見出し画像

「あした天気に」だけではない願い 【てるてる坊主考note #5】

はじめに

 「あした天気にしておくれ」というフレーズでよく知られる童謡「てるてる坊主」。いまからちょうど100年前の大正10年(1921)に、実業之日本社の雑誌『少女の友』(14巻6号)に発表されました。作詞は浅原鏡村(1895-1977)、作曲は中山晋平(1887-1952)[浅原・中山1921:6-7頁]。童謡歌手の平井英子(1918-2021)が歌ってレコード化(昭和3年=1928)され、ラジオ放送でも親しまれたほか、戦後には小学校の音楽教科書に長らく掲載されたこともあり、広く人口に膾炙してきました。
 昨今でも、てるてる坊主を吊るす際に、「あした天気にしておくれ」というフレーズが口をついたり、心に浮かんだりすることが、しばしばあるのではないでしょうか。
 もとより、古今の事例に目を凝らしてみると、てるてる坊主に願う内容は「あした天気に」すなわち翌日の晴天ばかりとは限らないようです。本稿では、とりわけ近世(江戸時代)から近代(明治・大正・昭和前期)にかけての事例を対象として、てるてる坊主を作るタイミングや祈願の内容について検討してみましょう。

1、現状打破か予防か、止雨か祈晴か

 まずは、検討の見通しを得るため、わらべうたの歌詞や辞書の説明のなかに見られる、てるてる坊主を作るタイミングや祈願内容を確認しておきます。

 はじめに、わらべうたに唄われるてるてる坊主の場合。童謡作家の北原白秋(1885-1942)の発案で編まれた『日本伝承童謡集成』には、日本列島各地のわらべうたが集められています。収集対象を明治末期までのものに限り、大正期以降に創作されたものは一切省いたそうなので、大正10年(1921)発表の童謡「てるてる坊主」は同書の収集対象から外れています。
 同書には、てるてる坊主が登場する唄が12例掲載されていますが、唄われている祈願内容は大きく2つに分けられます。1つは童謡「てるてる坊主」と同じく、「あした天気に」という具合に≪将来の晴天≫を願うもの、もう1つは童謡とは異なり、「日が照っておくれ」という具合に≪現在の日照≫を願うものです[北原1974]。
 前者の≪将来の晴天≫を願う場合、乞われているのは空が晴れわたることです。晴天という将来の願望のために、雨をあらかじめ防ごうと試みられています。いっぽう、後者の≪現在の日照≫を願う場合、乞われているのは地上に日射しがもたらされることです。日が陰ってしまっている現状を打破しようとする試みです。

 続いて、『日本民俗大辞典』を引いてみても、てるてる坊主への願いは「あした天気にしておくれ」だけに留まらないことが分かります。「テルテル坊主」の項には「特別な日の前日や長雨の続くときなどに晴天を祈って軒下や窓辺につるす簡単な紙人形……(以下略)」と説明されています[福田ほか2000:159頁]。
 「特別な日の前日」に吊るすてるてる坊主は、≪将来の晴天≫を願う予防的な試みです。いっぽう、「長雨の続くとき」に吊るすてるてる坊主は、いわば≪現在の止雨≫を願う現状打破の試みと言えるでしょう。

 このように、てるてる坊主に托される願いは、童謡に唄われるような「あした天気に」という≪将来の晴天≫だけに限らないことが分かります。タイミングに注目してみると、願いを托して「あした」を待つのではなく、目の前の好ましくない現状に対して働きかける対症療法的な一面もあるようです。また、祈願内容に注目してみると、「天気」すなわち晴天だけでなく、ときには日照、あるいは止雨の願いが込められることもあるようです。

2、近世(江戸時代)のありよう

 てるてる坊主に托される願いは「あした天気に」だけではないという見通しを得られたところで、引き続き近世(江戸時代)・近代(明治・大正・昭和前期)の文献資料や絵画資料に見られる事例を分析してみましょう。切り口とするのはてるてる坊主を作るタイミング、および、祈願の内容です。加えて、てるてる坊主を作成する時点における天気との関係についても注目してみます。
 近世(江戸時代)において、てるてる坊主を作るタイミングや祈願内容が明らかな事例は、私の管見の限りでは18点見られます(★下記の表1参照)。文献資料の種別は随筆や川柳などさまざまです。

