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【仕事】 転職・出戻り・フリーランス…試行錯誤してきた私のキャリア遍歴

新卒で就職してから転職・出戻り・転職・フリーランスへという、試行錯誤の私のキャリアをまとめてみました。
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出身と高校時代

秋田県の最北端、白神山地と日本海の合間に位置する小さな町の出身です。

赤い星のあるあたり。文化圏は青森・津軽です。

高校では「閉塞感が漂う秋田を出ること」だけを目標に、脇目も振らずに猛勉強。勉強しすぎて青春がないぐらい……。その甲斐あって東北大学に合格します。

そのへんの経緯を母校で講演しました。母校でのキャリア講演は夢の一つだったので嬉しかったです!

大学時代

いざ大学に入ってみると、よくある話ですが、自分の中に「この研究をしたい」がなくて呆然……。
せっかく暇なので、この時間を使って人生でいちばん目を逸らしていることをとことんやってみようと思い立ち、「死」について学び始めます。
ちょうどその頃、東北大学医学部に緩和ケアセンター(ホスピス)ができ、ボランティアの募集がありました。研修を受けて1期生になります。
陽当たりの良い最上階の最新病棟に毎週通い、いろんな方と出会って関わってわかったことは、誰もが死ぬし、それは予測できないし、その瞬間まで、どうあっても人は生きているということでした。

就職活動

「死」について避けることなく若いうちから積極的に学び、ふれあい、考える機会を作りたい、そんなことを言った就職活動で(株)ベネッセコーポレーションに採用されました。東京へ進出。

最初の就職

通信教育教材「進研ゼミ」の中学生向け編集部に配属されます。このあたりから、かつての自分のように閉塞感に押しつぶされて「自分は何もできない」と思い込んでいる中高生に、「世界は広い、なんでもできる」というメッセージを届けることが自分の働く目的のように感じ始めます。

「進研ゼミ」の国語教材や進路情報誌などで中高生へのメッセージを企画し、制作する日々。編集作業そのものが楽しくて充実していました。
でも、だんだん「教育」という枠に限界を感じ始めます。

多摩センター駅、ピューロランドの隣にそびえ立つベネッセコーポレーション社屋。

初めての転職

「受験なんてクソくらえ、失敗したっていいじゃないか、波瀾万丈あっての人生だ!」
そんなメッセージを発したくてベネッセをやめ、映画雑誌の編集部のある(株)角川メディアハウス(当時)に転職。
大企業かつ優良企業から、角川グループとはいえ雑居ビルの1フロアの中小企業への転職。周囲は驚きましたが、私にとってはそれまで積み上げた人生を一旦捨て、1から出直す覚悟の転職でした。

創刊から携わった「Theater Culture Magazine T.」

映画雑誌の編集部は別世界。早朝まで続く編集作業、床で寝る同僚、酒の席での原稿チェック、TVで見る芸能人に取材し、時にはともに食事し、ハリウッドスターの撮影に立ち会う。インタビュアーもフォトグラファーも超有名人。一流のプロフェッショナルと同じ空間で、なんなら私がその場を取り仕切る。夢のような日々でした。見るもの、聞くもの、感じること全てが企画へとつながる。編集は私の天職だ。そう思いました。でも……

手作りのサイコロを用意して居酒屋でサイコロトークをしてもらった企画「居酒屋放談」。

二度目の転職

自分が何者かになったかのような錯覚の中で、本当にこれでいいのか、私が貢献したかったのは誰かを考え始めます。私が作る映画雑誌は、映画館のない私の故郷には届きません。
同時に、徹夜徹夜の日々が祟ったのか、体を壊し、まさかの入院・手術。30歳を前に、自分のためだけに生きていくのは違うのかもしれないと思い始めます。

迷いながら、縁あって再度(株)ベネッセコーポレーションに戻ります。当時は一度辞めた会社に戻ることをよしとする空気はなく(今もないか)、契約社員からの再出発でした。踏ん張って二年目に晴れて正社員に登用。
でも、景気の悪化で世間の教育格差が広がり、インターネットの普及により「進研ゼミ」の役割も変わります。「地方の子どもも平等に学べる」というコンセプトは古くなり、会社は「いかに面白く、デジタルゲーム感覚で学べるか」に注力していきます。そこに私の働く意義はありませんでした。

でも青春はあった…「チーム」という意識が強く、仲の良い会社でした。

三度目の転職

気づけば30代も終わりに近づき、「30代は何もできなかった」という思いばかりが募ります。そんな中、KADOKAWAとドワンゴが始めた学校法人「角川ドワンゴ学園(N高)」で新規事業の採用がありました。
日本各地でいろんな職業を体験する職業体験や、教科ではない新しい学び「21世紀型スキル」の企画。これから伸びる新事業の黎明期を担える。まさに自分の求めているもの!と一念発起し、転職します。

転職後すぐのコロナ禍。リアルな体験が制限される中、オンラインでできる「体験」「学習」を模索する日々。組織の中ではつねに若手だった自分が、年長者・管理職になるという経験もしました。
そこで心底感じたのは「私、管理職向いてないし、好きじゃない!」「私は制作が好きだ!」「制作だと出世もお金も不利だけど、没頭できることに時間を使いたい!」「私の人生、どこかの会社一つにコミットできない!」「場所も時間も縛られたくない!」ということでした。

フリーへ

というわけで、何かをやりたい!というよりも何かに縛られたくない!という思いで会社を辞めて、フリーになりました。
古巣ベネッセや角川ドワンゴ学園のお仕事をしながら、新しい会社や人と出会い、新しい仕事に携わる日々。「定時」という概念がなく、「会社への義務」や「組織の中での役割」もない。ワーケーションで各地を飛び回りながら好きなように仕事をして好きなように遊ぶ。今の私には最上の働き方です。

ワーケーションで訪れた宮崎。

働き方や、働く意義、使命みたいなものは年齢や環境によってどんどん変わっていくんだろうなあと思います。私はまさに紆余曲折、暗中模索のキャリアですが、予測できない自分のキャリアがおもしろいなあと思っています。