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1週間で4万使ってた

なんつーアホだ。
だってこれまで貧困で買いたいものなんて買えなかった、とはいえ
買えたとしても親の了承する範囲内だった、とはいえ

そんな 言い訳 考えられる理由の列挙をしている場合じゃない。
考えられる限りの原因を考える。正直参考にしていただけることはない。同情するなら金をくれ。10万くらい。

前提として僕は6歳の頃に父の事業が傾いて以降、ずっと貧困世帯の構成員として生きている。とはいえ、飢えや渇きや寒さに苦しんだ記憶はない。
いつでも僕を苦しめるのは精神的なものだった。その1つがADHDだ。衝動性優位だが注意力も十分に散漫。小中通して提出物をまともに出せた記憶はない。毎朝あれがないこれがないと泣き喚き、母親にブチギレられて泣く泣く学校に行く、というのが日常だった。
高校は2年の春に中退して、大学に受かるまでの16,17,18歳は家で勉強するばかり、カラオケ以外の遊びなど知らない人生だった。

これが前提
散財・浪費癖の原因としてはこの宅浪、貧困とADHDの症状が主たるものになるだろう。という仮説を元に考える。
振り返ってみると、僕は将来に向けて貯金したという覚えがとんとない。小・中・高通して定期的な収入はお年玉だけで、足りなくなったら父親に"申請"する。必要と認められれば買ってもらう。

いくら入っているか不透明な(父の)財布から金を抜き出す感覚だった。だから自分が一定期間のうちいくら使ったかなんて、桁すら分からない。欲しいものだってそりゃたくさんあった。Wii、DS、漫画、イヤホン、学校帰りのファミチキ……でも買うことはなかった。父親の許可が下りないから。まあそんな感じで僕の口座に1万円以上入っても年始のふた月をまたがなかったし、財布に2千円以上入っていることなんてなかった。本当に。

高校を中退してライフステージが変わった。
正確には受験勉強を始めることで金額の大きい買い物が増える。
最高でも3000円の参考書やハードカバーの域を出ない。しかしそれは日常になった。宅浪、というか宅勉の時期(3年)はほぼ毎日図書館に通っていた。水は家から持っていって、お昼はコンビニで買う。バカだなと当時も今も思う。でも朝バタバタしている母におにぎりを頼んだり、前日に明日のお弁当を自分で作っておくなんて、そんな余裕受験生にはない。後ろめたいけどお金はねだれば出てくるし、時間節約になるから。そもそも受験生じゃなかったとしても、明日のための準備なんてできない。だってADHDだぜ?そんな生活力あったらこんなバカな記事書いてねえよ……。

しかし大学に入って状況が変わった。それまで"たまの遊び、お金使っちゃお!"という意識だったが、受験が終わってからは毎日毎週のように遊ぶ遊ぶ。たまの外出だし!でカラオケ行くし、たまのデートだし!で奢っちゃうし、たまのイベントだし!でライブチケット買っちゃう。今だって電車内でこれを書いているが、お腹が空いたのでかつやを食べたくて仕方がない。

いやしかし、あまりにも。愚や、愚や、汝をいかんせん。それでもなお、この理性をもって欲望を制する。エピクロスを思い出せ、曰く、「われにパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる」。でも同じ口でこうも言っているな。「飢えないこと、渇かないこと、寒くないこと、これが肉体の要求である。これらを所有したいと望んで所有するに至れば、その人は、ゼウスとさえ競いうるであろう」。
ってバカ、これは飢えの解決ではなく浪費だ。ストア派曰く賢く有徳な人物は強い欲求を持っても衝動的に行動することはない。それが答えだ。俺はいま、2つの教説を目の前に愚者と賢者の岐路に立っているのだ。どうして欲望に流されようか。

うふぅ……100円割引券ももらったしまた行こう。この刹那的かつ享楽的快楽に勝つものなどないのではないか。ヘレニズム期にかつやがあれば、コワモテの2人もきっと同じ見解に至ったに違いない。ほなまた。

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