画像2

 1点目に作るタイミングをめぐって(表1においてオレンジ色で示した列)。18点のうち、現状打破を図るもの7点、予防のためのもの6点と拮抗しています(ほかに不明5点)。予防のためのてるてる坊主には、翌日を念頭に置いて作られる例が多く見られます。「あす」(⑫⑬)「あした」(⑯)のほか、「お花見の前夜」(④)や「おやがたびだちの日など又ははな見のまへ日」(⑮)といった記述が見られます。
 なお、⑫と⑬は川柳であり、そこに見られる「あす芝居」という語句は、題(テーマ)としてあらかじめ設定されていたものと推測されます。そのため、てるてる坊主が実際に吊るされている光景を目にして詠んだわけではなく、作者が頭のなかでひねり出した想像である可能性を否定できません。
 年代に目を向けると、現状打破を図る7点のうち6点が1817年以前に集中しており、いっぽう、予防のための6点のうち5点が1830年以降に集中している点が注目されます。現状打破から予防へという、おおまかな流れを読み取ることができます。

 2点目に祈願の内容をめぐって(表1において緑色で示した列)。18点のうち、雨が止むよう願っているもの(止雨)が5点、晴れるよう願っているもの(祈晴)が10点見られます。川柳の3点(④⑫⑬)については、どちらか明らかではありません。
 ⑧⑩⑭といった随筆においては、いずれも特定の日を指定することなく、晴れを祈ると記されているのが目立ちます。また、同じく随筆の①においては、はじめに「雨ふりて止ざるとき」とあるので止雨の祈願かと思いきや、そのあとに「晴をいのる」と続いており、やはり晴天が祈願されています。この随筆『榊巷談苑』は、私の管見の限りでは、てるてる坊主を作るタイミングや祈願の内容について記されたもっとも古い事例です。
 また、⑪では「日でりをこふ」と記されており、特に日照が乞われています。こうした日照の祈願についても、ここではいったん祈晴に含めて整理しておくこととします。てるてる坊主に願った結果として、もしも曇天であった場合には、晴天や日照を願っていたならば残念であり駄目ですが、止雨を願っていた場合には雨が止んでさえいれば曇天でもまあ良しと言えるでしょうか。
 年代に目を向けると、1817年までの事例の数は止雨4点、祈晴5点と拮抗しています。しかし、その後の1829年以降は、止雨が1点のみなのに対し、祈晴は5点とかなり優勢です。祈願の内容が徐々に祈晴へと傾倒していく、おおまかな流れを読み取ることができます。

 続いて、作成時の天気との関係を探ってみましょう。作成時の天気については、18点のうち9点に悪天候であることが明記されています(表1において右端の「手がかりとなる語句」欄が青く塗りつぶされているもの。左端の№は赤で表示)。悪天候9点のうち、②は「花ぐもり」すなわち曇天で、そのほかの8点はすべて雨天です。このほかの9点には、てるてる坊主作成時の天気について記述されていません。

画像2

 作成時に悪天候である9点の場合、タイミングとしては現状打破を図るものが多く、7点を占めます(★上記の表2参照。悪天候のものは赤で表示)。予防のためのものは2点(⑮⑰)に過ぎません。その9点の祈願内容については止雨5点、祈晴4点と拮抗しています。いっぽう、天気が明示されていない9点の場合には、現状打破を図るものは見られず、予防のためのもののみ4点(④⑫⑬⑯)見られます(そのほかに不明5点)。

3、童謡誕生のあとさき

 近代(明治・大正・昭和前期)の事例は19点見られます。近代については、童謡発表に至るまでの8点(⑲~㉖)と童謡発表後の11点(㉗~㊲)に区分して検討してみましょう。

画像3

 はじめに、童謡発表に至るまでの8点について整理します(★上記の表3参照)。「あした天気に」というてるてる坊主のイメージが確立されるのに大きな影響を及ぼしたと想像される童謡「てるてる坊主」は㉖です。
 1点目に作るタイミングをめぐって。8点のうち、予防のためのものが6点を占めるのに対し、現状打破を図るものは1点(⑲)のみです(ほかに不明1点)。予防のための6点はいずれも、翌日を念頭に置いたてるてる坊主ですが、なかには念入りに「三日も前から」準備されている例(⑳)も確認できます。また、学校行事である遠足を楽しみにして作られる事例が2例(㉓㉕)見られるのも特徴です。
 2点目に祈願の内容をめぐって。8点のうち止雨4点、祈晴4点とその数は拮抗しています。

