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神戸市中央区「大日商店街」「大日六商店街」アーケードの一部が解体された商店街を歩く

 兵庫県神戸市中央区、阪急電鉄春日野道駅の北東に「大日商店街」がございます。東西に300メートルほどのアーケードが伸びている商店街です。
 2024年3月24日、ちょっとマニアックな神戸観光をしたいという友人を大日商店街へ案内することにしました。西側の6丁目からアーケードに入り、5丁目へ向かっていますと……

 ……?
 工事が行われている?

 アーケードが解体されています!
 この道もアーケードが建っていたのですよ。本当です。

 えー……。
 わりと解体が進んでいますので、何ヶ月も前から工事が行われていたということですよね。

 失意に打ちひしがれていますと道端に見慣れない物が立っていることに気が付きました
 アーケードの支柱ですね。スパッと切られています。

 手を伸ばして支柱の内側を撮影してみました。新品の頃はどんな色だったんでしょうねぇ。
 というか空洞なんや……。厚みも思ったほどないのですね。支柱はこの1本だけではないとはいえ、これでアーケードを支えられていたんだなぁ。意外です。

 さて、アーケードが解体されたショックをバネに、大日商店街について色々と書き残してみたいと思います。

※ この記事は有料の設定にしていますが、最後まで無料で読めます。読み終えて役に立った、面白かったと思われましたら投げ銭として購入の手続きを行って下されば幸いです。


大日商店街とは

大日商店街の場所

 まずは大日商店街の場所についてもう少し詳しく説明しましょう。
 ざっくりとした地図を作りました。

 大日通と割塚通は神戸市中央区の町名です。2つの町に挟まれた道にアーケードが建っています。
 お店そのものは建物の中ですので厳格に言いますと

 大日通と割塚通の間のアーケードに面したお店が「大日商店街」を構成しているわけです。

 さらに言いますと、大日通と割塚通は東から1丁目2丁目……西は7丁目まで続いています。4丁目から6丁目にアーケードが建っていまして、今回解体されましたのは4丁目と5丁目のアーケードです。6丁目のアーケードは残っています。

大日商店街の歴史

 大日商店街は4丁目から6丁目だけだったのでしょうか? 大日商店街の歴史を紐解いてみましょう。

 神戸市内の商店街や名店会が加入する「神戸市商店街連合会」の、昭和46年(1971年)3月31日付で発行された20年史を開いてみますと初手から衝撃的な文言が目に入って来ました。

東西に約800メートル、240軒の商店が並んでいる。

「神戸市商店街連合会20年史」より

 え、800メートル? 長くない?
 Googleマップで調べますと4丁目から6丁目のアーケードが約300メートルとのことです。800メートルとは実に2.6倍以上です。

 もうちょっと読み進めましょう。
 戦前は飲み屋の集まる歓楽街であったものの戦災で「すべてが灰となった」ということです。
 戦後は商店が少しずつ増え始め、昭和24年(1949年)頃に割塚町4丁目と5丁目の有志で「共進会」が結成されました。会員数は60店です。
 昭和32年(1957年)には2丁目と3丁目……これは大日通と割塚通と思われますが、「親和会」を結成、その後

共進会(4丁目)大日共同組合(34年、5丁目)親栄会(34年、6・7丁目)と商店街単位の親睦会が35年に統合、大日・割塚商店街連合会に改組、県に対して共同設備資金借入申請と同時に協同組合を設立した。
(中略)
協同組合が2・3・4丁目を吸収して大日商店街振興組合に組織変更(38年8月)
(後略)

「神戸市商店街連合会20年史」より

 組織の移り変わりがいまいち読み取れないのですが、結論としてこの時点では2丁目から7丁目が「大日商店街振興組合」……と思いましたら同じ20年史の組合員名簿に載っているのは1丁目から5丁目のお店でした。

 10年後の「神戸市商店街連合会30年史」を開きますと載っているのは3丁目から5丁目のお店で、さらに20年後の「神戸市商店街連合会50年史」では4丁目と5丁目だけになっていました。

 昭和63年(1988年)8月の「神戸市小売商業地図」を開きますと4丁目と5丁目が「大日商店街」、6丁目が「大日六商店街」で、他は記載がありませんでした。

 1丁目から7丁目まで商店が並んでいて、商店会や振興組合の統廃合はあったものの、総称して「大日商店街」と呼ばれていたものと思います。
 先の「東西に約800メートル」は1丁目から7丁目までの単純な距離を記していたのでしょう。

大日商店街のアーケード

 アーケードの完成はいつだったのでしょう? 20年史によりますと

昭和36年からアーケード建設に着手、5丁目を皮切りに38年11月(4丁目、同年10月着工)42年12月(3丁目、同年10月着工)と次々に完成
(後略)

