見出し画像

「てりてり」が先か「てるてる」が先か【てるてる坊主の呼び名をめぐって#1 近世(江戸時代)編】

※冒頭の絵は内田ハチ〔編〕『菅江真澄民俗図絵』上巻(岩崎美術社、1987年)89頁より一部を転載

1、国語学者が残した課題

 国語学者の松井栄一(1926-2018)は著書『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」』のなかで、てるてる坊主の呼び名に注目しています。松井によれば、明治期(1868-1912)の主要な辞書12点の見出しを一覧してみたところ、その内訳は以下のとおりだそうです。

・「てりてり坊主」のみ……5点
・「てるてる坊主」は見出しのみで、説明は「てりてり坊主」を参照……6点
・「てるてる坊主」のみ……1点

 このように、明治期の辞書では「てるてる坊主」よりも「てりてり坊主」のほうが圧倒的に優勢でした。
 さらに松井は、時代を遡って江戸時代の用例を探るべく、自身が中心となって編纂にあたった『日本国語大辞典』(第2版)、あるいは鈴木勝忠『続雑俳語辞典』を引いています。その結果、「てりてり」あるいは「てるてる」という形がともに、近世(江戸時代)の中期にはすでに使われていたことがわかると指摘しています。ただ、その先後については、「「てりてり~」「てるてる~」のどちらが古い形かということは、にわかに決めるわけにはいかない」と慎重な姿勢です[松井2004:18~20頁]。
 そこで、松井の問題提起を足がかりとして、本稿では一歩踏み込んで検討してみましょう。「てりてり」と「てるてる」、先に使われてきたのは、はたしてどちらの形なのでしょうか。

2、近世(江戸時代)の文献資料への着目

 松井の著書から遡ること4年、私は「てるてるぼうず考・序説」を著し、近世(江戸時代)におけるてるてる坊主の呼び名の多様性を指摘したことがあります[高橋2000]。そのなかでは≪近世(江戸時代)の文献資料≫にてるてる坊主の呼び名が記されている事例21点を紹介しました。その後、今日までに新たに目にすることができた、てるてる坊主の呼び名が記されている≪近世(江戸時代)の文献資料≫が手元に19点あります。
 高橋前掲拙稿の21点と、新たに目にした19点を合わせると、てるてる坊主の呼び名が記されている≪近世(江戸時代)の文献資料≫は管見の限りでは40点です。その種別は川柳・俳諧集や黄表紙をはじめ、随筆や辞書など多岐にわたります(表1参照)。

画像2

 本稿の目的である、「てりてり」が先か「てるてる」が先かを探るべく、≪近世(江戸時代)の文献資料≫40点のなかで、呼び名に「照る」という語の活用形の繰り返し(畳語)が見られるものを拾い上げると33点を数えます(それ以外のものは7点。表1の★印)。また、前記33点のうちの3点については、漢字で「照々」と表記されており、読みがわかりません(表1の☆印)。そのため、本稿では検討対象から除くこととし、読みかたが明らかな30点について検討してみましょう。

3、初出は「てるてる」が先

 「てりてり」と「てるてる」をめぐって、文字どおりにどちらが「先か」、初出にこだわるならば、管見の限りでは「てるてる」のほうが先です。「てるてる」が1727年に見られるいっぽう、「てりてり」が登場するのはそれから35年遅れて1762年のことです。
 もとより、本稿では単発の初出だけではなく、むしろ、数十年単位での傾向に目を配っておきたいと思います。そこで、呼び名の2文字目および4文字目の母音に注目して、大まかな傾向を把握すべく、年代を仮に3区分して整理してみましょう(表2参照)。

画像2

 第1期として、対象30点のなかで最古の事例である1727年を起点として、それから1790年までの64年間で区切ります。呼び名の2文字目および4文字目の母音に注目すると、対象12点のうち、「る」が大部分を占め9点(75%)あり、そのほかに「り」「れ」「ろ」が1点ずつ見られます。「る」が圧倒的に優勢です。
 第2期として、続く1791年から1829年までの39年間で区切ります。同じく対象11点のうち、「る」は4点(約36%)にとどまり、「り」が最多で5点(約46%)あります。そのほかに「れ」が2点見られます。第1期と比べ、「る」の占める割合が半分以下になり、代わって「り」が急増しているのが目立ちます。
 第3期として、1830年から幕末の1868年までの39年間で区切ります。対象7点のうち、最多は第2期に引き続き「り」で5点(約71%)あり、いっぽう、「る」は2点(約29%)にとどまります。「り」と「る」以外は全く見られません。

