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自分で自分を抱きしめることができるようになった日―双極性障害・躁うつ病と呼ばれる病


わたしには、急激にエネルギーが沸き起こり、行動や考えることを止められなくなったり、言葉を止められなくなるときがある。その逆で、とにかくエネルギーが沸かず、行動や考えがまったくまとまらず、言葉がひとつもでてこないようなことがある。

社会人になってから、こういう自分の性質を自覚し始めた。

社会人一年目には、ほとんど0に等しかった売上を3ヶ月で100%にするために、毎日えづきながら馬車馬のように働き、それとひきかえに成果と、提案力を身に着けた。

社会人二年目には、貯金0円にも関わらず、東京への就職を決め、異常なスピードで会社を退職、部屋を退去し、東京にやってきた。

社会人三年目には、また大した貯金もないのに、会社の近くのシェアハウスから浅草へと、ものすごい稼働負荷の状況の中で、引っ越しをした。あと、すごく仲の良い人にしかしゃべっていないが、とても大きな買い物をした。

なぜか、こういうエネルギーがありあまっているのはちょうど年明けかから年度末にかけてで、ここ3ヶ月も例外ではなかった。

自分のブレーキのかけ方がわからなくなった

仕事の事情で高負荷な状況が続いているわたしのエネルギーは、爆発するほどにありあまり、なにもかもをとめられなくなってきていた。

実はわたしはこのエネルギーがありあまっている状況というのが嫌いではない。とにかく行動力はありえないくらいに爆発的に増えるし、アイディアや思考力も抜群によくなる。そんなフル稼働の状態が気持ちがよく、全能感がある。

どんなに過酷な状況でも、わたしは全然大丈夫、わたしは全然大丈夫だと思いつつづけていたが、あれ、どうもおかしい。

頭がずっとじんじんする。就業時間中だけど、定時がやってくるまで体力が持たない。仕事がおわるとこと切れるように動かなくなる。ごはんもなんだか食べる気にならない。お風呂も今日入るのはちょっとむずかしい。できることはスマートフォンの文字を追うだけ。スマートフォンを見ることも、だんだん目が痛くなるけど、なにかを追い続けること、考えること、思ったことを吐き出すことをとめられない。

自分を運転する方法や、ブレーキのかけかたがわからなくなっていた。

気づけは部屋の玄関には2ヶ月間だされないままのゴミが積み上がり、洗濯物も山のように膨れ上がり、着るものがないので毎日部屋のあちこちから比較的着れそうなものを探した。通販で購入した、好きなアーティストのライブグッズや、毎月買っている雑誌や、本・マンガもそのなかに埋もれるように散乱していた。

毎日布団もなおす余裕がなくて、表・裏とか、上・下とか、左・右みたいなものがめちゃくちゃのまま、まるでどうぶつのように包まって眠りについた。といっても、たいていは自分がそうしようとする前に、眠ってしまっていたので、部屋の電気はつけっぱなしで、夜中にあれと目が覚めるか、夜明けにその眩しさに目をくらませていた。

「あなたなら/わたしなら大丈夫」という思い込み

ああ、なんだかこれは大変なことになっているぞ……。

連日平日も休日も朝も夜もなく働きつづけ、ついに労働時間が過労死基準とも言われるほどになってしまった2月よりも、今はましだ、全然問題ないと思っていたけれど、夜中に働くなくなったものの、相変わらず早朝に起き続けて、始業開始前に半人日すでに働いていることも少なくはなかったし、どれだけ上手にさばいても、さばいても、タスクはなくならなかった。

ついに、高負荷な案件のためにすえおいていた別の案件も、進めないわけにはいかずに、いつかの2月のときのそれの2倍の稼働量が予想される予定をわたしはゴールデンウォークを返上して、夜通し作っていた。

上長とも、あまりにひとりではどうしようもない状況なので、タスクの分配などを相談し、いまあるタスク、いま明文化されてないタスク、わたしがやったほうがいいもの、わたしがやらないほうがいいものを整理して、分配したものの、

「よくよく考えると、これまでタスクの数にも数えてなかった仕事を振っただけなので現実問題としてわたしの負荷は変わってないですね」

という言葉が、わたしの口をついて出てきた。

目の前に10個くらいのダンボールを抱えた人がいて、わたしに手伝えることはありませんかという人に、じゃああっちのほうにまだ運んでないダンボールがあるからそれを持っていってもらったような状況。

あまりにも現実主義的で冷酷にものごとをみるようなセリフに、自分でもゾッとした。でもそれがどうしようもなく真実で、どうやらわたしは仕事がうまくなっていただけで、現実問題としてはなにも変わらず、そしてより状況は悪くなっていた。

「あなたなら/わたしなら大丈夫」という思い込みは、わたしという人間を崖っぷちに追い詰めつづけていた。もうわたしにはわたしを自力で守ることはできない。

「あなたは今日ここに来て、受診してよかったと思います」

ついにわたしは、心療内科を受診することにした。第三者に利害や事情にまったく忖度せずに、禁則事項や限界を定めてもらう必要がある。

ビニールシートで分断された診察室で、わたしは医師に、自分の性質やこれまでのこと、今現在のこと、どういうふうに困っているか、これからどのようにしていきたいのか、心を壊しているというにはあまりにも筋道だった説明で、極めて論理的に、的確に話をした、つもりだ。混乱しているはずの自分の状況をあまりにもスラスラと話せる自分が可笑しく恐ろしく怖かった。