「神戸市商店街連合会20年史」より

 6丁目のアーケードについては触れられていません。
 5丁目のアーケードの完成が昭和36年(1961年)であれば、60年以上が経過していたのですね。そして3丁目にもアーケードが建っていたのですね。
 3丁目の話は後で触れるとしまして、阪神・淡路大震災の後の50年史では

平成7年10月にアーケードの応急修復工事を、10年2月に全面改修工事を実施した。

「神戸市商店街連合会50年史」より

 とあります。全面改修工事からでも四半世紀が経過していたのですね。

大日商店街の近年

 2019年3月16日に訪れましたとき1丁目に店名看板の付いた街灯が立っていました。

 ポールを調べますと「大日割塚1丁目共議会」の文字。これが商店会の名前のようですね。

 Googleマップのストリートビューを見ますと2丁目には2017年頃まで「(大日二)親和会」と書かれた店名看板と街灯を確認することが出来ます。先の20年史にも「親和会」の文字がありました。

※ 2016年4月の状態を表示していますが、ストリートビューは過去の状態が非公開になり、最新の状態に置き換えられることがあります。以下も同様です。

 3丁目はストリートビューでかろうじてアーケードの外観を確認することが出来ます。「大三商店会」という看板が掲げられています。

 大三商店会のアーケードは2012年から2013年頃に解体されたようです。

 4丁目5丁目が「大日商店街振興組合」で、6丁目は「大日六商店会」です。

 7丁目については分かりません。南側の割塚通7丁目には「中西市場」がありますが、先の「親栄会」が存続しているのかどうかは……?

2010年3月14日の大日商店街

 さて、大日商店街を歩いてみましょう。

 記憶にある中で私が初めて大日商店街を訪れましたのがこの日でした。

 西の端、6丁目から入ります。

 お昼の12時を過ぎたところです。日曜日だから……か分かりませんが、静かな雰囲気です。

 営業されているお店はあるものの……人通りはまばらです。

 上手な写真でなくて申し訳ないのですが……

 商店街と言えばスピーカーですね。かつては年末年始など春夏秋冬のセールを案内していたのかなぁ。

「匠」「鮮」などと書かれた大きな旗が目を惹きます。今なら1枚ずつ撮影しておくのですけどねー。当時は商店街に惹かれてはいたものの、色々と記録ておこうというマニア気質はまだそれほどありませんでしたので写真は少なめなのですよ……。

「箕面都市開発株式会社」の過去のサイトに「各地のまちづくり」として2004年3月8日に大日六商店街を訪れられたときの記録が残っていたのですが、そのときには既に掲げられていたようです。「夢」「匠」「鮮」「菜」「旬」「味」「楽」「薫」などの文字があったとのことです。

 確かにこの旗のインパクトは結構なもので、この後9年後に訪れるときまで大きな旗が掲げられている商店街というイメージが残り続けていたものでした。

 川柳募集!!

 普段から趣味で詠まれているのだろうなぁという方々から

 子供の可愛いものまで。
 自分の書いたものがこうして掲示されるのは嬉しいことですよね。

 他にも何か掲示されていたようなのですが……どうして撮影しておかなかったのか。

 新聞の切り抜きも。「マニア必見の鉄道博物館」「大六Road Side」と書かれていますが……詳細は分かりませんでした。

 クリスマスの切り絵も展示されていました。この日は3月でしたが、まぁそこはご愛敬です。

 5丁目です。く、暗い……。

 アーケードをよく見ますと蛍光灯が備え付けられてはいます。
 まぁ昼間から点けていたら電気代がいくら掛かるのという話ですし、蛍光灯が切れたらこんな高いところをどう交換するのという話ですものね。

 神戸空港……2006年2月16日に開港しましたけども。この写真の時点でも4年前の話です。

 ところで……

 この横断幕は何でしょう?

だいにち元気合衆国

「だいにち元気合衆国 大日商店街4・5丁目」とは……?
 神戸市商店街連合会のサイトによりますと

震災で全半壊のダメージを受け組合数が半減したが、地域住民のためになる商店街づくりをテーマに歴史と伝統を後世に語り継ぐコミュニティイベントとして「だいにち元気合衆国」を1998年秋に展開。同商店街北側に位置する筒井八幡神社に伝承されていた小学生による胡蝶の舞で無病息災を祈願する「筒井舞」を約30年ぶりに再興した。

神戸市商店街連合会「商店街探訪」より

 とのことでした。イベントを開催して商店街に来て貰おうという話ですね。
 ところで約30年振りに再興された「筒井舞」とは……?

筒井舞

 頭上に大きな看板が見えました。

 この子が筒井舞を踊る人なのね。で、筒井舞って何?

