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#10 コロナ禍の先にあるもの。

 中学、高校と吹奏楽部だった私は、今でも地元の仲間と吹奏楽を楽しんでいる。演奏会の中ではコラボ企画として、和太鼓、合唱、ダンスなど、他団体との合同ステージも行っている。ある時その相手として、母のハンドベルサークルはどうかと思い立った。

 その頃、母はすでにハンドベルの活動からは身を引いていたのだが、母の仲介で仲間の方たちとコンタクトをとらせてもらい、ハンドベルと吹奏楽のコラボを実現するための案を練っていた。

『吹奏楽と一緒に・・・となると、ベルの音が消えてしまうのではないか?』
と、先方は心配しておられたようだったが、そうならないためのアレンジを考えている私は、ステージを想像しながらとてもワクワクしていた。観客に楽しんでもらうこともさることながら、この時の私は母の喜ぶ顔が見たい一心だったのだ。

 そうこうしているうちにやって来た『コロナ禍』。ありとあらゆる活動が規制され、コンサートどころか集まって練習すらできない日々が続く。
 『三密(さんみつ)』という言葉が日本中を駆け巡ったが、数ある活動の中でも、吹奏楽部とは三密の最たるものではないか。

 マスクを外さなければ楽器が吹けない・・・当然活動は休止。毎週の練習がなくなるのはさみしいものだったが、とにかく皆、コロナから身を守ることで精一杯だった。しかしこの生活に慣れてしまうとついつい悪いクセが出てしまう。使っていない楽器のメンテナンスも怠り、たまに息を吹き込み鳴らすことすらしなくなってしまった。三密がダメでも、本気で楽器に向き合う気持ちがあれば、メンテナンスも個人練習もどこだってできたはずなのに。
 ハンドベルとのコラボも企画倒れとなり、私達は練習で集まることもなく、吹奏楽コンサートも開催しないまま、コロナ禍をやり過ごすことになった。

 少し前から、母の『物忘れ』について姉から聞かされることが多くなっていたが、コロナ禍がそれを急加速させてしまった。母自身も人から聞かれたことに対してスムーズに答えられなくなっているのを気にしている。
『何か、すぐ忘れてしまうみたい・・・ごめん・・・。』
母はもともと物静かなタイプではあったが、ぼんやりと無口なる時間が増えてしまった。

 母と同居している姉が、ある時提案した。
『毎日、ピアノを弾いたらどう?』
父の会社の倒産から心の余裕がなく、ピアノを弾くことからずいぶん遠ざかっていた母であったが、姉の言葉を受けて少し前を向いた。本当に久しぶりに、鍵盤に両手を置いてみたのだ。その時まず弾いたメロディが・・・今となっては母の代名詞となっている。
『🎵エリーゼのために』

 


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