画像4

 作成時の天気との関係はどうでしょうか。8点のうち、悪天候であることが明記されている事例は3点。⑲と㉓には雨であることが明記されています。また、㉑には「天気具合悪しく、其前日に於て気遣はしと認むるや……」とあって、やはり天気は思わしくないようです。祈願の内容と作成時の天気を重ね合わせてみると、悪天候の3点の場合には、いずれも止雨が期待されています(★上記の表4参照)。

画像5

 次に、童謡発表後の11点について整理します(★上記の表5参照)。
 1点目に作るタイミングをめぐって。11点のうち、予防のためのものが5点、現状打破を図るものは3点です(ほかに不明3点)。予防のためのものがやや優勢です。
 遠足(㉙)や運動会(㉝㉞)といった学校行事を前にして、てるてる坊主を作る例が散見されます。㉙㉞㊱の3点は、翌日を念頭に置いて作られたてるてる坊主であることが明記されています。㊲については、原本を読み通すと、当日の晴天を願って前日に作られたてるてる坊主であることが文脈から明白なのですが、その「手がかりとなる語句」を摘出できなかったため、表には明示していません。
現状打破を図る㉚では「スグ、スグ、ハレヨ」という具合に、てるてる坊主の即効性が期待されています。
 2点目に祈願の内容をめぐって。止雨2点(㉚㉟)に比べて祈晴が9点と圧倒的に優勢です。なかでも、予防のための5点はいずれも祈晴の意味を込めたてるてる坊主である点が特徴的です。
 また、㉗については、はじめに「雨のやんで」とあるものの、そのあとに「いゝ天気になるやうに」と続いており、止雨に加えて最終的には晴天が祈願されています。㉝には「ヒ ガ テル ヤウ ニ……」と記されており、先述の⑪と同様に、祈晴のなかでも特に日照が乞われています。

画像6

 作成時の天気との関係はどうでしょうか。11点のうち、悪天候であることが明記されている事例は6点。いずれも雨降りのようです。タイミングとしては、予防のためのもの3点、現状打破を図るもの3点と拮抗しています(★上記の表6参照)。祈願内容については、止雨2点に対して、祈晴が4点と優勢です。

4、作るタイミングと祈願内容

 てるてる坊主を作るタイミングについて、現状打破を図るものと予防のためのものに区別して、時代別の流れを整理してみましょう(★下記の表7参照)。

画像7

 近世(江戸時代)の場合、1817年以前には現状打破が6点見られるのに対し、予防は1点のみで、現状打破が優勢です。逆に、1830年以降には予防が5点見られるのに対し、現状打破は1点のみで、予防が優勢に変わります。
 続く近代の場合、童謡発表まで(明治・大正期。童謡自体は除く)は予防が5点見られるのに対し、現状打破は1点のみで、引き続き予防が優勢です。そうしたなかで発表された童謡においても「あした天気に」と唄われ、てるてる坊主にやはり予防の意味合いが込められています。童謡発表後(昭和前期)は予防5点と現状打破3点となり、引き続き予防が優勢を保っています。
 こうした流れを大づかみに捉えなおすなら、1817~30年のあいだに、主流が現状打破から予防へと変化した点が注目されます。そして、19世紀前半に優勢となった予防の意味合いが、その後もずっと受け継がれるなかで、先述のように童謡「てるてる坊主」が誕生しました。もとより、19世紀前半から予防が優勢となったのちも、さらには、20世紀前半に「てるてる坊主」が広まったのちも、現状打破のてるてる坊主は絶えることなく散見されます。

 続いて、祈願の内容について、止雨と祈晴に区別して年代ごとの流れを整理してみましょう。
 近世(江戸時代)の場合、1817年以前には止雨4点、祈晴5点と拮抗しています。その後の1829年以降になると、止雨が1点のみなのに対し、祈晴は5点とはっきり優勢です。しかし、続く近代の場合、童謡発表まで(明治・大正期。童謡自体は除く)は止雨4点、祈晴3点と再び拮抗します。そうしたなかで発表された童謡においては「あした天気に」と唄われ、てるてる坊主に祈晴の意味合いが込められています。そして、童謡発表後(昭和前期)は止雨2点に対して祈晴は9点を数え、祈晴がはっきり優勢です。
 こうした流れを大づかみに捉えると、≪止雨と祈晴が拮抗している時期≫と≪祈晴がはっきり優勢の時期≫とが繰り返されていることが分かります。19世紀序盤(1817年)までは拮抗、19世紀中盤(1829年~59年)は祈晴が優勢、19世紀終盤から20世紀序盤(1819年~1919年)のあいだは再び拮抗、それ以降は再び祈晴が優勢という流れです。
 童謡「てるてる坊主」が誕生したのは20世紀序盤、止雨と祈晴による再度の拮抗を経た時期です。それから今日に至るまで、祈晴の圧倒的優勢がずっと続いているのは、「あした天気に」と唄う童謡「てるてる坊主」の広まりが要因と考えてまちがいないでしょう。
 もとより、繰り返し見られた祈晴が優勢の時期においても、あるいは、20世紀前半に童謡「てるてる坊主」が広まったのちも、止雨を願うてるてる坊主はしばしば見られます。加えて、先ほどは祈晴のなかにひと括りにしてしまいましたが、日照を願うてるてる坊主も散見されます(⑪㉝)。

