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【歴史19】エジプト史備忘録14(アマルナ宗教改革失敗・ヒッタイト出現)

エジプト史の学習内容を深めていきます。

①治世9年頃にアクエンアテン王の宗教改革は過激になっていった。エジプトとヌビアの神殿の壁面、墓の壁面、スカラベ形印章までアメン神の名と図像がある部分は削られた。

②アメン神の彫像は破壊され伝統的な神々は迫害された。
アテンを絶対視する信仰は王とアメン神官団との対立によって
生まれたので一般の人々の信仰とは無縁であった。

③アテン神への祭祀はアクエンアテン王のみが行った。来世観を認めずオシリス神や死者の書にみられる最後の審判といった考えを否定した事こそアテン信仰が根付く道が断たれた理由である。

④多くの神殿が閉鎖されたので働く人々は失業した。
神殿閉鎖は経済にも悪影響を与えた。

⑤アクエンアテン王の治世12年は西アジアやヌビア、エーゲ海諸国から使節団が贈り物を持ってアケトアテンへ来訪した。ここが最盛期だったがこの年以降統治難しくなった。

⑥治世12年から14年ごろに友好関係であったミッタニがヒッタイトの属国となってエジプト支配下にあった地域の一部がヒッタイトに制圧された。西アジアの諸侯たちはエジプトに助けを求めるが僅かな軍隊派遣しか送られなかった。

⑦エジプトはヒッタイトと外交関係があって積極的な軍事遠征が
できなかったと云われている。西アジアにおけるエジプトの信頼はなくなった。ヒッタイトの侵攻で領土は奪われた。

■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社

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