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ドイツのミーティングに参加 その2

トラブル続発、パスポート落としちゃった

ドイツのクラブの会長とは数年ぶりにケルン駅で再会。彼の車でアウトバーンも使い、彼の自宅に向かいます。季節は夏で、アウトバーンでも日本のお盆休みのように大渋滞していました。
「ドイツでこんな渋滞は見たことがない。日本だけじゃないんだな」と思いました。彼の自宅はライン川のローレライから山を上がって行ったところ。
登って行く途中に旅行の本にも載っている古い教会があり、一度だけ車から降りて観た覚えがあります。彼の家のある住宅地に入るのに、どこを曲がるのか覚えていました。
その曲がり角に差しかかったので「Turn the left!」と言うと、「You are memory」。つまり「覚えていたね」と褒められました。
ローレライは今は観光地ですが、第二次世界大戦で連合軍との激しい攻防戦があった所です。「レマゲン鉄橋」という橋をめぐる激戦地をテーマにした映画にもなりました。
出張でのテスト走行の休暇でローレライ周辺にドライブし、川沿いのレストランでワインを飲んだのを思い出しました。世界的に有名な観光地ですが、彼は「何でこんな川を見に来るんだろう?」と言いました。正直、ライン川は何か国も流れる長い川。各国の排水が流れており地質もあるので、どんよりとしたオリーブ色です。
日本の川の多くは距離が短かく岩や地質も違う、それで清流が多いのです。
写真で見て分かる取り、夏だからジーンズに薄いジャケットという服装で行きました。オートバイに乗る想定の服は持っていません。
当時のポジが見つからず会報をスキャンしたので、白黒画像となります。

背の高いゲルマン人が撮るとバランスが変ですね

それで、簡単な荷物は盗難防止で肩掛けバッグ、大切なパスポートはジャケットの胸ポケットに入れて肌身離さず持っていました。パリに滞在していましたから、日本とは違う治安の注意点は従兄弟やその友人から聞かされていました。日本の感覚でいると、すぐに盗まれてしまうのです。
会長の自宅に着き、奥さんとも久しぶりに再会しました。子供達はスクールキャンプで不在との事。
一休みして、出発のための整備に入ります。何しろ片道450km程ありますから、いろいろとやりました。
そうしたら、ハッと気づいた。「あれ、内ポケットに入れておいたパスポートがない…」。
確かに左の内ポケットに入れて、ポケットはボタンを締めていた筈…。でも、ありません。
いくら捜してもパスポートは見つからず…。仕方なく会長に「パスポートがない。落としたみたいだ」と打ち明けました。何度か一緒に確認してもやはりありませんでした。
暑いのでジャケットは腕にかけて持ち歩いていたから、スルッと落としたようです
すぐに彼が警察や準備のために立ち寄った数件の店等に電話してくれました。本当はクラブの仲間と一緒に行くつもりだったのがキャンセルとなり、パスポートの再発行について日本領事館に電話しました。
日本領事館が首都のボン(当時)にあり、とりあえず再発行の手続きだけしてから、ブレーメンに向かう事になりました。彼から借りたオートバイに乗り、2台で領事館を目指します。途中で証明写真も撮りました。
幸い領事館はすごく遠くはなく、領事館に到着すると二人で館内に入りました。
そこには数人の日本人がいて、普通はトラブルがなければ領事館には行きませんから、私のように緊急で来ているのでしょう。
そこにヘルメットを持って、ドイツ人と来たのですから「何?この人」と皆さん驚いた様子。
窓口の女性が「何のご用ですか?」、「パスポートを落としたので、再発行の手続きに来ました。警察には彼が連絡してくれています」。すると、その女性が私がヘルメットを持っているのを見て、「まさか、オートバイに乗って来た訳ではないでしょうね!?」と言われました。
ズバリ、その通りでしたが、咄嗟に「いえ、違います。彼の後ろに乗せてもらって来ました」と嘘をつきました。
私が海外に行く時には、必ずパスポートのコピーを取って、それが入っているのとは別の所に保管しています。会社からそうするように指導されていました。コピーがあるのでスムーズに事は進み、書類を書いて写真も貼って申請手続きは終了。すぐには再発行されないので、国際免許証はあるもののパスポートは無所持のまま、2台でブレーメンを目指します。
アウトバーンを走っていると、同じ道を通るメンバーが自然と集まります。アウトバーンを数台でつるんで走る。なかなかこのような体験は出来ないと思います。それも私以外はドイツ人。すごく元気がいい人がいて、ウイリーする人も…。給油時のガソリン代は殆ど会長が出してくれ、「自分の分は自分で支払いたい」といっても、払ってくれちゃうのです。そんな感じでキャンプ地に着きました。
そのキャンプの場所は、ヨーロッパらしく広くて平らな草原。そこの数百台のオートバイが停まっています。

ヨーロッパらしくホテルではなく、テントを張ります

日本のようにいろいろと設備が整ったキャンプ場といったものではなく、ただの草原。ジャンプ台があったので、モトクロスのコースとして使われてもいるのでしょう。
写真左奥にあるのがレストランで、そこで飲食が出来ます。
日本車のクラブだから、ほとんどが日本のオートバイ。中には珍しいスズキのGT750とか、EGRI(日本ではエグリと言うが、むこう読みはイグリ)のカワサキのH2なんていう珍しいのも来ていました。

当時の会報に掲載した見取り図を書き直しました

そんな感じで、とりあえず着いたのでホッとして休んでいると、「オランダのクラブが来ているよ」と教えてくれたのです。「それじゃぁ、ご挨拶しない訳にはいくまい」と訪ねました。
生産国の姉妹クラブが来れば、それは歓迎されます。日本のメーカーの部品供給とか、アニメの話とかいろいろと話しました。

持参したオートバイの部品を自慢するオランダの姉妹クラブのメンバー

実はこの時、当時乗っていたオートバイの問題点を解決する部品を彼(右側)から数セット買いました。
日本に持ち帰り、その部品を見習って私たちのクラブで似たようなものを探して使い始め、更にそれを真似した人がいて日本中にかなり広まりました。
それから長い月日が経ち、その部品を使っている人に「ドイツのミーティングで初めて日本に輸入して、それから広まったんですよ」と話したら、「えっ、起源は○○さん(私)だったんですか!」とすごく驚かれていました。
どういう訳か、「これはいいぞ!」というものに巡り合う機会が多いのです。それは自分で動き、自分の頭で考えるからではないかと思います。
テストドライバーの経験から、起きている事象を分析して、どのような理由(原因)でそうなったのか(結果)を評価する事が出来る。そうすると、おのずと解決策が頭に下りて来る事がよくあります。
そのような、色々と努力もして、経験を活かし改善もして販売しているのがマジ軽ナットです。電源不要で除電して物の動きを良くする特許は、トヨタ自動車より先に取得しています。

ホイルスピンの煙で見えなくなるZ1

度肝を抜くミーティングは続きます。

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