そして医師も同じように、冷静に淡々と、それがどのような症状がある病気なのか、なぜ治療する必要があるのか、そして治療するにはどうすればいいかを説明した。事実に基づき、客観的で、論理的な説明は、いまのわたしには一番納得がいくものだった。

わたしは問診票には「診断書はできれば欲しいが、必要性は診断次第で判断したい」と遠慮がちに書き、判断を相手に委任していたにもかかわらず、有無をいわさずに「診断書を出します」と言われたときに、「ああ、そうなのか」と、ただ、そう思った。

「あなたは今日ここに来て、受診してよかったと思います」

冷静でやさしい医師にそう言われたときに、自分で自分を大切にできていなかった自分に気が付き、そして、はじめて自分にやさしくできた自分を肯定されたきがして、わたしはハラリハラリと少しだけ涙を流した。
そして、流した涙は顔を覆うマスクの後ろにすぐに消えた。

病院から帰宅したあとは、しばらくベランダで毛布をかぶりながらうずくまり、わたしのことをとても心配してくれていた友人に「病院に行ってきたよー診断書をもらったよー」とすこし報告をして、ささやかな風とやわらかな毛布の安心感にくるまれて少し眠った。

もうわたしは、わたしを傷つけなくてもいい。

自分で自分を抱きしめることができるんだ。

自分で自分を抱きしめるということ

夜には、好物のおすしを食べて、家に帰ってからは、少しだけ部屋を片付けて、友だちのラジオを聞いて、精神の興奮を抑える薬と、睡眠薬をのんでねむった。お風呂には入れなかった。

翌日、朝起きて、お風呂に入った。すこし高めのあたらしい入浴剤を使った。天気がよかったので、コーヒーを入れて、久しぶりにベランダに出て、ストレッチをした。まるで夏のような日差しが眩しく、肌をチリチリと焼いたが、いまはその陽ざしの熱を感じていたかった。

始業時間になると、人事に診断書を写真を送った。すぐにテレビ会議で面談をした。わたし自身は、今は元気だという前置きをそえて、これまでの状況や心療内科を受診した経緯、今後どうしていきたいかということを伝えた。

そして上司や、さらに上役のひとたちにもそれが伝えられた。

これに関係なく定例で予定されていた1on1ミーティングの時間になった。わたしの上司にも同じように、今度は人事に話した時よりも少しだけ詳しく、

医師から教えてもらった、その病気がどういう病気なのか、なぜ治療しないといけないのか、そして治療するにはどうすればいいのか。

医師は診断書には「通院し、治療が必要な状況です」と書くので、実際にどうするかは上司や現場の方と話し合いながら決めてくださいと言われていた。なので、わたしとしてはどうしたいのかを伝えて、どうすればそれが実現しそうなのか、どういうところで障壁がありそうなのか、ひとつひとつの仕事をともに紐といていった。

そして、わたしには、もうひとつどうしても伝えたいことがあった。

わたしが病気になってしまったことはきっと驚かせてしまうと思ったけど、もし、あなたがとりかえしのつかないことをしてしまったとか、管理不足のために人を病気にさせてしまったとか、必要以上に自分を責めたり、責任感を感じているかもしれないけれど、そう思ってはほしくない。

わたしのこの病気は、おそらく何年も前から自分の中に住まわっていたものだし、いままでは目をそらしててもやってこれたけど、それがここ数ヶ月の仕事の中で、たまたま顕在化する機会をえて、向き合うタイミングがやってきただけだと思っている。

わたしは決して、今の仕事をすべて手放して休みたいわけではなく、仕事を続けたい、やりとげたいから心療内科に行った。なにもかもを捨てなくても、やっていける方法があるからそれを一緒に考えたい。

わたしはこのことにずっと悩んできてもいたから、これをすばらしい機会だと考えている。

わたしは今、すごく前向きで、うれしい気持ちなんだ。

話しているとき、わたしは泣いていたし、実際にはこんなに上手には伝えられていたかったけど、これがわたしの気持ちだ。

どうしてもわたしはあなたちと一緒に働きつづけ、やりとげたいから、どうか協力してほしい。

これは遠慮や気遣いではない。自分のことを常に真剣に想い続けている、周りの人への信頼と、最大限の感謝の気持ちだ。

自分で自分のことを抱きしめられるようになったわたしは、いつのまにか他人を抱きしめられるようになっていた。

取り乱して、怒り、恨み、嘆くこともなく、
ただ淡々と、今の自分の状況と今後の希望と思いを伝え、
そして同時に動揺する相手を思いやることができた。

いままでの自分では考えられないようなあたたかくやさしく愛にあふれた言葉を言えた自分を、とにかく褒めてあげたくて、わたしはこのnoteを書きました。



よくがんばったね、おつかれさま、また明日からはじめよう。



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