4、「てるてる」から「てりてり」へ緩やかな変化

 「てりてり」と「てるてる」に注目して整理してみると、第1期(1727-90)には「てるてる」が圧倒的に優勢(75%)でしたが、第2期(1791-1829)には「てるてる」(約36%)に代わって「てりてり」(約46%)のほうがやや多くなり、さらに第3期(1830-68)には「てりてり」がはっきり優勢(約71%)となります。
 このように数十年単位での傾向をたどってみても、どちらが先かという点で言えば、それはやはり年代的に早い時期(第1期)に圧倒的優勢であった「てるてる」です。
 「てりてり」の場合、初出は管見の限りでは1762年で、18世紀末になると「てるてる」に取って代わるように登場頻度が徐々に増し、1830年ごろからは頻繁に使われています。
 いっぽう「てるてる」の場合、初出は管見の限りでは1727年で「てりてり」より35年ほど早く、その後しばらく18世紀中は頻繁に使われていましたが、18世紀末から登場頻度が徐々に減っています。とはいえ、「てりてり」のほうが優勢となった19世紀に入ってからも、消えることなく散発的に使われている点が注目されます。
 また、第1期から第2期にかけて(1727-1829)は、「てりてり」や「てるてる」以外に「てれてれ」「てろてろ」といった多様な呼び名が散見される点も特徴的です。
 「てるてる」が先で、18世紀末から徐々に「てりてり」が優勢に――。てるてる坊主の呼び名をめぐって、≪近世(江戸時代)の文献資料≫に見られる表記を整理することで、大まかな傾向を把握することができました。その後、明治期(1868-1912)に入ってからも引き続き、先述の松井前掲書のとおり、ほとんどの辞書の見出し項目において「てるてる」より「てりてり」が優勢であったといいます。
 しかしながら、18世紀末に「てるてる」から「てりてり」へと変化した呼び名は、昨今ではまた「てるてる」に戻っています。この間、てるてる坊主の呼び名にはどのような紆余曲折があったのでしょうか、また改めて検討したいと思います。

参考文献
【全体に関わるもの】
(編著者名の五十音順)
・内田ハチ〔編〕『菅江真澄民俗図絵』上巻、岩崎美術社、1987年
・小学館国語辞典編集部ほか〔編〕『日本国語大辞典』(第2版)第9巻、小学館、2001年
・鈴木勝忠『雑俳語辞典』続、明治書院、1982年
・高橋健一「てるてるぼうず考・序説」(神奈川大学日本常民文化研究所〔編〕『民具マンスリー』第33巻7号、2000年)
・松井栄一『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」 現代日本語の意外な真実』、小学館、2004年

