見出し画像

誰からも期待されない生き方が最善戦略である

今回もミニマリズム関連の記事である。

今のこの社会と世間で生き残る術は、「ミニマリストとなり、緩く社会と繋がる」事だと考えている。これは単に好き嫌いの問題ではなく構造的にそういう帰結になる。

とにかく徹頭徹尾誰からも期待されない人になる。これがミニマリスト戦略の真骨頂である。今後社会を生き抜くためには有名無実ではなく無名有実で現実を突破することだ。

家庭での期待値が高い、学校での期待値が高い、職場での期待値が高い、将来への期待値が高い、子どもや友人や恋人や夫婦や上司からの期待が高い。マーケティングイメージの羨望が高い。信者やファンからの羨望が高い。そこそこ有名である。

これらはミニマリスト戦略としては相性が悪い。負荷がかかり自由に身動きがとれなくなる。また義理人情やお世話になった、サポートしてもらっているなどの恩情がさらに負荷をかける。下手に有名になると、実物よりイメージが先導してしまい有名無実化が進行する。

ゆえにミニマリストはこれと正反対の立ち位置を目指す。

家庭での期待値が低い。学校での期待値が低い、職場での期待値が低い、将来への期待値が低い、子どもや友人や恋人や夫婦や上司からの期待値が低い。マーケティングイメージが存在しない。信者やファンから相手にされない。誰からも期待されない。

誰にも頼られない、誘われない、肯定的なイメージをもたれないが社会包摂はされている状態である。この状態が個としても集団としても理想の立ち位置である。つまり集団からはほぼ外れているが柔軟に出入りができる状態である。

家事ができなくても、勉強ができなくても、仕事ができなくても多少のへまをしても誰からも期待されていないので、素通りされる。それが最善戦略である。

またこの戦略は共依存化や組織人にならない戦略でもある。

厳格な立場やインセンティブやソーシャルキャピタルやコネクションによって人は共依存や立場主義にすんなりと嵌ってしまう生き物だ。これを回避する術は低期待しかない。

家事ができるのは当然、育児ができるのは当然、勉強ができるのは当然、仕事ができるのは当然、誰に対しても気配りができ、遊び方も豪奢。ファンサービスが旺盛な人がいたとして果たして生きやすいのだろうか?現代の移り変わりが早い社会と相性が良いとは思えない。コスパの悪さも半端ではないだろう。

期待値が0になる。これにより負荷はなくなる。一応社会とのつながりはあるので、社交性はそこそこ身についている。そこそこ話すことはできるが誰も期待はしない。これにより生きやすくなる。

急速に社会が変化していき、プラットフォームの瓦解が進むなかで、期待値の低い生き方が求められている。

この記事が参加している募集

#新生活をたのしく

47,934件

学習教材(数百円)に使います。