「葺合市場商店街連絡協議会」や「新全国神社検索」というサイトに筒井舞のお話が載っていました。

 かつてこのあたりには森があり澄み切った水が湧き出ていたそうです。人々はそれを「つつの井」と呼び、そこからこの森は「筒井の森」となり、地名が「筒井」となりました。
 鎌倉時代から南北朝時代にかけて……1300年代の前半頃、このあたりに太郎という人がいまして、弓の名手として戦で活躍されていたそうです。筒井の森の湧き水のように清い心を持った太郎さんは後の世にも「筒井太郎」として語り継がれました。
 大日商店街の北北東にあります筒井八幡神社では、筒井太郎のように真っ直ぐな心を持ち、正しいことを貫き、勇気ある人に育って欲しいとの願いから子供の舞楽として「筒井舞」を舞っていたとのことです。

 要約するとこのようなお話です。

看板を眺める

「新鮮果物 三木青果店」。ザ・昭和の商店の看板という趣きですね。
 神戸市内の電話番号は078-xxx-xxxxという、078の後ろが3桁4桁というものですが、看板を見ますと桁数が少ないですね。神戸市内で電話番号が2桁4桁だった時代は、はっきり調べられなかったのですがどうも1971年頃までのことだったようです。また、1960年代に入った頃は1桁4桁が一般的だったようですので、1960年代の半ばか後半の看板ということなのでしょうかね。電話番号だけ書き換えたものでなければですが……。

「リサィクル ショップ ヌートリ」。「ィ」が気になりますね……。どのようなお店だったのかは分かりませんでした。

「人日カメラ」……ではなく「大日カメラ」です。この場所について古い住宅地図を調べましたところ、昭和33年(1958年)は「和田履物」で、昭和39年(1964年)には「大日カメラ」になっていました。

 うっすらと文字が見えます……「五月食堂」ですね。
 昭和42年(1967年)の住宅地図では「五月館」と読めるのですが、翌年の住宅地図では「五月食堂」となっています。昭和39年(1964年)は記載がありませんでした。旅館としてスタートして食堂に業態変更したというところなのでしょうかね。あくまで想像ですけども。

「錆びるので犬・ねこの小便厳禁」。あちこちの商店街を歩いているとたまに見掛けますね。これは大げさな話ではなく、街灯や信号機が倒れる事例があちらこちらにあるようです。
 ところで、犬はまだしも猫は言うこと聞く……?

 というわけで2010年の写真はここまでです。

2019年3月16日の大日商店街

 あれから9年!
 再び大日商店街へやって来ました。

 9年前と同じく6丁目から入ります。

 あれ!
 大きな旗が撤去されていますね。ストリートビューを見ますと2015年頃までは掲げられていたようです。

 静かな雰囲気は相変わらずです。9年前よりお店が少なくなった……のかはよく分かりません。言うて9年前ですし、そのときの写真も少ないですし。

 平成24年(2012年)の「兵庫県商店街・小売市場団体名簿」にお店の数が記されていました。大日割塚1丁目協議会 7店、大三商店会 12店、大日商店街振興組合 17店、大日六商店会 13店とのことです。1丁目について先のポールには「共」議会と書かれていましたが……まぁ表記の揺れはご愛敬です。そして2丁目は?

 商店街の柱の造花を挿すところ……と、何故か袋を被せられたスピーカー。新品のリモコンを袋から出さずに使うみたいなことなんでしょうかね。いやいやまさか……。

イベントのお知らせ

 と、ここで商店街の方に声を掛けられました。怪しい中年男がスピーカーの写真など撮影していましたらそりゃそうなりますよね。声掛けも防犯の基本です。
 というわけではなかったと思いたいのですが、商店街でイベントを行うというお話を伺いました。

「ワケアリ大作戦」これですね。あくまで6丁目、大日六商店街のイベントのようです。
 開催日は……3月23日って、今日が3月16日ですから来週ではないですか。
「ワケアリ商店街のワケアリ大作戦!」「言うに言われぬ事情があってシャッター率高めの商店街に、ひとつふたつワケアリな秘密を抱えた出店が集います」何それ気になる……。これは来週も大日六商店街へ来なきゃね。

 ちなみにこの記事を書くにあたり写真を見直していて気が付いたのですが

 声を掛けられるだいぶ前からわりとがっつり見られていました。
 この方は大日六商店会の会長さんだったのでした。

乗船券発売所があった

「沖縄・奄美大島・各島 乗船券発売所 A 大島運輸(株) 割塚案内所」何ぞこれは……。

 Wikipediaによりますと、大島運輸は鹿児島県の海運会社で、2005年7月に社名を「マルエーフェリー株式会社」に改称されています。
 公式サイトによりますと昭和47年(1972年)4月に「神戸~奄美各島間に旅客定期路開設と併せ神戸事業所を開設」とあります。それがこの「割塚案内所」だったのでしょうかね。

 この頃、海のそばには製鉄や造船、ゴム製造の工場があり、沖縄や奄美大島の人たちが出稼ぎに来られていたそうです。令和の現在でもその人たちや2世、3世の人たちが神戸市には多く住まれているようで、住まれている方が集まる「神戸奄美会」という会もあるそうです。
 神戸市商店街連合会のサイトにも