おわりに

 かつて、てるてる坊主への祈願内容の変遷について検討したことがあります。「照る」ことに由来する「てるてる坊主」という呼び名から察するに、てるてる坊主に元々期待されていたのは、わらべうたに唄われていたような≪現在の日照≫だったのではないでしょうか。
 目の前で日が陰っている現状を打破するために、てるてる坊主を作って日照を願う。もとより、日が照るためには雲のない晴天が求められるので、いつしか天気をコントロールする役割もてるてる坊主に期待されるようになる。そうして、降り続く雨がいま止むように、あるいは前もって「あした天気に」といった具合にわがままな願いが追加されてきたのではないか。そのように推測しました。

 すなわち、第1段階の≪現在の日照≫から始まって第2段階の≪現在の天気のコントロール≫へ、さらには第3段階の≪将来の天気のコントロール≫へと、主流となる祈願内容の変遷が推測されます。このような、てるてる坊主の呼び名やわらべうたの歌詞をもとに推測した変遷に、本稿で整理した文献資料や絵画資料に見られる傾向を重ね合わせることによって、たいへん大まかにではあれ、具体的な時間軸に当てはめることができそうです(下記の★表8参照)。
 ≪現在の日照≫(第1段階)に代わる≪現在の天気のコントロール≫(第2段階)に相当するのが、現状打破の止雨や祈晴であり、主流であったのは近世(江戸時代)半ば過ぎのこと。続く≪将来の天気のコントロール≫(第3段階)に相当するのが、予防のための止雨・祈晴であり、主流であったのは近世終盤から近代(明治・大正・昭和前期)にかけてです。

画像8

 最後に、こうした流れのなかで注目したいのが、≪現在の天気のコントロール≫(第2段階)から≪将来の天気のコントロール≫(第3段階)への変化です。具体的には、現状打破の止雨・祈晴に代わって、予防のための祈晴が優勢となったのは、先述のように1830年ごろのことです。この当時は、実はてるてる坊主の呼び名をめぐって大きな動きが見られた時期でもあります。
 西日本では一時期、てるてる坊主はもっぱら「日和坊主」あるいはそれに似た「日和坊さん」「日和坊」などと呼ばれていました。これらの呼び名には、「日和」すなわち好天へのこだわりが感じられます。
 この日和坊主あるいはそれに似た呼び名が文献資料に姿をあらわし始めるのは、私の管見の限りでは1830年代のことです。それは、てるてる坊主への祈願内容として、先述のように、現状打破の止雨・祈晴に代わって、予防のための祈晴がはっきり優勢となった時期と重なります。つまり、1830年ごろはそれ以前と比べて、てるてる坊主に好天すなわち日和への期待が高まった時期と言えそうです。

参考文献

【全体に関わるもの】(編著者名等の五十音順)
・浅原鏡村〔作詞〕中山晋平〔作曲〕 「てるてる坊主の歌」(『少女の友』14巻6号、実業之日本社、1921年)
・北原白秋〔編〕 『日本伝承童謡集成』第2巻 天体気象・動植物唄篇、三省堂、1974年(初版は国民図書刊行会、1949年)
・福田アジオほか〔編〕 『日本民俗大辞典』下、吉川弘文館、2000年

