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自己開示

私が今の私から絶つまでの日々を綴っていこうかなと思って書いていきます。
私がこの先いつか心から笑える日々を送るのか、この世にいないのかはわかりません。
今日から書く記事が遺書となる可能性も否めません。
結果が良くも悪くも、私は精一杯感じて生きた記録を残したいと思っています。

私は境界性パーソナリティ障害です。

認めたくない自分の障害。でもそれを認めざるを得ないくらい症状に悩まされている、私と私の彼氏。

私の彼氏は2歳年下の4兄弟の長男坊。家族6人でとても賑やかな家庭。地方暮らし。
一方、私は一人っ子。父母は父親の金銭問題によって高校1年生の時に離婚。都会暮らし。
まるっきり正反対すぎる環境で育った2人。

長男ということもあるのか地方から転勤で1人都会に出てきてるからか彼はとてもしっかりしている。
私は一人っ子なりに自分でできることも多くあって並みのしっかり者だと自分では思っている。

ボーダーになったなぁと感じたのはこの1年以内のこと。
元からそんな気質はあったのかもしれないけど、なんとか踏みとどまっていた、という感じ。
ある出来事をきっかけに私はその一歩を踏み出してしまったみたいだ。

小さい時の私はとにかくしっかり者だった。自分でも思っているし、周りや親が話すことからしてそこは事実だと思っている。学校はあまり好きではなかったけど学生がやるべき仕事である勉強はそこそこできていたし、やるべき事さえしていれば文句を言われることはないだろうという前提ですごく頑張ったのを覚えている。だから嫌いな学校に行かなくてもテストの点数さえ取れていれば文句言われない、というのを実際こなせていた。
親もそれに対して大きく言ってくることはなかった。それに関しては良い親だなぁと今でも素直に思う。

今はどうかというと、仕事にはとても責任感をもって頑張ってしっかり者な方だとは思う。
でも、ひょんなことでそのしっかり者は自分の中からいなくなってしまうのだった。
しっかり者どころか、3歳くらいの子供が現れてしまうようになってしまった。
ちょっと子供っぽいところは昔から性格として持ち合わせていたからその延長線くらいに思っていたけど、その説明じゃ成立しないのがそれだった。

私の中で何があったのか。去年のことだった。

彼は4兄弟で6人家族。そう聞いていた。でも私には兄弟がいない。だから話に聞いていたその家族の多さの実感はないままだった。
でも去年の夏の日、彼の実家に呼ばれてその家族に顔合わせする機会があった。
そこで初めて家族の多さを実感した。正直、ショックだった。
どうしてショックだったのかはいくつか考えられる。

・今まで彼と私の2人の世界で、彼は私だけのものだという感覚が無意識であった。でもたくさんの家族の中にいる彼を見て、そうではない現実を知った。
・彼の家族とのコミュニケーションに戸惑い、うまく話せなかった。それによって自分が家族に受け入れてもらえていない気がして不安になった。
・家族に愛されている彼の姿を目の当たりにして、無意識に自分自身と比較して自分が劣勢であるように思えた。
・家族に愛されている彼の姿を目の当たりにして、普段自分がその家族から彼を奪ってしまっているんじゃないかと思った。

このどれか、ではなく全部です。

そして、そのショックな気持ちを私は自分の母親に相談しました。
それが全ての始まりだったように思います。

母の言い分はこうでした。
彼氏は久しぶりに実家に帰ったのだから家族の会話・時間を楽しんで当然だし、あなたがそれをわかってあげないといけない。どうしてあなたが悲観的になるのかがわからない。我儘だ。彼氏はそんなあなたを心配して気遣ってくれてて偉い。あなたがおかしい。
伝え方、言葉は実際とは違いますが、母から言われた内容はざっとこんな感じです。(実際はかなりの長文)

それ以降、彼の連絡先を知っている母は彼にコンタクトをとっては、娘の私に対する否定的な内容、逆に彼に対しての肯定的な言葉を残しました。
そしてそれは私にも送られてきて、日に日に私の心は母からの否定で埋め尽くされていきました。
そもそも、彼の連絡先を母に教えた私が間違っていました。深く後悔しました。
母の携帯から彼の連絡先を抹消する方法を遠隔操作でできないかとか、部分削除できないなら携帯のデータ丸ごと飛ばそうかとも考えたりしたくらい後悔しました。

