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アメリカ滞在中、アジア系差別と思われる出来事を前に思ったこと

少し前、アカデミー賞授賞式でのアジア系差別が話題になっていた。報道を傍観しつつ、心の中は様々な思いが駆け巡っていた。

記憶のすみに追いやっていた、アメリカ滞在中のシーンがいくつか蘇る。

2年間のアメリカ滞在中、たくさんの素敵な出会いがあったし、様々な国の興味深い文化に触れることができた。

ただネガティブなことが一切なかったというと嘘になる。人種差別の多くは見方によって変幻自在で、ジャッジが難しいけれど、「恐らくそうなのだろう」と推定できるような出来事には、私も遭遇した。

人種差別という言葉のカバーする範囲が広すぎて、残酷すぎる迫害や奴隷制度などの歴史と並べてしまうと、その言葉を使うことすらおこがましく感じてしまう。

ただ、表出している行為に濃淡はあるものの、根っこは同じだ。それは残忍なものしか生み出さないし、看過してよいものではない。


❏カウンター式のパン屋さんで遭遇したこと

お客さんの絶えない、カウンター式のパン屋さん。

私の訪れる限り、店員さんもお客さんもほとんどが白人の方だった。そこで注文の順番を抜かされそうになる、という出来事が2回あった。

1回目は、まだ渡米して日が浅く、私はその店はおろかアメリカでの注文にも慣れていなかった。つまり私の曖昧な態度にも問題があった。

「注文が決まって気持ちを整えたら、店員にアイコンタクトを送ろう」くらいに考えてショーケースを眺めていた私は、女性店員(白人)が後からやって来た白人の女性の注文を先に取っても、さほど気にしなかった(そもそも列にすらなっていなかった)。

しかしそれを見ていたエレガントなご婦人(白人)の二人組が、私に代わって女性店員の行為を非難した。「彼女(=私のこと)が先に待っていたのに、おかしくない?」と。

その物々しい雰囲気から、ご婦人方がアジア人のお客(=私のこと)に対する不適切な行為を非難しているのは、誰が見ても明白だった。

実は社会人駆け出しの頃、アメリカ・オーランド出張中に似たような対応を一度だけ経験したことがある。アウトレットショップのレジで商品を持って並んでいた時、後ろの人に順番を抜かされたのだ。

私の隣りにいた仕事仲間の表情がみるみる険しくなっていった。彼女はアメリカに長年在住した経験を持つ。「アジア人はレジで順番をよくとばされるから、かなり警戒して順番をキープしておいた方がいい」と戦闘モードな表情でアドバイスされたのを覚えている。

❏Youtube動画を参考に、まずは注文態度をカイゼン

いずれにしても今回のパン屋での出来事については、私のおよび腰な態度が、事態をややこしくしてしまったと私なりに反省し、他のお客さんの注文シーンを観察したり、Youtubeの英語注文動画などを参考にして、2つの改善点を取り入れることにした。面白いことに、この2つを実践しただけで、かなり状況が改善した。

1つ目は、簡単なことだが、「大きな声を出す」こと。
レストランのようにチップで稼げるところを除いて、アメリカで接客をする人は、スピーディかつ流れるように喋っていて、テンポやリズムを崩されるのを嫌がる傾向があるように感じる。聞き取れないような小さな声は苛立ちを助長させるだけ。そして日本人の声って一般的に通りにくい。そこでお腹の底から声をだして、まずは挨拶。そして堂々と注文するようにした。

もう1つは「迅速な注文」。
店頭で注文を迷い過ぎないこと。あらかじめネットでメニューをチェックし事前に決めておく。どうしても事前にチェックできなかった場合は、店員オススメを注文することにした。

実は別のケーキ屋さんを訪れたとき、白人のおばあちゃんが「お先にどうぞ」と順番を譲ってくれたことがある。実際に注文がまだ決まっていなかったし、おばあちゃんに譲ってもらうのも落ち着かなかったので、「まだ注文が決まっていないので、どうぞお先に」と返した。

すると「Are you sure?」とすごく怪訝な顔をされたことがあった。彼女の表情には主張の足りないアジア人への若干の苛立ちが表れているように見えた。彼女自身、周りからの目も気になるのかもしれない。このときに迅速な注文は、やっぱり大切だと確信した。譲ってくれた人に気まずい思いをさせることすらあるのだ。

なんて面倒な!と思ったけれど、慣れるしか無い。日本に帰国したら思う存分、ショーウィンドウの前でどのケーキにするか悩む幸せを味わおうと心に誓った。

「大きな声」で「迅速に」注文。この2つを実行するようになったら、店員さんが「オールライティ~♪」と機嫌よく応じてくれるようになった。やがてリスニング力も少しずつ身についてきて、当初に比べればだいぶスムーズに注文できるようになっていった。

❏より露骨だった二度目の順番とばし

そんな折、例のパン屋で2回目の順番とばし事件が起きた。今回は前より明白だった。だってそのパン屋には何度も訪れて、注文もスムーズにできるようになっていたから。

その日、私の順番になると、白人の女性店員は私の顔を見ようとせず、私の後ろに並んでいる白人男性に話しかけたのだ。

私とその白人男性のお客は、思わず顔を見合わせて怪訝な顔をした。そして、そしてほぼ同時に「私が(彼女が)先だ!」と主張した。私の必死で大きな声は彼の声をかき消していたかもしれない。すると女性店員はほんの一瞬驚いた顔をして、それから何事もなかったかのように、私に注文を聞き直してきた。

たかが注文。でもそれはインクのシミみたく、私たちの意識を侵食していく。あのとき何も言わなければ、女性店員に対して失礼な行動を許容することになっただろう。そして私自身の気持ちのうえでも、店員やパン屋への嫌悪感のみならず、自分を許せない気持ちを抱えることになっただろう。

ただ、ちゃんと主張さえすれば状況は変えられる。そう学べたのは大きな収穫だった。

英語指導をしてくれていたアメリカ人のヘレン(白人)と、人種差別について話をしたことが一度だけある。彼女は言った。「有色人種を良く思わない人は私が知っているだけでもそれなりにいる。彼らはそれを隠しているだけ。このダイバーシティなボストンでさえも」。ボストンで生まれ育った彼女がそう言うのだ。残念ながらそれは事実なのだろう。

❏嬉しい変化の兆し

やがて帰国が間近にせまってきたころ、そのパン屋さんへ最後の買い物に訪れた。すると、アジア系の店員さんを初めて見かけたのだ。

会計時にJALのクレジットカードを提示すると、その店員さんは不意に日本語に切り替えて話してきた。

「日本の方ですか?」

そうです!と答えると、「ぼく小学生の頃に5年くらい日本に住んでいたことがあるんです。懐かしくて」と嬉しそうに教えてくれた。

そのお店に行くのを億劫に感じた時も正直あった。けれど最後には小さな変化の兆しを発見できて嬉しかった。

一人ひとりの主張は小さくても、それが積み重なることで、世界はゆっくりと、より良い方向へ向かう。そんな希望を持てた日だった。

私は、Have a nice day!! と大きな声で告げ、その店を後にした。

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