1900年代、約1km南側の製鉄・ゴム製造など大企業群の出現により人口が急増し、恵まれた環境と立地条件に育まれ1963年に発足。料亭や映画館・病院などの施設も充実し、最盛期には約70店舗が軒を連ね、前途の工場等で働く工員らの台所として栄えた。

神戸市商店街連合会「商店街探訪」より

 とありました。「1963年に発足」とは大日商店街振興組合のことです。
 この頃は多くの人で賑わっていたのでしょうね……と思いましたら実際その通りのようで、Wikipediaによりますと大日通の世帯数と人口は

大日通の人口

 また、割塚通は

割塚通の人口

 とありました。この2つの町だけで6千人以上が住まわれていた時代もあったのです。
 近年、この2つの町に限って言えば明らかに人口は減っているのですね。人口の減少と比べて世帯数の減少が緩やかなのは時代の流れか……。

 なお、この神戸と沖縄を結ぶ旅客船は2017年10月7日の運行を最後に休止されています。

看板に謎の印

「味噌・漬物・食料品 神野漬物店」。これまた歴史を感じる看板ですね。
 写真を見ていて気が付いたのですが……

 ここ!

 何でしょう……?

 向きを変えてみます……「雁印」?
 調べてみますと大同鋼板という会社のブランドのようです。言われてみれば雁印の下に「DAIDO」と書かれているように見えますね。

 進みます。

アーケードは誰が利用しているのか

 これまた写真を見ていて気が付いたのですが

 蛍光灯が点いています。ちょっと感動……。

 5丁目が見えて来ました。く、暗い……。

 6丁目を振り返ります。意識して見ますと蛍光灯が点いているかどうかというのは大きいことなのだなぁ……。

 改めて5丁目です。店名看板は残っているものの、綺麗なマンションが建っていますね。
 近年はどこの商店街でもお店がなくなってマンションが建っているという姿をよく見掛けますが、トラブルも少なくないようです。

 神戸市商店街連合会のサイトに「マンション完成前にやっておきたいトラブル予防策」という記事が掲載されています。
「弁護士の小田紗織さんが、大日六商店会(中央区)のトラブル解決のため支援に入っている」とのことで、気になりましたのは「アーケードに面しているマンションは、オーナーが商店街賦課金やアーケード維持管理費を負担すること」という一文でした。
 自宅マンションに出入りするときアーケードの下を通るのであれば雨に濡れずに済む、つまりアーケードを利用していることになるわけで、じゃあ維持管理費の負担は必要でしょうということです。言われてみればそうですね。先の蛍光灯でも夜間など点いていましたら防犯になるでしょうしね。

5丁目を進む

 9年前にも見ました三木青果店と、隣には……

「まるしん靴店」。電話番号の桁数が当たり前に2桁4桁なのも渋いところ。

 この9年の間にいくつもの台風が通り過ぎたと思いますが、アーケードの下ですので綺麗なものですね。

 大日カメラ。

 よく見ますと電話番号が記されていますね。こちらも2桁4桁のようです。

「和洋食 五月食堂」。1階は何かに使用されているようですね。

 大日商店街振興組合の事務所ですね。地元の小学生の工作が展示されていました。

 進みま……

「味のバラエティショップ ふるさと」。あちこちの商店街を歩いていますと「バラエティ」という名前の付いたお店に出会うことがありますね。「バラエティミート」とか。「バラエティ」が流行ったときがあったのでしょうか……。
 ちなみに店名看板は「おふくろの味 ふるさと」です。

 おふくろの味のお向かいは「アンダーギー おばあ」。大日の祖母と母に胃袋を預ける毎日。
 アンダーギーとは沖縄の言葉で揚げ物ですね。沖縄から出稼ぎに来ていた人が多かったこの地域ならではなのでしょう。

 だいにち元気合衆国の看板がありました。近年はイベントを開催されているのかな……。

「商日」とは何ぞ……としばらく眺めていたのですが、あ、もしかして「大日商(店街)」と読むのかな? 二重丸のような部分が「大」に見えなくもありません。

 筒井舞の看板は健在です。

 4丁目が近付いて来ました。

大日つどいの場「リリー」

 4丁目に入りました。こちらにも筒井舞の看板が見えますね。

「喫茶リリー」……「コーヒー リリー喫茶店」「コーヒリリー」、まぁ表記の揺れはご愛敬です。

「コーヒ」がたまらんねぇ……。電話番号はもちろん2桁4桁。

 喫茶店としては営業されていないものの、近年は「大日つどいの場『リリー』」の会場となっています。
「社会福祉法人 兵庫県社会福祉協議会」「社会福祉法人 神戸市社会福祉協議会」「生活協同組合 コープこうべ」が共同で発行された「みんなでひろげる ちいきのわ 地域連携事例集」によりますと、「高齢化率が高く、地域活動が盛んだが、活動の拠点が地域福祉センターしかなく、目的がなくても気軽に集まることができる居場所が必要」とのことで、平成27年(2015年)7月より月2回開催されているとのことです。
 毎回20名から30名の方が参加され、お茶を飲みながら話に花を咲かされているようです。

4丁目を進む

 ふと見上げますと……アーケードに換気扇? 意味ある……?

