屋へ帰る。

子猫を家に置いてペットショップに行き、必要なものをどんどんカゴに入れていく。フードの栄養表示を見比べていたら、知らない番号から携帯に電話がかかって来た。
「あの、〇〇クリニックですけれども」
はっ、と自分の頭の中のカレンダーを確認する。
昨日からのバタバタで、私は自分の、人間用の病院に予約を入れていたことをすっかり忘れていた。

玄関を子猫用の部屋として整えたら、もう夜だった。
週末にやろうと思っていたことは何ひとつ片付いていない。書こうと思っていた小説にも手をつけていない。

ぐちゃぐちゃのリビングを前にして、へたりこむ。もうダメだ。
なにもかもを明日の自分に託して、借りてきたDVDをプレイヤーに差しこんだ。

タナダユキ監督の「ロマンスドール」。
なんとなく、恋っぽいものがみたい。それだけの理由で選んだ作品だった。

エンドロールが流れる頃、私は嗚咽を押し殺して泣いていた。
「なにがあっても一緒に乗り越えて、最期まで側にいる」なんて、バカな約束をしてしまった愚かなふたり。つまりは、どこにでもいる夫婦。
恋の勢いでしてしまったそんな約束、破ってしまえばいいのに。

不合理な約束を守り続けた先に見るものは、きっとそれぞれの夫婦で形が違う。世界でたったふたりにしか、共有できないものなんだろう。
愚かな私は、いつか夫と一緒に、そんな場所へ辿りつくことができるんだろうか。

玄関から、猫をあやす夫の声が聞こえる。
幸せは、きっとこんな音をしている。

真暗な玄関の床に体育座りをして、膝のうえに乗せたノートパソコンをひらく。
昨日は床の隅っこで寝ていた子猫が、私の足にすり寄って、そのままコトンと眠りについた。玄関の床は相変わらず冷たいけれど、猫とふれあっている部分から、じんわりと体温が伝わってくる。

私は書きかけの小説を保存して、猫との出会いを文章にした。
きっとすぐに君は、優しい誰かのお家へ行ってしまうから。

パソコンの光が、呼吸に合わせてゆっくりと上下する猫のお腹をぼんやりと照らす。

夜明けを待たず、私も猫の寝息を感じながら、眠りについた。


猫写真の背景が常に整頓されてる方は、モデルルームに住んでるんですか?

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