歳をとると冒険しなくなるということを身をもって知った

近頃 新しい作品に手を出すのが億劫で同じ作品ばかり繰り返し観てしまう。

疲れたくないからもう知っているものを観るというまあ単純なものだけど、まだ出会っていない大好きになれるはずの作品がどこかに必ずあるのだと思うと同じものばかり見ているこの時間の消費は、正しいのかと怖くなる。

好きな作品はいつも一定の幸せと安らぎをくれるけど、それは分かりやすい妥協の産物で幸せのマックスではないし刺激もない、でも疲れたくない、そんなループ

でも現代人に入ってくる1日の情報量は、江戸時代の1年の情報量と同等らしく、人間のモデルは変わらないのに入れる量が増えてしまったのなら疲れて当然だ!致し方ない!と正当化したりしてみる

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