 時計は故障中でした。
 何気なく貼られた「故障中」ですが、この時計は建物の2階くらいの高さにあるわけで、貼るのにどれだけの労力を必要とされたのでしょうね。高いハシゴを用意したのかな。アーケードに上がって時計を外してまた戻したのかな。かなりすごいことですよ、こういう貼り紙って。

 閉店されていますが、かつてここには「八百屋7(八百屋セブン)」というスーパーマーケットがありました。2000年頃に神戸市内で何店舗か営業されていたと思いますが、いつの間にか見なくなりましたね。

 この場所にはかつて「スーパーマルハチ 葺合店」が営業されていました。開店は1989年、閉店は2004年です。
 住宅地図を開きますと昭和44年頃に「主婦の店 葺合店」が営業を開始されたようです。主婦の店ってダイエーのこと……? と思いましたがどうも違うようで、「主婦の店」というスーパーマーケットのボランタリー・チェーンが存在していたようですね。

「リビング なかじま」。店頭に出された商品たちがなかなかの存在感です。これだけの商品を毎日出して片付けて、って結構な重労働でしょうね。並べ終わる頃にはお昼くらいになっていそうです。

 向かいの「紳士 服飾 トップ」もなかなか良い運動になりそうですね。

「割塚温泉」。2019年8月末で閉店、同年12月に解体されてしまいました。

「ダイヤル市外通話 でんわ でんぽう 市内通話もかけられます」ちょっと何を言っているのか分からない……。
 昭和30年代頃までは、市外に電話を掛けようと思いましたら電話交換手を介する必要がありました。ダイヤル市外通話とはそれが自動化されたということですね。
 さすがにちょっと話が脱線しますので興味がおありの方はこの記事を読み終えてからお調べ下さい。

 アーケードの東の端に着きました。3丁目のアーケードは解体されましたので存在しません。

2019年3月23日「ワケアリ大作戦」

 1週間後!
 再びやって来ました……

 ……?

 おぅえ!?
 え、見覚えのない看板があるんやけど……「大日商店街 定休日は毎週水曜日」。矢印のデザインがカッコ良いですね。

 しかしどうして気が付かなかったのか……あ!

 これか!
 この向き……気が付きませんでした。

 6丁目へ向かいます。明るく、賑わっている雰囲気を感じます。

 盛況!
 さっそく入り……

 ……の前に、5丁目と6丁目の間も横から見てみましょう。あぁ、こうなっていたのね。

 さて、改めまして……

 食べ物にお酒、雑貨など約30名のワケアリ出店者の皆さん。

 昭和の頃は毎日がこのような人出だったのでしょうね。もっと多かったのかも知れません。

サンテレビの取材

 地元のテレビ局であるサンテレビが取材に来られていました。そのときの映像がYouTubeで公開されています。

 私が映っているかも……?

装飾は何なのか

 ところで……

 目の前を横切るこの装飾は何でしょう?

「美味 ミルクヌガー 滋養 SPECIAR MILK NOGUT」「甘味絶佳 バタボール ButterBall」昭和のお菓子の包み紙のようです。通信販売やオークションに出品されていますのでそれなりの数が出回っているのでしょうけども、豪快な使い方ですね。
 この装飾もさりげなくここにいますけど、紐を通して電柱などに括り付けて……って結構な労力ですよね。

 こちらにも

 ワケアリ大作戦のポスターです。

食べながら……

 ちょっとお腹が空いて来ましたね。

 フランクフルトを頂きます。1本100円。

「ヤキニク 安ベエ」のフランクフルトです。
 ところで「安ベエ」という名前のお肉屋さんは近隣の畑原市場にもありました。チェーン店……?

「山橋寿司」。一杯やりたくなりますね……。


 一杯じゃ済みませんでした。「菊鷹」と「磐城壽」というお酒を頂きました。

 和菓子作り体験や筆跡鑑定も行われていました。

 西の端が見えて来ました。

 西の端に着きました。実際はうろうろと何度も往復していたのですが……。

民話の里「ふきあい」

 ……

 ……

 この人形は何ぞ!?

