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平成31年4月30日。

なんとなく、数年後に読み返せるように書いておく。

◆◆◆

我家は月の終わりに、ちょっといい外食をするのがお決まりになっている。
今日は前から気になっていた近所の焼肉屋へ行くため、夫と一緒に夜7時頃に家を出た。


外は小雨だったけれど、傘がなくてもなんとか大丈夫。
あまり濡れないように速足で店に向かっていると、途中で知らないおばあさんに話しかけられた。

「市役所はどこかしら?」
小さな声を何度も聞き返して、やっと質問を理解したけれど、そこから市役所まではかなり離れているし、そもそも休日の夜で開所していない。

「あっちですけど、市役所にご用事ですか?」
「いえね、お姉さんに会いに来たんだけど。家がどこか、わからなくなっちゃったの」
「ご家族に、電話してみましょうか。電話番号はわかりますか?」
「それが、なにもわからなくなってしまって」
「交番まで一緒に行ってみましょうか」
「ううん、ご迷惑だからいいの」
「どちらからいらっしゃったんですか?」
「△△市から」

△△市は、ここから電車で1時間半以上かかる場所だ。
どうやらお財布もなにも持ってないらしいおばあさんが、△△市から来たとは考えづらい。
夫と顔を見合わせた。

「やっぱり交番へ行って、一緒にお姉さんのお家を探してみましょう。わたしたちも、交番の方に用事があるんです」
「いいのいいの。お二人で行って、祝ってもらって。お孫さんが産まれたら、わたしも嬉しいわ。わたしはあちらの大きな道にでれば、きっとわかるから」

そう言っておばあさんは、当初話していた市役所とは反対方向の橋に向かって歩きはじめた。
(ちなみにわたしは妊娠していないし、妊婦さんと思われるような体形でもない…はず。)

夫と一緒に、ゆっくりとおばあさんの後をつけながら、110番に電話した。
これは電話していい案件なのかな? という躊躇いもあったけれど、放っておくこともできなかった。
電話の向こうの警察官はとくに嫌な声を出すでもなく、「そちらにつくまで、そのまま後ろから見守って頂けると助かります」と指示をくれた。

おばあさんは、車のいない橋の真ん中をふらふらと歩いていた。
雨のなか、オレンジの街灯に照らされた後ろ姿がゆれる。不謹慎なのはわかっているけれど、その様子は踊っているようで、幻想的で美しかった。

パトカーがやってきて、若い警察官に改めて状況を説明すると、「ありがとうございました! 雨なのでお気をつけて」と爽やかに挨拶をされた。

交番に行くのも嫌がっていたし、悪いことはなにもしていないのにパトカーに乗せられるおばあさんを見て、心が痛んだ。

はじめて行く焼肉屋は、ザ・昭和という雰囲気で(見出し写真)、平成最後の日、あと数時間で令和、という実感がどんどん薄れていった。

わたしは今、夫の仕事の都合で地元の北海道を離れて、偶然なのかご縁があったのか、母の生家から歩いて5分の場所に住んでいる(西日本です)。

もしかしたら、母もこの焼肉屋に来たことがあるのでは? なんて思って、ひさしぶりに母にLINEをした。
「焼肉屋はなかったな。母さんがその町を離れたのは43年前だからね」
と、すぐに返信があった。
母とそのままLINEで近況報告しながら、焼肉を食べる。

最後になにかもう一品…と思っていたら、不愛想なおばあちゃん店員さんに、問答無用で火を消された(笑)
「次回はもうちょっとテキパキ注文しなきゃだね」と夫と話しあって、店をでる。

コンビニで夜食(←おい!)を買って、焼肉屋で貰ったミントガムを噛みながら、自宅のマンションへ向かう。
さっき、迷子のおばあさんが歩いていたのと同じ橋を渡って。

おばあさんは、ちゃんとお家に帰れただろうか。そこには、探していたお姉さんが待っているんだろうか。

そうだったらいいのにな。みんな、帰りたい場所へ帰れて、会いたい人に会えればいいのにな。

わたしもきっと、このままこの町で暮らすなら、いつか母と同じように、故郷は思い出のなかだけに存在する町になる。
記憶に刻まれた雪深いあの町を探して、彷徨うときがくるんだろうか。

自宅へ着くころには、安っぽいガムは味がなくなっていた。

玄関を開けると、いつも通り猫が出迎えてくれて、いつも通り抱っこして再会を喜ぶ。
きっとお前は、母猫のことも、兄弟猫がいたことも、路上で暮らしていたことも、忘れてしまったね。
腕のなかにある柔らかな塊を、ぎゅっと抱きしめる。

外の雨が強まって、ちゃぷちゃぷという水音だけが部屋に響いていた。


(長いのにオチがなくて、すんません。)


お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!