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公庫からコンサルへ~30代のキャリア開拓~


 BACソリューションズの眞田(さなだ)です。
 私は30歳を越えてから2度の転職を経験しました。40越えると転職は難しいと言いますが、30歳前半の1度目より、40越えた2度目の方が選択肢が
広がりました。
 今回は自己紹介を兼ね、私が何を考え、キャリアを広げるために何を
してきたかを紹介します。
 少々長いですが、お付き合いいただけると幸いです。

1.公庫退職を決意

公庫での仕事

 私は新卒で日本政策金融公庫(以下公庫)の中小企業事業に入社しました。地方の限界集落出身で、学生時代もフィールドワークをしていたこともあり、現場主義で、企業の成長を通じて地方を盛り上げる事ができるところに魅力を感じたためです。
 公庫では、地方支店での融資担当を2店舗。本店での審査業務を1年経験しました。審査業務の知見が自分の最初の武器になります。
 将来のベンチマークとして中川政七商店を意識していました。製品の見せ方・切り口を変える事で、急成長させる事例を読んでは、「自分もこんな事例を生み出したい」と決意を新たにしたものです。
 そうした気持ちもあり、公庫では単に融資をするだけでなく、

  ①財務と定性情報から企業の課題を明らかにする。
     ↓
  ➁それを基に事業計画を立てる。
     ↓
  ③事業計画実現のためのお金を融資する

という事を意識していました。これはと思った企業があったら、一緒に
計画を作ったり、逆に時にはきつい事を言う事もありました。
 仕事上の数字もついてきまし。「これは」と思って融資した企業が成長する姿を見る事ができる楽しい日々でしたが、転換点がおとずれます。

公庫に感じた限界

 やりがいを感じていた公庫の仕事ですが、一方で限界も感じていました。課題を指摘する際に、金融機関の立場として言えない事ということがあります。
 課題を明らかにして計画を作っても、実行面のサポートをする事は
できません。
 「こうしたら良くなるのに」が見えている企業が、計画実行で躓く事があっても、遠くから見ることしかできない歯がゆさを感じ始めました。
 この歯がゆい企業の中にはその後倒産してしまった企業もあります。

 当時私が力を入れていたのは、新規事業や企業再生のような特にリスクの大きい融資案件でした。リスクが大きい案件は審査も面倒くさいのです。ま時代は業務効率化に向かっていました。私の路線は近い将来必要とされなくなる事を感じていました。

2.初めての転職活動

 こうした背景が重なり、30前半の時に1度目の転職を決意しました。キャリアコネクトに登録して、声をかけてくださったエージェントと面談し、
エージェントさんにお勧めいただいた求人から、興味のある先をピックアップして出願をする形で進めました。
 軸は①中小企業の転換点を作る仕事に関わり続けられる。➁自分の能力を拡充できるだったので、ベンチャー・キャピタル、コンサル、M&A会社を中心に受けています。
 ➁の条件があるので、財務コンサルは考えていませんでした。

 勇んで書類を出しても、書類段階で落ちる事も多く、初めての転職は
なかなか厳しい感触でした。
 最終的にコンサルティング会社とM&A会社から内定を頂き、コンサル会社に決めました。M&A会社の方が年収は高い提示をいただいていたのですが、長い目でどちらが自分の理想に近いかで判断しました。
 

3.転職後のギャップ

 30代前半に公庫からマーケティング&セールスを得意領域とするコンサルティング会社に転職したわけですが、両親はもちろん、前職の上司・顧客・同僚も、転職先の同僚も「お前は何を考えているんだ」という反応でした。公庫は公務員みたいなものですから、そのままいれば安定が約束されていたのに、名前も知られていない、当時100人に満たない会社に移籍をしたわけですから当然でしょう。
 自分自身に迷いはありませんでした。
 ですが、入社後は様々なギャップに苦しみました。

ギャップ① 仕事のスピード感
 公庫は良くも悪くも公務員的で、事務ミスを減らす事が第一だった一方、2社目の会社はとにかくスピード重視。多少のリスクは上等。上司へのミーティングや相談もまずはチャットでOK。最初の1ヵ月は驚く事ばかりで「えらいところに来てしまった」と思ったものです。