 服に「出っぱり石のおんがえし」「民話の里『ふきあい』」と書かれています。

「民話の里『ふきあい』」は神戸市中央区の東部にあります市場や商店街が集まった団体「葺合市場商店街連絡協議会」が始められたもので、公式サイトによりますと「ふきあいの民話の掘り起こしと創作を通じ地域の人たちとのこころの交流を目指しています」とのことです。
 市場や商店街ごとの民話がありまして、先の「筒井舞」もその1つです。

 大日六商店街の民話は「出っぱり石のおんがえし」です。公式サイトを読みますと……

 このあたりが摂津の国、筒井郷大日村と呼ばれていた頃、大日村には「みのる坊」といういたずら小僧がいました。
 道路を枯れ木で塞ぐという結構なレベルの悪事を働いていたみのる坊ですが、みのる坊の両親は生田川の鉄砲水で亡くなってしまったということと、みのる坊の家が潰れて堤防の代わりになり村は救われたということで、村長はみのる坊を温かく見守っていたのです。
 みのる坊はあるとき旅人に「出っぱり石の道」という石が多く歩きにくい道を教えます。転んで足の骨を折ってしまった旅人は危うく命を落としかけました。
 さすがに今度ばかりはこらしめなければと村人たちはみのる坊を大日寺に閉じ込めました。
 その夜、みのる坊の前に大日如来様が現れ、反省を促すためにみのる坊を出っぱり石の道の石にしてしまいました。
 石になったみのる坊ですが、何故か声は出すことが出来ました。
 大雨が続くある日、鉄砲水を予感したみのる坊はあたりの石たちに壊れそうな堤防に集まってくれと声を掛けました。すると石たちは自ら動き始め、大きく頑丈な堤防になりました。こうして大日村は守られました。
 大日如来様はみのる坊を元の姿に戻しました。みのる坊は改心し、大人になってからは村長を助け大日村を豊かで明るい村にするためよく働いたとのことです。

 本当はもうちょっと長いのですが、要約するとこのようなお話です。

 先の「箕面都市開発株式会社」の過去のサイトによりますと、この民話は大日六商店会の当時の会長が作られ、キャラクターは各店のお子さんが考えられたとのことです。
 ちなみに村長は「六兵衛じいさん」で、「大日六商店街」の名前はそこから付けられたとのこと……え、六丁目だからではないの?

 また、「大日にぎわい広場」に出っぱり石の道の石が置かれているとあるのですが、広場とはどこのことでしょう……? 平成12年(2000年)に開設されたようなのですが。

 先の「箕面都市開発株式会社」の過去のサイトには

にぎわい広場は、神戸市所有の空き地180㎡を借り受け、補助金で整備しました。年間80~90ものイベントを開催する積極的な活動を続けています。

「箕面都市開発株式会社」の過去のサイトより

 とありますが、現在は……?

 写真はないのですが、現在は大日六商店街の南にあります山手幹線という道路沿いに六兵衛じいさんとみのる坊の石像、そして石が置かれています。大日にぎわい広場が閉鎖して移設されたということなのかしら……。

ふれあいサロン

 先のサイトを読みますと「ふれあいサロン」という場所もかつて開設されていたようで、

空き店舗を利用し、3年前にオープンしました。内装改装費などは、補助金で補填。写真展や折り紙教室、健康相談など、地域に開放しています。劇場になったことも。広さは約30㎡で、利用料は1日1,000円です。
ふれあいサロンの中にある「プリマボックス」の利用料は1ボックスにつき1ヶ月500円。地域の人や障害者をもった人の作品、篠山の物産などを委託販売しています。完成度によっては返品することもあるだけに、出されている商品はよく売れるとのこと。約60個のボックスはすべて埋まっていました。売り上げの20%は商店街へ、店番は地域の小学生や高齢者がしています。年間3万人が訪れています。

「箕面都市開発株式会社」の過去のサイトより

 とのことでした。「店番は地域の小学生や高齢者が」というところが良いですね。子供は社会勉強になるでしょうし、高齢者も生きがいになるのかも知れません。

肉屋激戦区

 さて、飲み食いもしましたし中年男が何往復もしていましたら人々を不安にさせますのでそろそろ帰りましょう。

 ……ふと思ったのですが

 肉系の店、多くない?
 この写真だけで4つのお店が写っています。商店街にどれだけのお店があるのでしょう? 帰りがてら調べてみました。

 1店舗目「自家特製 やき豚の店 マルフク肉店」。

 2店舗目「かしわ やき鳥 の店 鳥安商店」。

 3店舗目「肉のユタカ」。

 4店舗目「肉のたけうち」。

 5店舗目「焼肉 スタミナ 材料一式 ヤキニク安ベエ」。

 6店舗「丸大ハム 竹内食品」。

 7店舗目「新鮮鶏肉 鳥勢」。

 8店舗目「牛・豚・焼豚 肉の東野」。

 9店舗目「O・KU・TOH」。「神戸牛のオクトウ」です。

 10店舗目「牛肉・豚肉・加工品 ヨシヤ」。

 11店舗目「牛肉 豚肉 加工品 マルキ精肉店」。

 11店舗!
 あくまでも店名看板を調べただけ、また現在は営業されていないお店も含めての数ですが、約300メートルの間にこれだけの肉屋さんが並んでいるとはものすごい肉屋密度ですよね。