その事で私の味方として母親はもう存在しないのだと思いました。
最悪、彼自身も私の味方ではないんだくらいに思ったこともありました。
社交辞令なのはわかるが、彼はどう思ったとしても母の言葉に対して批判的な内容を送ったりすることは立場上できない為、母に対して当たり障りない程度に返事する形になっていた為、母からすれば彼は「自分を肯定してくれる存在」になっていたはず。よって、彼は「私よりも母を肯定する存在」=味方ではない、の捉え方に一時なってしまっていました。
彼からすればこんなの味方かどうかの話じゃない、という問題なんだろうけど、私にとってはそれはとても重大なことだった。でなければ、私は母と彼の2人から否定された、という捉え方によりそれが事実となってしまう。それだけは避けなければならなかった。
幸い、彼は私の気持ちを汲んでくれたようで、最悪の事態は避けることができた。

私はその時、母との絶縁を本気で考えた。
母の生まれの環境はそれまた最悪で、父親は母親に日々暴力をふるい、時々母や妹にも飛んできたこともあるそう。母親から一緒に死んでくれないかと言われたこともあるという。
その反面教師で自らは子供を愛し、愛情をたくさん注いできた、人からはわからないように努力をたくさんしてきた、という。
母親はそういう自分の苦労話をよくしてくる。この時も彼にもそういう話をしていた。
その事にも懲り懲りだった。
今思えば、母もまた何かしらのパーソナリティー障害を持っているのかもしれない。

絶縁するのは父親や叔母から止められ、思いとどまった。
数か月は連絡をとったり顔合わせするのは控えるようにして時間で解決できたかと思っていた。

でも、その間に私の中では
・母から否定された事
・私にはないものを持っている幸せそうな彼の環境等への嫉妬
・私を否定した母から肯定された彼への嫉妬
が複雑に関係して、心の太い根っことなっていた。

私が愛している彼はデフォルトで自分よりも愛情で満たされた状態。私とは正反対。
母は私を愛情いっぱい育てたと何度も言うし、写真を見ても確かに愛されている娘(私)が写っているんだけど、私は実感が湧かなくて(覚えているかどうかではなくて)、まるで他人事のようにその写真を見てしまう。
著しく彼よりも愛情に満ちていない状態の私は、彼からいくら愛情を注がれても満たされる感覚になることはない。
感覚の問題なので、目で見て満ちているかどうかの判別ができるものではないけど、
今の私の捉え方だとずっと愛情不足の状態が続いている。

私を否定したように捉えてしまう彼の言動や行動を感じた時、私の感情は”悲しみ”に変わる。
それまでニコニコ楽しく笑って話していたとしても、その瞬間から瞬時に悲しみに支配される。
徐々にではなく、一瞬で。
それで終わることもあれば、次には悲しみの感情のまま、怒りの行動に走っている事もある。
怒りの行動の原因は、心の根っこの1つである彼への嫉妬心だと思っている。

私には私が捉えている中では味方が少ない。
数少ない(または唯一)味方である彼から否定されるということで私は物凄い孤独感に襲われる。
そして、過去に対しての否定の意味も感じられ、私そのものが全否定となり、居場所を失う。
怒りの行動が終われば、それに対する後悔からまた自分への自信を喪失していく。
なんて悪循環なんだろう。うまくできた悪循環だなぁとも思う。

どこかでこの悪循環の流れを変えたり、ストップさせることができたらなぁと思う。

まずは自分を褒める習慣をつけてみようと思う。
今は極めて褒めてもらえる環境が少ない。
彼にも協力をしてもらえるか相談をしながら、褒めてもらえる環境を少しずつ整えていけたら変わるのではないかと思っている。
その為にはそれぞれに自己開示していかないといけない。
この全てではなくても、いくつかの自己開示して私をわかってもらわないといけない。
本当に理解してもらうのは難しいかもしれないけど、目的はあくまでも”承認”。

心から無条件で自己承認できる日が早く来たらいいなぁと思う。
それまでの道のりはどれだけ長いのか短いのかわからないけど、着実に前に進めたらいいなぁと思う。

良くも悪くも自分を振り返ったり、考えたりすることは大切なんだと思った。
どうして自分がこんなに苦しい気持ちでいなければならないのか、理由や原因が自分なりに見出せただけでもまずは大きな一歩かなぁと思う。
自分と向き合ったり、それを相手に伝えたりするのはものすごく労力だと思うけど、きっとそれもまたこのボーダーから抜け出す為の大事なことだと思うからこれからも程々にやっていこうかと思う。

ここまで向き合って考えて書いた自分、偉い。

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