【表1に関わるもの】(丸数字は表のなかの№に対応。発行年のあとの括弧内は掲載箇所の詳細。二重括弧内は原典にあたることができなかったための参照元。以下同じ。)
①榊原玄輔『榊巷談苑』 ≪太田南畝〔編〕『三十輻』第1、国書刊行会、1917年(巻之2)≫
➁川柳〔評〕『万句合』、1758年、(満) ≪石川一郎〔編〕『江戸文学俗信辞典』、東京堂出版、1989年≫
➂如露〔評〕『風丈・如露評万句合』、1762年 ≪鈴木勝忠『未刊雑俳資料』第43期、1968年、(8「風丈・如露評万句合」)≫
④川柳〔評〕『万句合』、1774年、(桜1枚目) ≪石川一郎〔編〕『江戸文学俗信辞典』、東京堂出版、1989年≫
⑤鳥山石燕〔画〕『続百鬼』、1779年、(中之巻、晦)
⑥菅江真澄『蝦夷喧辞弁』、1789年 ≪菅江真澄『真澄遊覽記』第34冊(巻16)≫
⑦呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、石井佐太郎ほか、1808年、(41篇12丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑧小山田与清『松屋筆記』、(巻94)
⑨中山美石「諸国風俗問状 三河国吉田領答書」、1817年 ≪竹内利美ほか〔編〕『日本庶民生活史料集成』第9巻 風俗、三一書房、1969年、(「諸国風俗問状答」)≫
⑩高田与清『擁書漫筆』巻第4、伊勢屋忠右衛門ほか、1817年
⑪奥山四娟〔著〕円洲〔画〕『浮世名所図会』上巻、1829年(「てる〳〵法師雩の霊場」) ≪博文館編輯局〔校訂〕『滑稽名作集』下 5版(帝国文庫25、26編)、博文館、1909年≫
⑫呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、石井佐太郎ほか、1830年、(111篇24丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑬呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、石井佐太郎ほか、1830年、(111篇26丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑭野之口隆正・ 西田直養・ 岡部東平 『嚶々筆話』第2集、1842年(森田春郷「雑説」)
⑮万亭応賀〔著〕静斎英一〔画〕『幼稚遊昔雛形』下巻、吉田屋文三郎、1844年 ≪尾原昭夫『日本わらべ歌全集』27 近世童謡童遊集、柳原書店、1991年≫
⑯歌川国芳「てる〳〵法主おひよりおどり」 ≪国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1301653≫
⑰歌川国芳『時世粧菊揃』(「かみ人形」) ≪国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1309277?tocOpened=1≫
⑱田中楽美『大阪繁昌詩』巻之中、紀律堂、1859年

【表3に関わるもの】
⑲『現代日本文学全集』第84(明治小説集)、筑摩書房、1957年(巌谷小波「妹背貝」)
⑳稲垣達郎ほか〔編〕『斎藤緑雨全集』巻7、筑摩書房、1991年(「門三味線」)
㉑『風俗画報』346号、東陽堂、1906年
㉒『実業之日本』10巻20号、実業之日本社、1907年(「坪井正五郎樺太にテリ〳〵坊主を遺す」)
㉓巌谷小波『お伽歌劇』(小波お伽文庫2)、博文堂、1912年
㉔小峰大羽『東京語辞典』、新潮社、1917年
㉕『小学男生』1巻2号、実業之日本社、1919年
㉖『少女の友』14巻6号、実業之日本社、1921年(浅原鏡村・中山晋平「てるてる坊主の歌」)

【表5に関わるもの】
㉗『金の星』9巻8号、金の星社、1927年(西川喜平(作)水島爾保布(画)「てり〳〵坊」)
㉘大槻文彦・大槻清彦『新編大言海』、冨山房、1982年(初版は1932-37年)
㉙海後宗臣〔編〕『日本教科書大系』近代編第7巻 国語(4)、講談社、1963年
㉚日本玩具研究会〔編〕『キンダーブック 観察絵本』8輯3編、日本保育館、1935年
㉛『大辞典』(覆刻版)第18巻、平凡社、1994年(初版は1936年)
㉜『岩波講座国語教育 小学国語読本綜合研究』巻2第1冊、岩波書店、1936年(玉井幸助「解釈」)
㉝日本玩具研究会〔編〕『キンダーブック 観察絵本』9輯12編、日本保育館、1937年(「テルテルバウズ」)
㉞『漫画と冒険物語』、大日本雄弁会講談社、1939年(井上一雄「テルテル坊主ノオ使ヒ」)
㉟『幼年倶楽部』16巻6号、大日本雄弁会講談社、1941年(太田黒克彦「テルテルバウズ」)
㊱円地文子『南支の女』、古明地書店、1943年(「てるてる坊主」)
㊲武野藤介『妻と子供たち』、新元社、1944年


#SDGsへの向き合い方


この記事が参加している募集

#雨の日をたのしく

17,049件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?