ギャップ➁ ワークスタイル
 一定の時間が来たらシステムが落ち、強制業務終了になり、土日休みの公庫に対し、2社目の会社は平日は日付が変わる寸前まで業務。朝は始発で出張。土日もフル回転という業務スタイルでした。 
 今はもう少しホワイト化しましたが、当時は土曜日の朝に上司からメールが来て、月曜日の朝までに資料を仕上げるのが当たり前でした。

ギャップ➂ インプット量
 
公庫をはじめとする銀行業務はある程度定型化されているのに対し、2社目の会社は「オーダーメイドコンサル」を売りにしていたので、同じテーマでも会社によって進め方が違いました。また、テーマも常に新しいものを
開拓している会社でした。公庫時代インプット量は少なくなかったと自負はしていましたが、こちらも必要な量が違いました。これを公庫の時よりも短い時間の中で達成する事が必要だから、最初は大変でした。

 このギャップをどう埋めたか。
 慣れるまで歯を食いしばったというのが本音です。
 もちろん工夫した事もありますが、基本的には➀~➂の内容は筋トレと
同じで、鍛えるべき基礎体力だっと思います。
 大変でしたが、20代のうちに身に着けられなかったものを何とか
30代前半で鍛える事ができた感覚です。

4.価値発揮の仕方

 マーケティング&セールスの会社だったので、最初の3年間にアサインを受けたプロジェクトは、営業力強化。Webマーケティングがメインでした。クライアント先は中小企業、特に住宅会社が中心でした。
 中小企業向けコンサルは数字を分析し、示唆を出すだけでは成果は出ません。営業力強化だったら、営業の方に話していただくトークを作る。ロープレで浸透さる。商談後の社員の方をフォローをする。Webマーケティングなら、アナリティクスの分析にとどまらず、Web広告の登録・運用、アイコンの作成等、自分自身が率先垂範で手を動かす必要がありました。
 
 こうしたクライアントワークと合わせて、社内業務を平行して進めます。入社2年目以降は自分のプロジェクトは自分で作る必要があるため、自分でマーケティングコンテンツを考え、テレマ→営業→クロージングをする活動を行います。
 チームや会社全体の活動も増え、ビズリーチのスカウトメールを送ったり、後輩コンサルタントの指導にも携わらせていただきました。
 コアスキルが財務分析・資金調達だった自分に取っては新鮮な
業務ばかり。常に新しい事を学び続ける毎日でしたが、ここで自分の領域は一気に広がります。
 チャンスは自分で作らないと終わる環境でした。チャンスがあれば兎に角手を上げてぶつかっていったのがこの時期でした。

5.つながる点と点

 4年目の途中からステージが少し変わります。
 公庫で培ってきた、財務会計的な視点と、2社目で経験してきた事業・組織づくりの視点がかみ合うようになりました。
 4年目までに、営業・集客・生産・アフターメンテナンス・CRM、採用、育成、評価といった住宅のバリューチェーンに関する業務を一通り経験し、成果が出せるようになりました。
 このおかげで、決算書や試算表から課題を抽出→課題解決の提示→実行までを一貫してサポートできるようになりました。
 こうなると支援でも大きな成果を出せるようになります。最初のご相談は、財務、事業、組織のような個別の切り口でいただきますが、会社の中に入って問題を解決しようとすると、色々な要素が絡み合っている事が一般的でしょう。これに対応する事が出来るようになっていました。
 1社目の時にになりたいと思っていた姿にここでようやく到達する事ができました。

 こうなるとお声掛けを頂く相談の幅も広がります。企業再生やM&Aの
ような複雑な支援にも領域が広がっていきます。

 住宅・不動産というオールドですが巨大な産業に深く入り込めるようになった事で、逆にお付き合いをするクライアントの幅も広がりました。
 新規事業開発やスタートアップが盛んになり、新しい技術や切り口でオールドな産業を攻略したいというご相談を頂くようになります。業界の水先案内人として、大手企業やベンチャー企業とのお付き合いが増えるようになります。
 
