バンダナと50歳/じょにー・カド
初恋のあの子と、久しぶりに会った。
「髪が伸びたね」
「うん、無職だから笑」
「けっこう似合ってると思うよ」
「君も変わらないね。若い若い」
「そうかな。わたし子どもがいないからかも」
「ところで体調とかどう?」
「うん、それなりに。ところで、老後のこととかって考えてる? 投資はしてる?」
「そうだね。考えて、少しずつ」
「投資ってどうなの? わたし、なんか怖くてよくできていないんだけど」
「いや、しっかりしたファイナンシャルプランナーの話を聞くと役に立つよ。僕もそれで進めてる」
「そっか、ちゃんとしてるんだね。もう私たち50歳だもんね、先のこと考えないとね」
ここで目が覚めた。
そうだ。僕は今年50歳になった。
50歳って、我ながらなんかすごい。
20代だった頃、想像の範囲にあったのはせいぜい40代で、50代になる自分はあまりイメージできなかった。その頃の会社にいた50代といえばもう部長とか役員クラスだったし、「おじさん」でなく「おじいさん」と思っていた。
でも、僕は確かに50歳になった。同級生だったあの子もそうだということだ。
なんだか不思議だ。
(ちなみにその子が今どこでどうしているか、私はほとんど知らない。結婚してお母さんになったとは聞いた覚えがあるが)
面白いもので、50歳を迎える今頃になると、自分の残り人生はあと何年だろうとか、そういうことをしきりに考えるようになった。男の平均寿命は82歳というから、仮にそうだとしたら折り返しはとっくに過ぎたことになる。一日一日を無駄にできないという思いにかられる。
「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」
信長が愛したというこの一節が、最近ともすると口を突いて出る。
いつか終わる人生の先は、もう遠くはなくなってきたということだろう。
悔いなくその日を迎えられるよう、時間を積み重ねていきたい。
※写真は息子がくれた手紙です。普段はほとんど口をきかないが、手紙やメールはけっこう達者。
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