 もっと詳しく調べたくなって来ました。
 ということで昭和46年(1971年)発行の「神戸市商店街連合会20年史」を開いてみました。1丁目から5丁目の会員名簿が掲載されているのですが……

 4丁目「マルキ精肉店」
 5丁目「ヨシヤ精肉店」「鳥重商店」

 あれ? 3店舗だけでした。思ったより少ないですね。
 30年史はどうでしょう。掲載されていますのは3丁目から5丁目の会員名簿です。

 4丁目「マルキ精肉店」「秋本商店(ホルモン)」
 5丁目「ヨシヤ精肉店」「鳥重」

 あれ? 1店舗増えてはいますが……。
 阪神・淡路大震災後の50年史はどうでしょう。4丁目と5丁目だけではありますが

 5丁目「肉のヨシヤ」「神戸牛のオクトウ」

 あれ、思ったより少なかったですね。営業されていても会員ではなかった店舗もあったのかも知れませんが……それとも6丁目が特別に多かったのでしょうか。
 工場へ出稼ぎに来られていた方が多く住まれていましたので肉の需要は高かったのでしょうね。

さよなら店名看板

 割塚温泉を眺めて……

 アーケードなき3丁目を歩いて……

 1丁目を抜けて帰ります……何か違和感がありますね。

 こちらが1週間前に撮影した写真です。偶然、ほぼ同じ場所です。

 街灯が撤去されています!
 えー、この1週間で? なんたる偶然……。
 街灯が撤去されたということは、「大日割塚1丁目共議会」が解散されたということなのでしょうか。しかしストリートビューを見ますと「大日割塚1丁目共議会」が管理者という防犯カメラは現在も設置されていますので、老朽化により撤去ということなのかな……。

数々のイベントが開催されている

 大日六商店街が主催されるイベントは年に複数回開催されています。私が調べただけでも

 この通りでした。
 コロナ禍で2年半ほどお休みされていましたが、2022年6月の「大日ろくろっく市」より再開され、その後も精力的に開催されています。

 ここからは私が行きましたイベントの様子をお伝えします。

2019年6月8日「大日ろくろっく市」

2019年11月16日「交わすハローに福来る」

 通称「ハロー祭」です。

 ところで今回ここへ来た大きな目的がございまして……

 先のサンテレビの……これ!

 ギャメサンドイッチ。

 ギャメサンドイッチ。

 ギャメサンドイッチ。3回言いたくなりますね。

 お腹が膨れてしまいましたので……

 ハロー×5には到達しませんでした。

2022年6月25日「大日ろくろっく市」

 新型コロナウイルスにより世の中が一変してしまいました。
 残念ながらウイルスの感染拡大は抑えられず、集団免疫を獲得することによる収束となってしまいました。
 というわけで久し振りのイベントです。
 あ、右手の建物が解体されてしまいましたね。

 3年ぶりの!

 先の「みのる坊」が凛々しい顔付きになっていました。

 神戸市立葺合中学校の生徒が人形を作りプレゼントしたとのことです。

 ビールを飲み……

 ギャメホットドックを食べ……

 お酒も!

 満足してアーケードを歩いて帰っていましたら

 大日カメラが解体されていました。
 まぁきちんと解体されるだけマシなのでしょうね。建物を解体するにもお金が必要ですからね。

 こちらはたこ焼き屋さんだったのでしょうね。ですよね。

 割塚温泉も八百屋セブンも解体されてしまいました。

 先にも言いましたが、寂しい話ではありますが解体する余力があるというのは素晴らしいことなのですよね。どうすることも出来ずに放置されている建物、あちこちにありますよね。

2023年3月25日「春だ! 大日六商店街に集まれ!!」

「神野漬物店」解体されるようです。

 今回は到着しましたのが終了間際でしたので静かな雰囲気になっていました。

 5丁目と4丁目を歩いて帰ります。

 夕方になると蛍光灯が点いているのですね。それでも片側だけというのが切実です。そりゃ電気代も蛍光灯そのものの費用も必要ですものね。

2023年9月9日「大日ろくろっくナイト」

そしてアーケードは解体される

 時は冒頭に戻りまして2024年3月24日、アーケードが解体される姿を目の当たりにしたのでした。そのときは友人と一緒でしたのでじっくり歩くことはしませんでした。
 3日後の2024年3月27日に改めて大日商店街を訪れました。

 JR灘駅から歩き、3丁目に着きました。このあたりもかつてはアーケードの下だったのですけども。

4丁目を歩く

 4丁目に着きました……着きました?

