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【歴史概要57】アメリカ独立戦争・大陸会議・独立宣言

①植民地人の代表はフィラデルフィアに集まり第1回大陸会議が開かれた。本国への抗議や本国製品のボイコットなどを決議した。

②1775年4月にレキシントンとコンコードで本国正規兵とミニットマンと呼ばれた植民地民兵の衝突事件が起きると第2回大陸会議が開かれた。そして植民地軍が組織されてG・ワシントンが植民地軍の司令官となった。

③植民地側が一挙に大同団結したわけではない。積極独立派のパトリオット=愛国派に対して本国へ忠誠を維持するロイヤリスト=忠誠派がおり事態を静観する中立派の植民地人もいた。

④1776年にトマス・ペインが発行した『コモン・センス』は君主制に対して共和政が優れている事と独立の意味を植民地人に啓蒙した。これにより独立に向けての世論を形成した。

⑤1776年7月4日に大陸会議でジェファソンが中心にまとめた「独立宣言」が発表された。イギリス王であるジョージ3世の悪政を批判するだけでなくロックの政治論である「生命・財産・幸福追求の権利」を掲げた。

⑥主に社会契約に基づき政府が作られ、政府は統治者の同意の上に存在する事。政府が誤った政策を行ったときに民衆は革命権をもつ事などを明らかにした。アメリカの独立が革命と云われる理由はここにある。

⑦外交官として活躍したのがフランクリンであった。主にパリで外交してフランスの支援を得た。1732年に発行した「早起きは三文の徳」の類の警句を紹介した「貧しきリチャードの暦」がヒットした事で有名である。

⑧アメリカには国際世論が集まった。後にフランス革命で活躍するラファイエットやロシアやプロイセンによる分割に抵抗したポーランドの運動家コシューシコなどが義勇兵として参加した。

⑨緒戦はイギリス側が優勢であったが植民地側は1777年のサラトガの戦いで植民地側は勝利した。フランスとの同盟でスペインもアメリカに加勢しオランダもイギリスと戦った。ロシアは武装中立同盟を呼びかけた。

⑩1781年のヨークタウンの戦いでフランスのサポートを得た植民地が勝利した。1783年のパリ条約で独立が承認された。ミシシッピー川以東の土地がアメリカに割譲された。合衆国は独立する事で植民地時代の数倍の領土を得た。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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