 これが自分の視点を更に広げる事にもつながりました。他の業種・業界の視点で見る事で、これまで見てきた産業を相対的に見る事ができるようになります。
 新規事業開発やDXに関する知見を広げる事ができたのもこの時期です。
AIの可能性に気づく事ができたのものこの時期の経験があってこそでした。

6.40代:2度目の転職

 描いていたなりたい姿になり、お付き合いのあるクライアント企業様の
成長を一緒に味わえた事は代えがたい経験でしたが、40歳になったタイミングで2度目の転職をしました。
 所属していた会社が、大手企業向けコンサルに舵を切る事になり、中小企業向けを志向し、一緒に業界を変えようと動いていたクライアント企業様と動いていた自分としては、はしごが外れた形になりました。
 
 2度目の転職はビズリーチとLinkedinをメインに使用しました。嬉しい事に1度目と違い、様々な企業様からオファーを頂く事ができました。

【オファーをいただいた企業・職種】
コンサル
総合系コンサル
・DXコンサル
・新規事業開発
ベンチャー関連
・経営企画室
・カスタマーサクセス
事業再生系
・銀行の企業再生部署
・PEファンド
・再生中の会社の役職者
・M&A
その他
・事業会社の経企

 時流が良かったのかもしれませんが、多くのお声掛けをいただきました。ほぼスカウトだった事もあり、書類で落ちる事はほぼありませんでした。
下世話な話ですが、年俸も前職の1.2倍~2.1倍とかなり良い条件でご提示をいただきました。
 
 転職活動を通して改めて自分の強みを整理する事ができました。
私に関してご評価いただいていたのは、

➀ 財務・金融周りに強い
➁ カバーできる領域が広い
➂ クライアントの中に潜り込める

の3点でした。
➀は1社目の時点の強みですが、2社目の経験を通じ、➁・➂が強みとして
加わりました。
40代でも選択肢が持てたのは、強みが増えた事に加えて、➀×➁×➂のような相乗効果が出せるようになった事が大きかったと感じています。

 最終的に現職BACソリューションズに入社する事になったのは、「中小企業の転換点を作る」という1社目の頃からのテーマができる事に加え、➀➁➂の強みをすべて活かせる事が理由の1つです。

7. 更に広がるチャンス

 能力・領域を広げるのは30代まで。40代は能力をいかに活用するかだと
思いきや、現在進行形でまだまだチャレンジが続いています。
 目下、企業再生分野の他にビジネスマッチング、AI活用、海外展開と
いったテーマに取り組んでいます。
 色々広がりすぎて、最近は自分が何をやっている人なのか分からなくなってきました(苦笑)。
 
 長らくお付き合いをさせていただいていると、クライアント企業様の求めるものはどんどん高くなっていきます。変化が激しい時代を先取りしようと考えていると、自然に学ぶ事やチャレンジが増えていきます。40歳を越えましたが、まだまだ進化できる事を感じています。
 

8. 転職経験からの学び

 かつての私のように、金融機関から次のキャリアを模索される方は増えていると感じます。
 金融機関にいたメリットは
 ① 財務諸表と資金調達の知見は価値になる
 ➁ クライアント先との深い折衝経験も価値になる
 ➂ 基礎動作がしっかりしている
という点です。
 こうした金融機関出身者に求められる能力に加え、自分の武器があると
希少性が高まると思います。

 自分の場合は、財務・資金調達を核に、営業・集客・組織開発・新規事業開発という武器と、特定業界への知見を蓄積していきました。

 ありたい姿を明確に持っておく事も重要だったと思います。 
 30代前半は「中川政七商店のような再生をやりたい」。
 30代後半以降は「クライアントを業界のニューヒーローに育てたい」が
チャレンジの原動力になりました。

 ありたい姿を追いかけながら、自分も周りも成長できる人生は
楽しいと思います。

 最後まで長文お付き合いいただきありがとうございました。
 ご質問等ありましたらXのDMを開放しているので、お気軽にお声掛けください。
 https://x.com/TakaakiSana

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