【表1に関わるもの】
(丸数字は表1の№に対応。発行年のあとの括弧内は掲載箇所の詳細。二重括弧内は原典にあたることができなかったための参照元。)
①専庵道甘〔編〕『絲瓜草』、中野五郎左衛門、1661年(巻第4 夏部下「青梅」)
②榊原玄輔『榊巷談苑』 ≪太田南畝〔編〕『三十輻』第1、国書刊行会、1917年(巻之2)≫
③松月堂不角〔編〕『篗纑輪』11集 巻3、1727年 ≪穎原退蔵〔著〕尾形仂〔編〕『江戸時代語辞典』、角川学芸出版、2008年≫
④松月堂不角〔編〕『篗纑輪』11集 巻4、1727年 ≪穎原退蔵〔著〕尾形仂〔編〕『江戸時代語辞典』、角川学芸出版、2008年≫
⑤苔翁『裏若葉』、1732年 ≪鈴木勝忠〔編〕『雑俳語辞典』、東京堂出版、1968年≫
⑥四時庵紀逸〔編〕『武玉川』、1753年、(5編)≪国書刊行会〔編〕『徳川文芸類聚』第11、1914-16年≫
⑦自楽『地獄楽日記』、太田庄右衛門ほか、1755年、(巻之2 第1) ≪古谷知新〔編〕『滑稽文学全集』第7巻、文芸書院、1918年≫
⑧川柳〔評〕『万句合』、1758年、(満) ≪石川一郎〔編〕『江戸文学俗信辞典』、東京堂出版、1989年≫
⑨川柳〔評〕『万句合』、1761年、(桜2) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑩如露〔評〕『風丈・如露評万句合』、1762年 ≪鈴木勝忠『未刊雑俳資料』第43期、1968年、(8「風丈・如露評万句合」)≫
⑪按山子『静夜独言』巻3、1771年 
⑫滄浪居嘯山『俳諧新選』、橘仙堂善兵衛ほか、 1773年、(巻之1 春「藪入」) ≪佐々醒雪・巌谷小波〔校〕『名家俳句集』(俳諧叢書第3冊)、博文館、1913年≫
⑬薪葉〔著〕湖竜斉〔画〕『松茸売親方』、1778年 ≪幸堂得知〔校訂〕『黄表紙百種』4版(続帝国文庫第34編)、博文館、1909年≫
⑭鳥山石燕〔画〕『続百鬼』、1779年、(中之巻、晦)
⑮川柳〔評〕『万句合』、1785年(智3) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑯菅江真澄『蝦夷喧辞弁』、1789年 ≪菅江真澄『真澄遊覽記』第34冊(巻16)≫
⑰山東京伝〔作・画〕『傾城買四十八手』、1790年、(「やすい手」) ≪『近代日本文学大系』第11巻(洒落本代表作集)、国民図書、1926年≫
⑱太田全斉〔編〕『俚言集覧』 ≪村田了阿[編]井上頼国・近藤瓶城〔増補〕『俚言集覧』中巻 増補、皇典講究所印刷部、1899-1900年≫
⑲呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、石井佐太郎ほか、1808年、(41篇12丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑳式亭三馬〔著〕歌川豊国3世〔画〕『鬼児島名誉仇討』、西宮、1808年 ≪式亭三馬〔著〕歌川豊国(3世)〔画〕林美一〔校訂〕『鬼児島名誉仇討』(江戸戯作文庫)、河出書房新社、1985年≫
㉑小林一茶『我春集』、1811年 ≪小林一茶〔著〕信濃教育会〔編〕『一茶叢書』第7編、古今書院、1926-30年≫
㉒小山田与清『松屋筆記』、(巻94)
㉓中山美石「諸国風俗問状 三河国吉田領答書」、1817年 ≪竹内利美ほか〔編〕『日本庶民生活史料集成』第9巻 風俗、三一書房、1969年、(「諸国風俗問状答」)≫
㉔高田与清『擁書漫筆』巻第4、伊勢屋忠右衛門ほか、1817年
㉕清水浜臣『語林類葉』5
㉖尾上梅幸〔作〕歌川国貞〔画〕『皇国文字娘席書』、丸屋甚八、1826年
㉗文亭綾継〔著〕春川英笑〔画〕『小糸佐七糸桜形見釵』巻之1、1827年 ≪中村幸彦ほか〔編〕『角川古語大辞典』第4巻、角川学芸出版、2012年≫
㉘奥山四娟〔著〕円洲〔画〕『浮世名所図会』上巻、1829年(「てる〳〵法師雩の霊場」) ≪博文館編輯局〔校訂〕『滑稽名作集』下 5版(帝国文庫25、26編)、博文館、1909年≫
㉙喜多村信節『嬉遊笑覧』、1830年、(巻8「方術」) ≪喜多村信節〔著〕日本随筆大成編輯部〔編〕『嬉遊笑覧』下、成光館出版部、1932年≫
㉚呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、石井佐太郎ほか、1830年、(111篇24丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
㉛柳生範萊〔編〕『冠附類題集』、1834年 ≪前掲同書『江戸時代語辞典』≫
㉜山月庵主人『意気客初心』巻之下、吉田屋新兵衛・山城屋佐兵衛、1836年
㉝『冠附あふむ石』、1839年≪前掲同書『江戸時代語辞典』≫
㉞呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、 石井佐太郎ほか、1840年、(162篇18丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
㉟野之口隆正・ 西田直養・ 岡部東平 『嚶々筆話』第2集、1842年(森田春郷「雑説」)
㊱万亭応賀〔著〕静斎英一〔画〕『幼稚遊昔雛形』下巻、吉田屋文三郎、1844年 ≪尾原昭夫『日本わらべ歌全集』27 近世童謡童遊集、柳原書店、1991年≫
㊲『をたまき集』、1849年 ≪鈴木勝忠『雑俳語辞典』続、明治書院、1982年≫
㊳歌川国芳「てる〳〵法主おひよりおどり」
㊴田中楽美『大阪繁昌詩』巻之中、紀律堂、1859年
㊵『和英語林集成』初版、1872年

この記事が参加している募集

#名前の由来

7,891件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?