 こちらが約4年前の同じ場所です。

 明るくなってしまわれて……。割塚温泉の跡地にはマンションが建ちました。

 アーケード撤去工事を知らせる看板が立っていました。期間は令和5年(2023年)9月11日から翌年3月31日まで。もう終わりかけ!
 私が最後に訪れたのが9月9日でしたから、その直後だったのですね。

 明るい道……。

 今となっては貴重な「ダイヤル市外通話」の看板は健在ですが、風雨に晒されてこれからどんどん傷んでいくのね。

「トップ」。この日は営業されていませんでした……あ、そういえば商店街の定休日は毎週水曜日でしたね。今日は水曜日です。
 2階の窓が覆われていますが、どうされたのでしょうね。

「神戸ひとマガジン 裕ちゃんを探せ!」というサイトによりますと、トップは昭和39年開店とのことです。「当時は川崎製鉄、神戸製鋼の工場があり24時間稼働していた。夜中でも商店街に人通りが絶えなかった」とも。

 凝った窓だなぁ……。何のお店だったのでしょうね。
 例の30年史を開きますと「チカズミ洋装店」だったようです。

「シューズショップ カネコ靴店」。

「中華食材・食品・総菜 中華食園」。

「日新デンキ」。

 タコ……50年史によりますとこの場所は「にくてんくん」という「お好焼、飲食」のお店だったようです。
 また、アーケードが解体される前の店名看板は「たこ焼 キャベツ焼 はせ」でした。

 もう少し調べてみますと確かに「はせ」というお店で、うどんやおにぎりも提供されていたようです。

「喫茶リリー」跡。先の「大日つどいの場」の会場ですね。

「スニーカー & カジュアル サンタ大日店」。

 アーケードが解体されたというだけで違う町のようですね。

 道端の黒くなっているところにアーケードの支柱が立っていたのだと思います。

5丁目を歩く

 5丁目に着きました。「クツ下専門店 ムツミ堂」シャッターが開いています。もうお店ではなさそうな雰囲気ですね。

「味のバラエティショップ ふるさと」と「大日商店街振興組合」。

「ヒルビリー」。50年史によりますと酒屋さんだったようです。

「かわちや呉服店」。

「弓場商店」。

 あぁ……。

「三木青果店」。今となっては貴重な看板が日に焼けて雨に濡れて……切ないことです。

「まるしん靴店」。こちらは傷みが激しいですね。

 約4年前は

 この姿でした。

 ……?

 何度か歩いた道ではあるのですが……恥ずかしながら、初めて見たような気がしています。
 アーケードが解体される前の店名看板は「花 吉岡花店」でした。

 しかし看板をよく見ますと野菜や……

 キノコの絵が見えますね。
 30年史によりますとここは「高木青物店」だったようです。

 言われてみれば「物」という字に見えますね。

 また、丸いマークらしき何かも見えますが……何だったのでしょうね。

 アーケードの支柱が立っていた場所と思います。

6丁目に入る

 5丁目の西の端に着きました。
 アーケードの断面はこうなっているのですね……。

 南側から見たところです。「大日商店街」の文字……この部分は大日商店街振興組合の所有物ということなのでしょうかね。ここも解体されるのか、「大日六商店街」に変更されるのか……?
 解体しないとしても、先の断面はそのままにするのか、綺麗に整えて「大日六商店街」の名を掲げるのか、どうされるのでしょうね。整えるにしてもお金が必要なわけで、それって大日商店街振興組合か大日六商店会のどちらが出すのか……とお金のことばかり考えてしまいます。ごめんなさいね、関西人が書く記事なんです。

 まぁ「大日商店街」でも「大日六商店街」でも普通の人たちにとってはどっちでもええよという話だと思いますが……そもそも区別があるという認識もないでしょうし。

「肉の東野」の

「味は最高・値段は最低」の健在を確認して……

 6丁目に入ります。静かな雰囲気……。

「毛利食品(株) 大日支店」。その向こうはブルーシートが見えますね。

 寂しい……。

 かつては「神野漬物店」でした。

 マンションが建っても店名看板はそのままです。

 大日六商店会の会長さんと話をすることが出来ました。
「大日商店街振興組合」の解散に伴い4丁目と5丁目のアーケードを解体撤去されたそうです。
 6丁目のアーケードは解体する予定はないとのことで、安心しました。

おしまい

 あの日、商店街を歩く時間が何分かずれていたら声を掛けられることもなく、イベントのポスターに気が付いたとしても翌週また来ようという気持ちにはならなかったかも知れません。
 そうするとこの記事を書くこともなかったわけで、我ながら不思議な気持ちがします。

「大日六商店会」は存続し、これからもイベントを開催されるということですので、是非足を運んでみて下さい。

 ここまでお読み下さいましてありがとうございました。

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 記事購入の手続きをして下さいますとおまけの写真が表示されます。アーケードの店名看板です。ただし、全てを網羅しているわけではありません。

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